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「すずめの戸締まり」レビュー

5.0
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評価 ★★★★★(90点) 全122分

映画『すずめの戸締まり』予告②【11月11日(金)公開】

あらすじ 九州の静かな町で暮らす17歳の女子高校生の岩戸 鈴芽(いわと すずめ)。彼女はある日の登校中に扉を探している青年・宗像 草太(むなかた そうた)に出会う。引用- Wikipedia

この映画は貴方の心を抉ります

本作品はオリジナルアニメ映画作品。
監督は新海誠、制作はコミックス・ウェーブ・フィルム。
なお本レビューにはネタバレを含みます。

アンチテーゼ

新海誠監督の前作である「天気の子」。
私はこの作品を新海誠監督自身が新海誠監督作品に対する
「アンチテーゼ」のような作品と評した。

「君の名は」はいわゆる「一般受け」を狙った結果の大ヒットだった。
そんな君の名はに対する「天気の子」はハッピーエンドとは
素直に言えないエンディングや「セカイ系」な展開と、
凄まじくオタク受けのする内容に仕上がっていた。

そして本作。
本作も「君の名は」と「天気の子」へのアンチテーゼを感じる部分がある。
それを1番感じるのは「ダイジェスト」だ。
「君の名は」でダイジェストで一気に日常を描きながら挿入歌を流すという
手法を用いたことで、楽曲も話題になった。

天気の子でも同じ手法が使われていたが、
「天気の子」以外の君の名は以降に出てきた青春SF恋愛映画も
同じような手法を使っていることは最近のアニメ映画をご覧の方はご存知のはずだ。
猫も杓子もダイジェストで曲を流す、MVみたいなシーンを
作中に必ず入れており、私自身、この手法に「飽きて」いた。

それは「新海誠監督自身」もそうなのだろう。
私はこの作品の序盤から中盤までのどこかでダイジェストが、
あの手法を使ったシーンがあるはずだと、見る前に当然のように思っていた。
しかし、今作ではあの手法は使っていない。

新海誠映画作品=RAD WIMPSみたいな印象を受ける人も多いはずだ。
そういった彼自身の作品に対するイメージを壊す、
イメージにあるようなことを逆にしていない。
同じような作り方で同じような作品を作るのではなく、
新海誠監督は作品ごとに色々と試行錯誤していることを強く感じさせる。

セクシーシーン

今作でセクシーシーンと呼べるのは主人公のシャワーシーンくらいだ。
これも別にセクシーに描かれているわけではない。
「君の名は」は男女の入れ替わりという要素のせいもあり、
胸を自分で揉んだり、口噛み酒なんていうマニアックな要素もあったりと、
一般受けを狙いつつも、そこが気持ち悪いと感じた人も多いはずだ。

「天気の子」はそういった露骨なものはへったものの、
女性キャラクターの谷間の描写や、10代の主人公たちが
「ラブホテル」に泊まるなんていう展開もあったりして、
まだ新海誠監督自身が自身の性欲のようなものを抑えきれていない
印象を受ける作品だった。

そして今作、ほぼ禁欲状態である(笑)
前述したシャワーシーンはセクシーには感じず、
どちらかといえば「足」の描写だけが最後の牙城と言わんばかりに、
こだわりまくって一瞬描かれるくらいで、あとは
ほとんどセクシーシーンと呼べるものがない。

前作、前前作の欠点を新海誠監督なりに消化し、
更に自身の作品へ昇華させていることを
作品全体で感じることができる。

ついに新海誠監督は禁欲に成功したのである。
しかし、禁煙した人が逆に食欲が湧いてしまい太ったという事例があるように、
禁欲した結果、新海誠監督の「作家性」のようなものが
大爆発してしまったのが今作だ。

トラウマ

物語の始まりはシンプルだ。
宮崎県の海が見える街に住んでいる女子高生な主人公は、
ある日、投稿途中に「イケメン」な男性とすれ違う、
彼は「廃墟」を探しており、彼に街の廃墟を教えるところから物語が始まる。

序盤は話の方向性というのが見えてこない。
新海誠監督といえば「SF」だ。
雨が降り続く東京だったり、隕石が落ちてきたり。
しかし、今作は「SF」とはいえない。完全なる「ファンタジー」だ。

