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「STAND BY ME ドラえもん」レビュー

2.0
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評価 23点 全95分

[STAND BY ME ドラえもん]予告篇1

あらすじ 。何をやらせても冴えない少年のび太のもとに、22世紀の未来から、ネコ型ロボットのドラえもんがやってくる引用- Wikipedia

なにがドラ泣きだよ、バカバカしい

本作品は三丁目の夕日などの監督でお馴染みの
「山崎貴」が監督、脚本を手がけた3DCGアニメ映画作品。

3DCG


画像引用元:STAND BY ME ドラえもん
(C)2014「STAND BY ME ドラえもん」製作委員会

この作品はフルCGで描かれている作品だ。
ドラえもんは手書きの作画から始まり、デジタル作画へ移行し、
そしていよいよ「フルCG」でドラえもんが描かれることは
ドラえもんのアニメが始まった1973から50年近く経過したなかでの
技術の進歩を感じられる。

のび太が寝転がっている「畳」の「目」までわかるような
細かい描写でありながらもドラえもんというファンタジー作品らしい
アニメアニメした雰囲気も残っており、リアルではなく、
日本らしい「アニメ調」のCG担っている反面で、
どこか「ミニチュア」や「フィギュア」が動いているような感じすらある

廊下の窓から差す光の描写や、動く影の描写など、
細かいポイントまできっちりと描く事で
しっかりと「CG」で「ドラえもん」の世界観を楽しむことができる。
ヌルヌルと動き、コロコロと変わるキャラクターの表情は
ドラえもんという作品のキャラの魅力をしっかりと感じられる。

序盤の山場でもある「タケコプター」で空を飛ぶシーンは
のび太のドジっぷりを感じられると同時に
激しい空中アクションになっており、浮遊感たっぷりの描写だ。

大胆なカメラワークと素早いシーン展開で
爽快感溢れるタケコプターによる飛行シーンを描いており、
「のび太らしい」オチで終わることでタケコプターのシーンが
見てる側に深い印象を残すようになっている。

その反面でキャラクターデザインは違和感を感じる部分があり、
見てるうちに慣れるもののもう少しアニメや原作寄りに
出来なかったのか?と思うほど幼い。
ドラえもんのデザインがそのままだけに、人間のキャラのデザインの
幼さが妙に強調されるのは違和感を感じてしまう部分だ。

ダイジェスト


画像引用元:STAND BY ME ドラえもん
(C)2014「STAND BY ME ドラえもん」製作委員会

ストーリー的には原作通り進む内容だ。
勉強もできない、遅刻はする、運動はできない、
ドジばかりののび太。そんな彼の目の前に22世紀から
彼のひ孫というセワシ、ネコ型ロボットのドラえもんが訪れ、
セワシはこのままではのび太の未来が借金まみれになってしまう事を
告げる。

そして、そんな未来を変えるために
「ドラえもん」を彼の元へと送り出した
というところからストーリーが始まる。
誰しもが知っている「ドラえもん」というストーリーの始まりを
きちんと最初から描いている。

序盤からややダイジェストチックではあるものの、
ドラえもんの道具を使って少しずつ、のび太の日常が変わっていく。
アニメや原作を見た方ならお馴染みの懐かしい道具の数々、
遅刻にはどこでもドア、テスト勉強には暗記パン、
野球にはがっちりグローブetc…

懐かしい道具の数々を久しぶりに見て、
昔と同じように楽しい気持ちになることができる
個人的には「雲固めガス」が出た時にテンションが上ってしまった。

しかし、いろいろな道具を使っても、結局出来杉君にはかなわない。
出来杉君を見て自分を改め、「自分自身」で努力するようになるものの、
その努力が実らない。だからこそ、のび太は
「こんな自分と結婚する」しずかちゃんは不幸になってしまうからと
嫌われる努力をしようとする所がのび太という主人公の魅力そのものだ

変わろうとする努力、他人を思いやる気持ちが未来の変化につながる。
自然なストーリー展開とキャラクターの魅力を深める
序盤から中盤までの流れはダイジェストな部分はあれど面白い。

雪山のロマンス


画像引用元:STAND BY ME ドラえもん
(C)2014「STAND BY ME ドラえもん」製作委員会

中盤からは未来が物語の主軸になる。
この雪山のシーンはのび太が雪山で遭難しかけている
未来のしずかちゃんを助けるストーリーだ。
私もこの雪山のシーンは原作かアニメで見た記憶が有ったのだが、
その「記憶」と映画とでは話が違い物凄い違和感が生まれる。

