実写映画

ポリコレと共産主義のお姫様「白雪姫」レビュー

1.0
実写白雪姫 実写映画
画像引用元:(C)2025 Disney Enterprises, Inc. All Rights Reserved.
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評価 ★☆☆☆☆(15点) 全109分

「白雪姫」本予告編|3月20日(木・祝)日本劇場公開!

あらすじ かつて優しさと光であふれていた王国は、現在は邪悪な女王によって闇に支配されていた。雪のように純粋な心を持つ白雪姫は、人々が幸せに暮らす王国を取り戻したいと願うが、外見の美しさと権力に執着する女王の嫉妬を買ってしまう。引用- Wikipedia

ポリコレと共産主義のお姫様

本作品はディズニーによる実写化映画作品。
監督はマーク・ウェブ、制作はウォルト・ディズニー・ピクチャーズ

レイチェル・ゼグラー

本作品は公開前からいろいろな意味で話題に尽きない作品だった。
そもそも白雪姫というディズニーアニメの実写化なのに
白雪姫を演ずる主演の人の肌が白くない。
この時点で様々な論争がかわされてきた。

コレに関してはリトルマーメイドも同じなのだが、
問題は主演であるレイチェル・ゼグラー氏による発言の数々だ。
ディズニーアニメ版の白雪姫に対する否定的なコメントをはじめ、
様々な発言で炎上に次ぐ炎上を繰り返しており、
ここ最近はトランプに関しても様々な意見を飛ばしている。

ここ最近のディズニーはいわゆる「ポリコレ」的な表現も目立ち、
この作品がどうなるかはいろいろな意味で注目の的だった。
私もそんな事前情報を色々と目にしてはいたものの、
とりあえず、一旦、そういうことはなかったことにして
純粋に白雪姫の実写化映画として見てみることにした。

なお、ここからはネタバレも含みますので
気になる方はご注意を。

雪のように白く

白雪姫といえば雪のように白い肌という特徴があり、
だからこそ白雪姫という名称になっているというのは
皆さんご存知のはずだ。

しかし、ポリコレ的にも肌の色云々は人種差別的な表現であり、
そこを取り除かなければならない。
結果的に実写映画では「吹雪の日に生まれた」から
白雪姫だということになっている(苦笑)

お子さんの名付けに関しては色々と理由があり、
中には生まれた日に桜が満開だったから桜子みたいな感じなのもあるが、
それと似たようなニュアンスで白雪と名付けられている。
非常に安易だ、これが大雨の日に生まれた雨姫だったろう、
台風の日に生まれたら嵐姫だったのだろうか。

若干名付けの部分でかなり無理があり、
白い肌ではない主演を起用するにあたっての
改変にしか見えない部分だ。

物語はそんな白雪姫の子供時代から描かれる。
両親がまだ健在で幸せだった頃。
そんな幸せな日々を歌い、アップルパイを国民に配ったりしながら
幸せに暮らしていた。

このあとの展開との落差、幸せと不幸の対比を
描きたいからこその子供時代の描写や両親の描写という
実写映画オリジナルのシーンではあるのはわかるのだが、
非常にくどい。

作品全体に言えることだが1シーン1シーンがかなり間延びしており、
唄うシーン1つにしてもやたらくどさを感じるほど長いうえに
映像表現として退屈だ。

なにかきらびやかな演出があるわけでもない、
ただただ歩いたり踊ったりしながら、
ときには家事をしながら唄うシーンは絵面として地味であり、
見ていて退屈になってしまう。

女王

そんな幸せな日々は長く続かず、母は病に倒れなくなり、
憔悴していた王である父はぽっと出の美女に惚れて結婚し、
騙されて戦場に送られたと偽って女王に殺されている。
そのせいで幸せだった国はどんよりと曇りがかったような国になり、
国民は貧しくなり、白雪姫も召使のように扱われている。

白雪姫の現状に至るまでの展開を丁寧に描いてしまったせいもあるのだが、
この作品の元凶といえるのが父である「王」になっている(苦笑)
女にうつつを抜かしてたら権力も撮られた上に殺されてしまい、
結果的に白雪姫も国民も不幸な目に会っている。
すべての原因は白雪姫の父であり王が女にうつつを抜かしたせいだ。

