評価 ★★★☆☆(48点) 全95分
あらすじ イベリア半島の沖合に位置するロサス王国で、17歳の少女アーシャは、王国の支配者であるマグニフィコ王に、他の誰にも感じられない闇を感じていた。引用- Wikipedia
華やかさを失ったディズニー映画
本作品はウォルト・ディズニー・カンパニーによる映画作品。
監督はクリス・バック、ファウン・ヴィーラスンソーン。
ディズニー100周年記念映画として制作された。
おとぎ話
映画冒頭、まるでおとぎ話を読み始めるように
本を開くシーンから始まる。
この世界の成り立ち、主人公が住んでいる国が
どうやって生まれ、どうやって安寧を築いているのかが
ナレーションベースで描かれる。
簡単に言えば「マグニフィコ」という王が
偉大なる魔法の力を手に入れ、そんな力で理想の国を作り上げている。
王は国民の願いを毎月1つ叶えてきており、
国民は自分の願いを叶えてもらうために自分の願いを捧げている。
王はかつて家族を盗賊に殺されている。
そんな「過去」があるからこそ、家族である国民を守るために必死であり、
この国の王であること、この国があることが彼の存在意義でもある。
国民にとって彼は偉大なハンサムな王だ。
そんな国で生まれ育った主人公であるアーシャは
彼の従者になるべく面接を受けに行くというところから物語が始まる。
ディズニーらしいわかりやすい世界観と
まるで絵本でも読んでいるような演出は子供でもすんなりと
自然に世界観に入り込むことができる。
更にディズニーらしいミュージカル要素だ。
「ミラベルと魔法だらけの家」もかなりの曲を歌っていたが、
本作でもディズニー映画らしくミュージカルなシーンは多く、
印象に残る曲も多い。
悪い王
しかし、そんな王は「悪い王様」だ。
彼は国民の願いを18歳になったときに預かる、
だが、願いを預けることは自分の心の一部を捧げるようなものだ。
どこか喪失感を感じる国民も多く、
そんな喪失感が、王が願いを叶えてくれれば埋まると信じている。
だが、王は基本的に月に1度か2度しか願いを叶えてくれない。
誰の願いを叶えてくれるのか、いつ願いを叶えてくれるのかは「王次第」だ。
主人公の祖父は100歳になるものの長い間願いを叶えてもらっていない。
王の従者になれば、自身の願いも、母の願いも、祖父の願いも
叶えてくれるかもしれない、そんな希望が彼女の中にはある。
しかし、王はそんな彼女の願いを拒否してしまう。
祖父のささやかな願いも「もしかしたら国に危険が及ぶかもしれない」
と謎の判断でかなえてはくれない。
あくまで彼は国のためになる願いしか叶えてくれない。
かなり理不尽な状況だ。
わかりやすい「ヴィラン」だ。
最初は国のため、国民のために働いていたのかもしれない。
だが、王として長い間君臨し続けた結果、独善的な支配を産み、
偏った思考になってしまっている。
この作品はある種の「革命」の物語だ。
王に対して不満を持つ国民はほとんど居ない。
そんな中で主人公であるアーシャは王の真意をしり
革命を起こす物語だ。
セルルック
最近のディズニー映画はフルCGで制作されている。
かつては手書きの作画で描いていたが、近年の映画はフルCGばかりだ。
今作もフルCGではあるものの、いわゆるセルルックCGに近いものが在り、
CG感を感じる部分はあるものの手書きのアニメ調のCGを採用しており、
どこか懐かしいディズニー映画の雰囲気を漂わせている。
しかし、その一方でそれがアニメーション的な「地味さ」を産んでいる。
特にカメラワークに関しては全くもって面白みがない。
フルCGの利点は手書きの作画では描きづらい
360度、どの角度でも写せるという構図の面白さがある。
だが、この作品はフルCGにも関わらず、そんな構図や、
カメラワークの面白さが殆どない。
単調な構図、単調なカメラワークのせいで
アニメーションの面白さがかなり薄く、
作品全体でどこか「地味」な印象を受ける部分があまりにも多い。
特にそれを感じるのはアーシャが王の真実を知り、
「 ウィッシュ~この願い~」を歌うシーンだ。
ただただ街を駆け抜け、森を駆け抜けるだけだ。
演出があまりにも地味で、華やかさというものがない。
ディズニー映画のプリンセスの歌というのはどれも印象的だ。
アナと雪の女王で「Let it go」を歌うシーンは誰もが
記憶に残っているだろう、氷の城を造り上げるシーンは
曲の良さと相まって強烈なインパクトを産んでいる。