日本の廃墟、かつては人が居たが今は居なくなってしまって放置される場所。
そんな場所に「扉」が現れることがある。
この扉の先は現世とは違う、いわゆる「あの世」のような場所とつながっており、
その扉が空いてしまうと中から「ミミズ」のようなものが出てきて、
その場所に災害が降りかかる。

これが基本的な設定だ。
この作品はファンタジーであり、同時に「災害」というものも描いている。
序盤から見る人のトラウマを強烈に刺激してくる、
地震が起きる前にスマホがかき鳴らすあの「警報音」だ。

作中で何度も何度もこの「警報音」が鳴る。
映画の中のできごとであり、映画館のスピーカーから
その音が流れてくることはわかっている、
だが、私達はあの音に強烈な「トラウマ」がある。

そんなトラウマを強烈に刺激してくる。
空いてしまった扉を強引に締めて、鍵を閉めなければ
出てきたミミズが大地に倒れ込み「地震」が起こる。
この作品において地震は地下の岩盤のズレから起こるものではなく、
この「ミミズ」が起こしているものと設定付けられている。

新海誠監督は「民俗学」をココ最近、話の基盤においてることが多い。
天気の子では「雨乞い」や「巫女」、そして「人柱」といった
要素で使われていたが、この作品ではもっとファンタジーな、
太古の昔の人類、発展していない科学の名のもとに
「地震」を解明しようとした人たちの想像が元になっている。

扉を閉めなければ地震が起こる。
あの震災のように、あのときのあの地震のように、
多くの人の命が奪われる。
そんな「地震」を止められるのは一人の少女と一人の青年だ。
彼らにしか「ミミズ」の姿は見えず、扉を締める鍵も青年しか持っていない。

一歩間違えば、私達も味わったあの震災が起こる。
その「一歩」が常にあやふやなまま描かれており、そのたびに警報音がなる。
見ている間中、ずっと心がざわつくような、見る側の不安やトラウマを
強烈に刺激してくる。

気まぐれな神様

扉を締める作業はたった一人の青年が行っている。
全国のありとあらゆる場所にある扉、
本来ならば一人の青年だけでは手に負えない。
しかし、大震災といえるものが数年に1度しか日本では起こっていない。

そこには「要石」というものが存在する。
ミミズの頭と尻尾、東と西で1箇所ずつ要石によって封印することで、
扉が空いたとしても震度3や4くらいの地震で収まるからだ。
そんな「要石」は神様でできている。

しかし、主人公である「すずめ」は知らずに、そんな要石を取ってしまう。
意思をもった神は猫の姿で「気まぐれ」に彼女を好いて、
彼女と遊びたいと逃げ出してしまうところから物語が始まる。

神様はいつだって気まぐれだ。
人間のためになることしてくれたかとおもえば、
気まぐれに遊びだし、気まぐれに呪いをかけてくる。
そんな神様のせいで扉を閉じる宿命をおった青年は
主人公の子供の頃に椅子に「封印」されてしまう。

非常にコミカルな描写だ。描いているテーマは非常に重い。
なにせ震災だ、本来ならコメディを入れる余裕などなく、
コミカルなシーンを入れることすら憚られる題材だ。
しかし、今作ではそんな題材を扱いながらも、
二人の主人公のうちの一人が作中の8割は「子供用の椅子」の姿をしている(笑)

たった3本しか無い足で不器用ながら駆け回る様子は
どこか可愛らしく、気まぐれな神を捕まえるためにロードムービーが始まる。
高校生な少女と椅子になってしまった青年が猫の神様を追う。
非常にコミカルな絵面をダイナミックなカメラアングルで描いている。

今作ではこの「構図」にこだわりを感じる部分が多い。
椅子と猫のおいかけっこ、そんなトムとジェリーみたいなシーンを
様々なアングルから映し出すことでダイナミックな構図が生まれており、
見ごたえがあるアクションシーンが描かれている。

冒頭から新海誠監督作品には珍しく「主観」のアングルが
描いているシーンも有り、今作からかなりこのカメラワークや
構図に新海誠監督がこだわりだしたことを感じる描写が多い。