それなのに白雪姫は作中で何度も父の時代は良かった、
父さえいればこの現状をなんとかできたかもしれないというが、
この現状を招いたのは父であることを分かっていない。
あの頃の、良かった日々の幻想に囚われすぎている。

もちろんうつつを抜かすのもわかる。
女王を演ずるガル・ガドットさんの美貌、
そして演技は大変素晴らしく、圧倒的な女王としての存在感が凄まじい。
一見奇抜な衣装なのだが、その衣装のクォリティも高く、
完成された女王になっている。

白雪姫はというと、幻想を抱きながらも、現状を何とかするわけでもなく、
願いの井戸に願うのみだ。
そんなある日、とある男性が現れる所から物語がようやく動き出す。

もとのストーリーを知ってるだけに
早く小人のシーンに行ってほしいのだが、なかなか行ってくれない。

白馬の王子様は置いてきた

アニメ版を見た方なら冒頭で王子様がいきなりでてきた
ところを覚えてる人も多いはずだ。
それと同じように今作では一人の男性が「じゃがいも」を
盗んでいるシーンを白雪姫が見つけてしまう。

この男性こと山賊の頭が今作におけるプリンス役だ。
ちょっとなにをいってるかわからないと思うが、
この作品に「白馬の王子様」は存在しない。

待ってるだけ、願ってるだけで白馬の王子様は現れる。
そんな甘い幻想を打ち砕くような作品だ(笑)
コレ自体は個人的には悪い改変だとは思わない。

通りがかった王子様と一瞬で恋に落ちて、
それ以来ろくに会っていない王子様にキスされて生き返る。
そこだけ抜き出すとかなりご都合主義といえなくはない、
白馬の王子様は現代にはそぐわない価値観であると
この作品はいいたいのだろう。

実際、山賊の頭自体も「白馬の王子様かとおもったかい?」
みたいなセリフを吐いてきて、そんなものはいない、
願うだけでは駄目だ、考える前に行動しなければならないと
願ってばかりの白雪姫を否定してくる。

この作品のテーマといえるのはそこだ、
なにか叶えたい願いがあるならば、やりたいことがあるならば
現状に不満があるならば待っていてはだめだ、願うだけではだめだ、
「行動」に移さなければならない。そういったテーマ性を含んだ作品だ。

なにせ白雪姫は山賊の頭がじゃがいもを盗むほど
日々の暮らしに困っていることを知ると女王に対して
「アップルパイとか国民に配るとかどうでしょうか?」と
アホみたいな提案をしてくる。

パンがなければケーキを食べれば良いんじゃないみたいな
お花畑全開の発言だ。両親が健在のときにアップルパイを国民に提供して
楽しかったからというのはわかるものの、
民が日々の食事にも困ってるのにいきなりアップルパイぶつけるのは
意味不明でしか無い。

それを女王に「甘えだ」と否定されると
苦虫を噛み潰したような表情を見せる。
音こそ聞こえてこないが舌打ちや歯ぎしりでも聞こえてきそうなほどだ。

今作の白雪姫は徹底的なまでの「共産主義」だ。
富を分配し、みんなで分け合おう、そうすれば平和に暮らせる。
公平こそが全てなのだという考えに囚われすぎている。
そのあたりが妙に鼻につく白雪姫だ。

ただ、この山賊の頭とのラブロマンス自体も悪くない。
王女様の刺客に狙われる中で白雪姫をかばい、
そんな山賊の頭に惚れる白雪姫と山賊の頭の関係性は悪くなく、
自然な恋愛模様といえる部分もある。

アニメや原作では物足りなかった部分、
説得力に書ける部分を現代的にアップデートしつつ、
恋愛描写が納得できるようになっているのは
個人的には悪くないと思った部分だ。

りんご狩りだ!