しかし、この作品はそういった「インパクト」がない。
曲自体は素晴らしい、歌も素晴らしいのに、
アニメーション的な面白さがないせいで、
せっかく主題歌を歌うというシーンの印象がかなり薄い。
曲はいいのに、そんな曲にふさわしいアニメーションを描けていない。
見ていて楽しいアニメーションを描ききれていない
もどかしさが常に付きまとう印象だ。
星
そんな王の真意を知り、祖父の願いが叶えられないと知った
アーシャは絶望の果に星に願うように歌う。
すると空から星が舞い降りる。
人々の夢を叶えてくれる不思議な存在である「スター」は
人の願いを叶えるための存在だ。
王に頼らなくても願いを叶えてくれる。
魔法が王によって禁止された国で、
主人公であるアーシャは「革命の力」を手に入れる。
この作品のストーリーは非常にわかりやすく、
勧善懲悪な世界で悪い王を主人公が倒すというシンプルなストーリーだ。
本来ならそこでもっとキャラクターを立たせるべきなのだが、
主人公のアーシャのキャラクターは弱い。
ヴィランである「マグニフィコ王」のキャラは
わかりやすいヴィランらしい魅力があり、
鏡が大好きなナルシストというキャラ立ちこそしているのだが、
彼と「スター」以外のキャラクターはどうにも弱い。
「スター」は可愛らしいキャラクターだ。
この作品を象徴するようなキャラクターであり、
勝手に動物たちに人間の言葉を喋らせたり、
にわとりとともにダンスを踊るシーンなどコミカルなシーンも多く、
コミカルなスターは本当に可愛らしく魅力的だ。
だが、アーシャやアーシャの友人たちなど、
もっと掘り下げても良さそうなキャラクターは居るのに、
サブキャラクターに収まってしまっており、
王自身も魅力的ではあるのだが深掘りはしていない。
いわゆる「ラブロマンス」の要素もない。
アーシャという主人公は主人公というだけで、
キャラクターの魅力があまりにも薄く、
目立っているのはヴィランとスターだけだ。
このあたりは「ミラベルと魔法だらけの家」でも感じた欠点だ。
主人公があまり魅力的に見えず、
魅力的なサブキャラは居るのに掘り下げきれていない。
お城で働く少しいじわるなガーボや、
内気なバジーマなど気になるキャラは居るのに
表面上の魅力だけでストーリー的に重要なキャラではなく、
主人公とヴィランと星がいればストーリーが成り立つような感じだ。
主人公が飼ってるヤギも、序盤でスターによって
喋る力を手に入れてコメディリリーフとして機能してはいるが、
物語的に必要性のあるキャラではない。
こういう「必要性のあるキャラ」が少なく感じてしまうストーリーだ。
マグニフィコ王
スターが出てきたことで王にも焦りが生まれる。
この国では彼以外に魔法は使ってはいけない。
彼が偉大なる魔法使いとして君臨し、支配し、
人々の願いを叶えるという希望を元に国を成り立たせているからこそ、
自分以外の魔法を使える存在が彼にとっては脅威だ。
そんなスターの魔法を目にした国民にも疑問が生まれる。
自分たちが預けた「願い」は大丈夫なのか、
いつ自分の願いが叶えられるのか。
そんな国民の不満が王を狂わせる。
願いを叶えてきてやったのに、
平和な国を保ち続けてきたのになぜ民は不満を持つのか。
彼にとっては理解できない。わずかな感謝だけでいいのに、
そんな感謝よりも不満の言葉を言う民に彼の怒りは頂点に達してしまう。
実際、願いを預けるという行為以外は平和で豊かな国だ。
それさえなければ、この国は偉大なる魔法使いの国として
なんの問題もない国といってもいい。
別に高い税金を取り立ててるわけでもない。
自分の願いを叶えてもらいたい、そんな国民の欲望によって
王がおかしくなってしまったと言ってもいい。
小ネタ
そんな狂った王にアーシャ達は立ち向かう。
預けた願いを取り戻すために、狂った王からこの国を守るために。
ストーリーとしてはかなりシンプルでありわかりやすい。
展開自体も予想しやすく、特に意外な展開もなく、
あっさりと物語の幕は閉じる。
そんな物語の中で随所に「ディズニーネタ」が盛り込まれている。
例えば王が「この世でもっともハンサムなのは誰?」と
鏡に問いかけたり、過去のディズニー作品の登場人物を
彷彿とさせるセリフが出てきたりと、
ある種の小ネタが作中に散りばめられている。
そのあたりを発見する面白さはあるものの、
それを「面白い」と思うかは見る人のディズニー作品に対する
思い入れによるところも大きい。