神はどこまでも逃げてゆく、最初は宮崎にいたのに
どんどんと東京に向かって北上していく。
そんな神を女子高生な主人公と椅子な青年が追いかけなければならない。
たった二人では無理だ。震災を止めることはたった二人ではなし得ない。
そんな震災に立ち向かうために必要なものは「絆」だ。

初めてあったばかりの少女に、その地に住む人達が自然に力を貸してくれる。
時には移動手段を、時には衣食住を。
様々な土地を巡る中での「出会い」は「絆」となり、
その絆があるからこそ「震災」に立ち向かえる。

これは制作側からのメッセージだ。

「絆があれば震災にも立ち向かえる」

人は一人ではなし得ない。支え合う生き物だ。
自然という脅威に、ときに人は脅かされる。
それでも、それを乗り越え、立ち向かえることができているのは
人と人が支え合い、そこに「絆」があるからだ。

ロードムービーの中で自然にこの人と人との「絆」を描いており、
各地で主人公が食べる「料理」の数々が美味しそうで仕方ない。
前作の天気の子は「提供」の商品が露骨に映るシーンが多く、
それが作品のノイズにもなっていたが、今作ではそういう要素は
かなり控えめになっている代わりに、
自然に背景に「マクドナルド」などが映し出されている。

各地の美しい自然と、そんな街並みを震災が襲う風景。
この対比が本当に素晴らしく、
そこに住まう人と街並み、自然を見せたあとに、
「扉」から這い出るミミズがその地を破壊しようとする光景に
つながることで、緊迫感のあるシーンが続く。

今作のストーリーのテンポはかなり早い。
おそらく尺的にかなりギリギリだったのだろう。
次々と目まぐるしく状況が変わり、息つく暇もなく展開が変わっていく。

セカイかキミか

主人公である「スズメ」はどこか達観した少女だ。
シングルマザーの家庭で育った彼女は4歳で母を失い、
その後はずっと叔母と一人暮らしをしている。
彼女は言い放つ。

「生きるか死ぬかはただの運」

17歳の少女がそんな処世術を身に着けている。それは彼女の経験が故だ。
彼女の母親はあの「震災」で亡くなっている。
4歳の少女がひたすらに母を探し続けさまよい、そして諦めた。
自らが要石を取ってしまったとはいえ、すべてを放り投げても良かったはずだ。
それでも彼女は命をかけて扉を締め、神を追いかけている。

彼女は自分の「命の価値」を低く見ている。
自分の命を彼女はあっさりと投げ出そうとしているようにも見える。
過去の経験が故に、震災の中で母を失った少女であるがゆえの
自らの「命の価値観」の低さに涙腺を刺激されてしまう。

しかし、そんな彼女の代わりに青年は自らが要石となり、震災を止めようとする。
「100万人」の東京の命か、「一人」の命か。
これは前作である「天気の子」でも描かれた「セカイ系」における選択だ。
前作では東京を雨に沈める代わりに少女を救い出した。

だが、この作品は違う。
少女は「100万人」の命を救うために「一人」を犠牲にする。
前作のアンチテーゼともいうべき主人公の選択、
彼女は彼の代わりに犠牲になってもいいと思っているのに、
彼を犠牲にしなければならないという葛藤。

この葛藤が前作にはほとんどなかった。
罪悪感を背負いつつも彼らは「大丈夫だ」と宣言したものの、
見る人の価値観によっては「全然大丈夫じゃないだろ!」と
ツッコミたくなってしまったかもしれない(笑)

今作ではそんな人達と同じ考えを少女は持っている。
100万の命を救うために一人の命を犠牲にした。
そんな結果を彼女は受け入れられない、自分が変わりになってもいい、
それでも「彼」を救い出したい。

そのすえに100万人の命を犠牲にするわけでもない。
自らの命を犠牲にするわけでもない。
この旅路の果てに彼女の価値観は変わる。

生きたい、生きていたい、生きていこう。

自らの命の価値が低かった少女、
そんな少女の価値観が変わる

トラウマ

この作品は「震災」というものを題材にしている。
しかし、それと同時にこの震災は「比喩表現」にもなっている。
扉から出てくるミミズのせいで震災が起こる、
その扉は不定期に開かれる。