女王が鏡に世界で1番美しいのは誰かととうと
白雪姫と応え、それに怒り狂った女王が白雪姫の暗殺を企てる。
コレ自体はアニメと同じ流れだ。

ただ、ここから違和感が凄まじくなる。
街外れに兵士とともにりんご狩りに活かせ、
兵士に白雪姫を殺させるという展開なのだが、
唐突に白雪姫は一張羅に着替える(笑)

白雪姫と言われて思い浮かべるあの洋服ではあるのだが、
りんご狩りに適した洋服だとは到底思わず、
唐突にきれいなおべべに着替えているため
よくわからない感じになっている。

そこからはアニメ版と同じく
兵士が白雪姫を殺すことを躊躇し、白雪姫は森に逃げる。
ちなみに兵士は女王に白雪姫の心臓を殺した証拠に
箱に入れてもってこいといわれており、
アニメ版では豚の心臓を入れてるのだが、今作はりんごを入れている

ものすごく舐めている(苦笑)
箱を開けたら心臓ですらないリンゴが入っているという
展開は意味不明でしかなく、実写という媒体で
豚の心臓を映せなかったのかヴィーガンに配慮したのかわからないが、
ちょっと意味不明な展開だ。

7人の小人

女王に殺されかけ逃げる中で動物に導かれて小人の家にたどり着く。
アニメ版ではここで小人の家を白雪姫が動物と一緒に
掃除をするというシーンが印象に残っているのだが、掃除などしない。
疲れてすぐに小人の家で眠ってしまう。

本来は掃除の過程でベッドに刻まれた小人の名前を知り、
小人たちが目の前に現れると名前を当てるというシーンが
個人的には印象に残っているのだが、そのシーンも改変されている。

アニメではこの掃除のシーンで動物たちとの交流があるのだが、
映画ではそういったシーンがないため動物たちの関係性も希薄だ。
小人たちのシーンも家に入る前に誰かが家にいるのに気づき、
家に侵入者がいるかもしれないと探るシーンすら無い。

中途半端にリアルな7人の小人はやや不気味の谷を感じるシーンであり、
このあたりの改変やカットはよくわからないものになっている。
家の掃除のシーンも動物ではなく7人の小人とともに行うのだが、
このシーンで白雪姫は指示役だ(笑)

歌を歌いながら7人の小人たちは掃除をするのだが、
白雪姫自体は掃除道具を持っても小人にわたし、ろくになにもしない。
これは女性としての役割からの開放を表してるのかもしれない。
女王のもとでは掃除をさせられていたが、そんな女王の支配から
解放されたことで彼女は掃除をする側からさせる側になったのだ。

そんなメッセージ性すら感じるほど徹底的に
白雪姫がなにもしない。

7人の山賊

白雪姫は7人の小人に迷惑をかけまいと
小人の家からでていき、森の中で実は生きてるかもしれない
父親の情報を握っている山賊を探すことになる。

そんな中で冒頭にであった山賊の頭と再開する。
ここまではまだ理解できるのだが、意味がわからないのが
7人の山賊の存在だ。山賊の頭の部下的な立ち位置であるものの、
なぜか無駄に7人もおり、ほとんどのキャラが別に居ても居なくても
心底どうでもいいようなキャラクターばかりだ。

ちなみに山賊たちはは元々役者あるものの、
女王の政権に変わってから食っていけなくなり、
いわゆる義賊的なことをやっている。
ただ、元役者という設定が特に生かされるわけでもなく、
ほとんどの山賊たちのキャラは薄い。

事前情報の段階から小人に関しては出るでないなどの論争があり、
もしかしたら、この7人の山賊が本来の7人の小人の
ポジジョンだったのかもしれない。

それが中途半端に残っているせいかキャラとしても中途半端で、
終盤で女王退治のときに一人だけ活躍するのだが、
この立ち位置は本来は7人の小人たちの役目だ。
それを奪っているのに7人の小人もいる、
色々と再撮影なども行ったようだが、中途半端にそれが残っている。

そんな山賊とともに白雪姫を追ってきた衛兵とバトルになるが、
特に白雪姫は戦うわけでもなく囮になって逃げるだけだ。
その中で山賊の頭が凶刃に倒れてしまう。

戻るんかい!