オマージュネタばかりと捉えるか、そんなオマージュを楽しめるか。
人によるとしか言えない部分だ。
100周年記念だからこそ小ネタを織り交ぜたのはわかる、
わかりやすいシンプルなストーリーと、
誰かに願いを叶えてもらうのではなく自分で叶えようという
メッセージを感じるストーリー自体は悪くないのだが、
悪くない止まりで終わってしまい、目新しさは一切感じない。
ディズニーとしてはある種の原点回帰をしたかったのはわかるが、
そんな原点回帰的な魅力よりも、個人的には古典主義のような
古さを感じてしまう作品だった。
総評:ベストではないマストな記念映画
全体的に決して駄作と切り捨てる作品ではないが、
名作というには1歩も2歩も足りていない作品だ。
ストーリー自体はかなりシンプルであり、
悪いやつが居て主人公がそれを倒すという構図であり、
それ以上でもそれ以下でもない。
そんな中で目立つ音楽の良さはディズニー映画としての
魅力を感じる一方で、アニメーションの魅力は薄い。
セルルックCGのようにアニメ調で水彩画調の表現は面白くはあるのだが、
全体的に動きはかなり固く、自由で豊かなかつての手書き作画時代の
ディズニー映画のような魅力もなければ、
最近のフルCGのような綺羅びやかで華やかな魅力があるわけでもない。
キャラクターもヴィランである王とスターは目立っているのだが、
それ以外のキャラクターはあまり掘り下げもなく、
表面的な魅力はあるのに、それだけで収まってしまっている
キャラクターがあまりにも多い。
作中に散りばめられているディズニー小ネタは
発見したときの面白さはあるのだが、
それを楽しめる人とそうでない人で大きく分かれる部分があり、
100周年記念だからこその小ネタではあるのだが、
それが多すぎるようにも感じる部分だ。
一言で言えば「悪くない」止まりだ。
アニメーションの技術は挑戦的な部分はあるのに、
表現されたものは堅苦しく重苦しい、
ストーリーには挑戦的な部分は一切なく堅苦しい。
100周年記念だからこその挑戦的な作品ではなく、
「無難」に作ろうとしている感じも見えてしまい、
100周年記念のベストな映画というよりは、
マストな映画という印象が残ってしまう作品だった。
個人的な感想:ポリコレ
最近のディズニーと言えばポリコレが目立つ作品が多いが、
この作品はそこまで表面的に目立った要素はない。
性的指向などは完全に排除されており、
アーシャもそばかすこそ目立つが可愛らしさは感じる。
だが、その一方で歴代のディズニープリンセスのように華やかな存在ではない。
国民に対して支配的な王も悪い男として描かれており、
結果的にラストでは彼の妻が「女王」になっている。
そのあたりにポリコレ的なニュアンスを感じない訳では無いが、
この作品は露骨ではない。
むしろストーリーの中でそういった部分を見せないようにしている。
恋愛要素がないのもそういった配慮ゆえなのかもしれない。
個人的に見ている間に堅苦しさを常に感じてしまい、
ワクワクする、面白い!と素直に楽しめずに、
悪くはないけど…という歯切れの悪い感想を抱えたまま
劇場を去ってしまった作品だった。
感動的な要素もなく、涙を流す部分もない。
むしろヴィランである「マグニフィコ王」がなぜ、
すべての住民の願いを叶えられないと知っておきながら、
願いを集めていたのかなどのほうが気になってしまった。
願いを集めることで国民の反乱意欲などを削ぐ目的なども
あったのかもしれないが、「スター」の存在といい、
そのあたりの設定の掘り下げ不足も気になるところであり、
色々と引っかかる作品が多かった。
ウィッシュ本編よりも、本編前の短編である
「ワンス・アポン・ア・スタジオ -100年の思い出-」が
100周年の映画にふさわしい内容になっており、
コレを短編ではなく長編で、ミッキーを主人公にした
映画にしたほうがよかったのでは..?と感じてしまった。
実写とアニメとの融合という「メリー・ポピンズ」を
彷彿とさせる演出、過去のディズニー作品のキャラが
勢ぞろいするアヴェンジャーズ的なワクワク感、
これぞ100周年という魅力の作品をウィッシュ本編より
先に味わってしまったせいで、肝心のウィッシュが
楽しみきれなかったのかもしれない。
色々と問題を抱えているディズニーだが、
今後の100年はどうなるか気になるところだ
この作品をどう思いましたか?あなたのご感想をお聞かせください