これは「トラウマ」を表している。いわゆる「フラッシュバック」だ。
人である以上、誰もが何らかのトラウマを抱えている。
昔言われた言葉、経験、出来事。
忘れようにも忘れられず、ふとした瞬間に記憶の扉から
それが飛び出し、自らの心をざわつかせる。

この作品で描きたいのはそこだ。
だからこそ、日本人ならば誰しもが経験し、トラウマになっている
「地震」と「震災」というものでトラウマを表現している。
あのときのあの地震を、災害を、誰もが多かれ少なかれ味わっている。

パンドラの箱だ。
この作品を見て本当に震災のトラウマが蘇ってしまう人もいるだろう。
しかし、あえてそこを逃げずにこの作品は描いている。
警報の音、地震が襲い、津波が襲ったあの街並み。

確かにあの場所は復興はしている。だが、見た目だけだ。
見た目は綺麗な光景になっているあの場所も、
少女の目線からは「綺麗」には見えない。
そのトラウマに立ち向かうにはどうすればいいのだろうか。

この作品はそんな難しいテーマを描いている。

宮城

少女は旅路の果てに自らの家があった「宮城」にたどり着く。
彼女の家があったはずの場所、そんな場所にはもう家はない。
かつてはそこにあった「街並み」はもうない。
その場所に住んでいなかった「私」でさえ、
あの光景は心を締め付けられるものであり、自然と涙がこぼれてしまう。

少女にとってそこはトラウマを掘り起こすような場所だ。
しかし、そこに行かなければ青年を助けられない。
彼女の心の中のトラウマという名の「扉」はあの時からずっと開いたままだ。
だからこそ、彼女の命の価値観は低かった。

叔母との日々はたしかに楽しかった。
しかし、それでも一瞬よぎることはあった。
母がいなくなったからこその叔母の愛の重さに疲れたこともある。
彼女の叔母は高校生になった彼女にまるで子供に作るような
「可愛らしい」お弁当を手作りしてるくらいだ。

そんな叔母も心に抱えていることがある。
普段は心の扉の奥底にしまった思い、口には決してださない思い。
姉がいなくなり姪を引き取ってしまったがために、
自分の人生は大きく「変化」してしまった。

婚期を逃した事実、人生が変わってしまった事実、だが、普段は
それを絶対に口には出さず、鍵を締め心の奥底にしまっている。
だが、漏れ出してしまうこともある。
震災で家族を失った二人の思いがぶつかるシーンは
心が締め付けられるようだ。

お返し申す

青年と出会い彼女の価値観が変わった。
トラウマを消し去るわけではない。簡単に消し去ることはできない。
でも、扉を閉じることはできる。
時折、その扉が空いて心がざわつくこともあるだろう。
しかし、その扉の奥には「思い出」も眠っている。

もう見る影もないあの頃の景色、母との思い出、
トラウマと同時に「楽しかった」日々も眠っている。
だからこそ、そんな扉がふと開いても、また「鍵」をしめることができる。
あの頃、いってきますといって出ていった家はもうない。

しかし、今、帰る場所がある。いってきますと言える場所が彼女にはある。
だからこそ彼女は立ち向かう。自らのトラウマを乗り越えてでも、
救いたい、掴みたい幸せがそこにある。
彼女が開いてしまった扉、そして要石という名の
「パンドラの箱」のそこには希望がある。

ラストは気持ちのいいハッピーエンドだ。
ご都合主義といえるかもしれない、元に戻っただけと言えるかもしれない。
しかし、「すずめ」がトラウマと向き合い、そして鍵を閉めることで
価値観が変わり、一歩踏み出す物語だ。

「おかえりなさい」と言える幸せを、
「いってきます」と言える幸せを、噛み締められる。
そんな物語に仕上がっている。

総評:日本に生きる全ての人に

全体的にみてとんでもない作品だ(苦笑)
震災という扱うには非常に難しいテーマでありながら、
そんな震災を扱ったからこそ「普遍的なトラウマ」を描くことができており、
見る人のトラウマを刺激し、そんなトラウマとどう向かうかを描いている。