少しネタバレになってしまうが原作では助けに行った「のび太」が
ドジを連発して結局助けに行ったはずのしずかちゃんに
助けられてばかりで一緒に下山する。
そんなドジなのび太を「放っておけない」と思い、
しずかちゃんは結婚を決意するといった内容だった。

しかし、この作品ではしずかちゃんが「風邪」を引いてしまい
瀕死の危機になってしまう。
しかも、のび太が余計なことをしすぎたためだ。
しずかちゃんが羽織るはずだったものまで
借りてしまい、しずかちゃんの風邪は悪化してしまう。

わざとなのか?と思うほど「のび太」という主人公を
嫌いになってしまうような展開とシーンばかりが描写される。
原作通りにせず、あえて改変してまで「のび太」という主人公に
嫌悪感を抱かせる展開にしているのは謎でしかない。

絶体絶命とも言える状況でのび太はとんでもないことをする。
それは今の自分から未来の自分への「記憶」という可能性だ。
遭難に会った日、場所、時間をしっかり過去の自分が覚える。
覚えたら未来の自分も記憶に残ってるはずであり助けに来るはずだと。
すると、大人ののび太が助けに来る。

タイムパラドクス大発生だ(苦笑)
そもそもドラえもんが来た時点でタイムパラドクスは
発生しているのだが、このシーンに限っては突っ込みどころが
多すぎる上にわざわざ原作の内容を改変してまで
オリジナルに仕上げる必要があったのだろうか?

原作やアニメの内容を知っているだけにわざわざ
「のび太」が嫌いになるようなストーリー展開にしてしまったことは
「ドラえもん」という作品が好きなだけに納得出来ない部分だ

余計な一言


画像引用元:STAND BY ME ドラえもん
(C)2014「STAND BY ME ドラえもん」製作委員会

雪山のロマンスのあとは「結婚前夜」だ。
ここでもこの作品は余計な改変をしている。
有名なジャイアン達との飲み会のシーンでは
「出来杉」や「ジャイアン」がかつてしずかちゃんに告白して
断られたことが分かる台詞が追加されている。

そんな生々しい会話など原作にはなく、余計な一言でしかない。
大人になって対等な立場での飲み会、ジャイアンもかつてのように
暴力を奮ったりしない大人の関係性だからこそ
このシーンの良さが際立つにも関わらず、ジャイアンは
子供の頃のようにのび太に暴力を奮っている。

彼らが成長している事がわかるシーンであり、
「大山のぶ代版」ではのび太をきちんとジャイアンが認めるシーンなどが
追加されることでより、このシーンの良さが際立っていたのにも関わらず
この作品はそんなことはしない。余計な一言で改変ばかりしている。
また、本来の未来で結婚するはずだった「ジャイ子」も登場させ、
のび太の結婚を祝うのはやや残酷だ。

「しずかちゃん」と「しずかちゃんのパパ」のシーンでも
余計な一言を追加している。このシーンの台詞はあまりにも有名だ。

「のび太くんを選んだ君の判断は正しかったと思うよ。
あの青年は人の幸せを願い、人の不幸を悲しむことができる人だ。
それが人間にとって一番大事なことなんだからね。
彼なら、間違いなく君を幸せにしてくれるとぼくは信じているよ。」

しかし、この作品はこの素晴らしい台詞に余計な一言を加えている。

「あの青年は決して目立った取り柄があるわけじゃない」

この一言を入れてしまったせいで、
のび太は特技や才能というわかりやすい才能はないけど、
いい人だよみたいななんとも言えない台詞になってしまっており、
それなら才能や特技もあっていいやつな出来杉を選ぶべきでは?と
思ってしまう。

すでに原作である意味で「完成された台詞」に余計な一言を
いれたせいで強烈な違和感を生んでおり、
泣くことなど出来ない。

鬼畜プログラム


画像引用元:STAND BY ME ドラえもん
(C)2014「STAND BY ME ドラえもん」製作委員会

終盤になるにつれて余計な一言や改変が目立つが、
この作品で最大の改変は「成し遂げプログラム」だ。
原作やアニメを見てる人にとって「何じゃそれ?」という設定だろう。

ドラえもんは最初、セワシくんの頼みである
「のび太の未来を変える」という命令にめんどくさがっている。
だからこそセワシくんは自分の明るい将来のためにも
ドラえもんにとあるプログラムを施す。
それが「成し遂げプログラム」だ。

このプログラムはのび太の未来が幸せなものに
変わらない限り未来に帰れず、逆に未来が幸せなものに変わったら
強制的に未来に帰されるというものだ。

ドラえもんという作品に愛着があると
「何じゃそれ?」と思ってしまうだろう。
これはこの作品を「90分」でまとめるための要素だ。

なぜドラえもんがのび太の手伝いをしているのか、
そして、なぜドラえもんは帰らなければならなかったのか。
その部分を「成し遂げプログラム」という
鬼畜すぎるプログラムを出すことで理由づけしている。

しっかりとわかりやすい理由付けることで90分のストーリーの
「起承転結」をハッキリと作り上げているのは悪くないが、
無理やり帰ろうとすると電流が流れたり、
終盤で別に帰りたくないのに強制的に48時間で帰され、
なおかつ二度と現代にこれないという設定は鬼畜の所業だ。

帰りたくないとドラえもんが叫ぶ中で黒焦げになるほどの
電流を流される終盤はギャグというよりも、
奴隷にムチを打つようなシーンを見ているような残虐さを感じ、
そんな残虐なプログラムを施しセワシの性格を疑ってしまう。

それならば原作にもある「時間旅行規制法」が制定されて
過去に来ることができなくなって、
ドラえもんも帰らないといけなくなったくらいでよかっただろう。
更にこの別れのシーンでもまた余計な改変をしている。

未来に帰らないといけないドラえもんはのび太に対して

「ぼくが居なくてもちゃんとやっていける?
「ジャイアンやスネ夫に意地悪されても、一人で立ち向かえる?」

とのび太に聞く。原作ではこのシーンでのび太は

「バカにすんな! ひとりでちゃんとやれるよ。約束する!」

と返す。のび太という主人公の成長を感じられる重要な台詞だ。
しかし、今作ではドラえもんの言葉に対し、のび太は無言だ。
しかも、ドラえもんの前から立ち去り、一人になった瞬間に

「ドラえもんの馬鹿、一人でなんかできるわけないじゃないか」

とこぼす。台無しである。
この「さよなら、ドラえもん」はのび太の独り立ちと成長を
描写する重要なエピソードだ。それなのに、それを感じさせてくれない。

原作ではのび太は自分からジャイアンにあえて喧嘩を売られ、
そこに通りがかったドラえもんを目にし、
のび太は「ドラえもん抜きでやろう」と宣言する。
だが、この作品では別にドラえもんが通りがかったわけじゃないのに
「ドラえもん抜きでやろう」と宣言する。台詞の違和感が半端ない。

こういった細かい改変のせいで素直に感動できなくしている。
そのあとの嘘800の展開もさくっと描かれており、
話が進めば進むほど生じる違和感のせいで「ドラなき」は
出来なかった作品だ。

総評:ドラえもんという作品の上澄み


画像引用元:STAND BY ME ドラえもん
(C)2014「STAND BY ME ドラえもん」製作委員会

全体的にドラえもんという作品を初めて見る、詳しくない人ならば
90分で分るドラえもんとして楽しめる作品ではある。
色々と強引な設定やダイジェスト的な展開は多いものの、
90分という尺の中で起承転結のすっきりしたストーリーにはなっている

しかし、原作やアニメ、大山のぶ代版の結婚前夜などを見ていると
話が進めば進むほど「台詞」の違和感や改変されてる部分の設定や
ストーリーの違和感が凄まじく、素直にこの作品を楽しめない。
原作の有名なエピソードをつなぎ合わせただけで、
そこで描きたいメッセージ性や意味合いを変えかねない改変も多い。

ドラえもんという作品の有名な部分やいい部分だけを
つなぎ合わせたような、上澄みだけを見せているような感じもあり、
90分にまとめるためには仕方ない部分もあったかもしれないが、
「ドラえもん」という作品に対する思い入れや、
過去のエピソードをしっかり見てるかどうかで感想も大きく変わってくる

フルCGでドラえもんを描くという試みは評価したいものの、
素直に面白いとは言えない作品に仕上がっている。

個人的な感想:ドラ泣き


画像引用元:STAND BY ME ドラえもん
(C)2014「STAND BY ME ドラえもん」製作委員会

山崎監督はどんな作品も感動路線に仕上げる事が多いが、
この作品も類にもれず、その感動路線に巻き込まれてしまった。
もう少し余計な改変を押さえれば普通に90分で分かるドラえもんとして
楽しめるる部分もあったかもしれないが、
なぜこんなに癪に障る改変をしてしまうのか謎でしかない。

「STAND BY ME ドラえもん2」はおばあちゃんとの
エピソードが中心になっているようだが、
またどれくらい改変してるのか逆に気になってしまう。

「STAND BY ME ドラえもん」は面白い?つまらない?

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