非常に重い作品だ。
序盤こそ、このテーマやストーリーの方向性が見えないのだが、
中盤辺りから「震災」が「トラウマ」を比喩していることがつたわり、
この作品で何を描きたいのか、どういうメッセージが含まれているのかを
察することで何気ないシーンでも強烈に涙腺を刺激されてしまう。

「天気の子」は設定のツッコミどころや、
主人公の感情的な行動が批判を生む要因にもなっていた。
当たり前だ、彼は東京に住む人の暮らしを犠牲にする代わりに
一人の少女を助け出している。

しかし、今作ではそんな彼の行動とは真逆の行動をしている。
100万人の命を助けるために一人を犠牲にした少女、
そんな少女がそこから逃げず、自身のトラウマに向き合うことで、
ハッピーエンドにつながる物語がまっすぐに描かれている。

本当にスッキリとしたラストだ。
しかし、そのスッキリとした
ラストのはずなのにどっしりとした余韻が残ってしまう。

映像表現も文句のつけようがない。
各地域の美しい地域、そして「震災」のファンタジックな表現と
アクションの数々は強烈な没入感をうみ、
ダイジェストをあえて使用せずにテンポよく綴られた物語を
最初から最後までまっすぐに描いている。

このテーマだからこそ賛否両論はあるだろう。
あえて「東日本大震災」という言葉は使われず、そのシーンの再現はない。
エンタメとリアルのバランスが絶妙であり、
そのバランスをどう受け止めるかで評価も変わってきそうな作品だ。

今から見る人は心して見てほしい。あの震災を直接味わった方は特にだ。
私はもう1度見直す気力がわかない。
もう1度見れば1度目よりも泣いてしまうだろう。
それほどまでにボロボロに叩きつけられるような作品だった。

個人的な感想:新海誠監督すげぇなおい

見る前にほとんど情報を入れずに見たせいもあったのだが、
予想以上の地震の描写や音の表現にドキドキさせられてしまった。

今作は新海誠監督の新境地ともいえる作品だ。
SFではなく、ファンタジーに割り切ることで、
どこか「ジブリ」のような印象を受けるシーンも多く、
現代版もののけ姫のような印象も受ける。

超余談ではあるが、序盤はカードキャプターさくらが始まるかと思ったくらいだ。
おそらくは「鍵」と「マスコット動物キャラ」のせいではある(笑)

2時間の尺を長いと感じさせずに、序盤をすぎれば
あっという間に終わってしまい、鑑賞後は涙と鼻水で大変だった作品だ。
天気の子も君の名はのアンチテーゼな要素が多かったが、
この作品はそんな天気の子を更にアンチテーゼしている。

さぁ、次回作はどうなるか。もうまるでわからない(苦笑)
日本の6割位の地域を舞台にしたことで世界観が広がったものの、
新海誠監督には「ほしのこえ」で描いたような
「宇宙」というカードも残っている。

もしかしたら次回作はロボットもの…かもしれない…

「すずめの戸締まり」は面白い?つまらない?

この作品をどう思いましたか?あなたのご感想をお聞かせください

  1. 匿名 より:

    とても参考になりました。

  2. おっさんファン より:

    新海誠集大成という宣伝文句に偽りなし。前二作から確実にアップグレードして話の締めにも隙がない。間違いなく傑作です。

  3. 匿名 より:

    町並みや自然の風景の卓越した描写力を持つ新海監督だからこそ作れた作品だった。たとえ全く同じアイデアが他の人によって生み出されていたとしても、この監督並みの描写力がなくては決して成り立たなかったと思う。

    個人的に、言葉にし尽くすに足らないほどの何かが湧き上がる作品だった。アニメ映画という括りにおいては、人生で一番深く心に突き刺さってきた作品になった。この影響は私の今後を変える力を持つかもしれない。

  4. ピュアポリコネプリキュア より:

    作品自体は良かったからこそ、ジブリオマージュは不要でノイズにしか感じられなかった。正直、お偉いさんへのご機嫌取りにしか感じられなかった。
    新海誠は自身の作品だけでも勝負出来るから、ジブリ要素自体が不要!
    メアリと魔女の花もそうだけど、無理やりジブリ要素つけると作品自体がつまらなくなるんだよね。