7人の小人に迷惑をかけまいと7人の小人の家から
でてきたはずなのに山賊の頭を助けるために
白雪姫はあっさりと小人の家に戻っている。

小人たちにとっては白雪姫もそうだが、
人間は何百年ぶりかに出会った存在で、トラブルを持ち込む厄介な存在だ。
山賊たちもそんな小人の対応にやきもきし、喧嘩になるのだが
ここで白雪姫の御高説が爆発する。

広い心でみんなが思い合えば、みんな等しく幸せになれる。
未だに理想的な共産主義を捨てきれずに居る。
そんな演説に感動し、小人たちが協力してくれて
山賊の頭も助かってハッピーだ。

そうかと思えば山賊が生きているかもしれない
白雪姫の父親を捜索しようと言い出し、
とりあえず衛兵をまくために2日間逃げ回るから待ってくれと
言ってくる。

そんな山賊の頭に白雪姫は父からもらったペンダントを
彼にわたし、帰りを待っている。
だが、そんな山賊の頭は驚くほどあっさりと捕まる(苦笑)

しかも、白雪姫はペンダントをわたしていたせいで
山賊の頭と白雪姫のつながりもバレてしまう。
バカなの?と言いたくなるような展開だ。

毒リンゴ

白雪姫の居場所を知った女王は老婆に変身し、
毒リンゴを食わせにやってくる。
アニメでは「願うが叶うリンゴ」と偽って食べさせていたが、
映画では父のエピソードを持ち出し、白雪姫に
旅の支えにといって渡すのだが、すぐに白雪姫はかぶりつく(苦笑)

眠りにつく白雪姫に対して
「この世で1番美しいのは誰?」と聞いてくる女王は
ちょっと意味がわからない、白雪姫は鏡じゃない。
もう眠りにつこうとしている人間にその問いをするのは意味不明だ。

そのあとは脱出した山賊の頭のキスによって生き返るのだが、
この国の警備のガバガバさはすごい。
山賊の頭に至っては冒頭でも磔にされるのだが
あっさり逃げており、終盤では山賊たちは城に侵入している。
ガバガバ警備だ。

結局、父も亡くなっており、白雪姫は女王の心を知ったことで
「革命」をいきなり決意する。
時が来た!というのだが、
何を持って時が来たのかちょっとわからない。

革命

白雪姫は単身、国に乗り込む。
すると子供時代から幽閉されていたはずの白雪姫を見て
国民が白雪姫だと気づき、なぜか歌いながら彼女の後に付いてくる。
ぞろぞろぞろぞろ国民全員が彼女の後に付いてくるのだが、意味がわからない。

城までたどり着くと、女王と対峙し、
女王が王を殺したことを暴露するが、特に証拠はない。
そんな事実に国民が驚くものの、基本的に彼らは見ているだけだ。

女王は手品師のように花を出したり宝石を出したりして
国民たちに色々と御高説をふりまくが、
結果的に白雪姫が国民一人ひとりの名前を覚え呼ぶことで、
彼らの目が冷めて革命は成功する。

驚くほど浅い革命だ。
奇しくもディズニー100周年作品である「ウィッシュ」で
同じような革命話が描かれていたが、ウィッシュと比べると
この作品の革命の話の浅さがより際立つ。説得力の欠片もない

ラスト

ラストの展開はちょっと意味不明だ。
怒り狂った女王が鏡に再びこの世で1番美しいのは誰か問いかけると
鏡は

「確かに女王の見た目は美しいけど、
白雪姫の心からも来る美しさには叶わない、ざまぁw」
といわれ(私の独自解釈を含みます)、乱心し鏡を壊すと
なぜか女王も鏡の破片のように割れて鏡に吸い込まれて終わる

意味がわからない(苦笑)
アニメでは小人に追い詰められて谷底におち、
グリム童話では真っ赤に焼けた鉄の靴を履かされ、死ぬまで踊らされる。
というエグい展開を描いているのだが、実写版では
鏡に吸い込まれて終わるという謎の展開で終っている。

そんな女王を倒したことで政権が白雪姫にうつったのはわかるのだが、
ラストのシーンで国民全員が「真っ白」な
衣装で幸せな顔で踊り狂うさまは
まるで共産主義を象徴するかのようなラストであり、
やや狂気じみたもので終っていた。

総評:100年前のアニメに劣る出来栄え

全体的に見て約100年前のアニメ映画にありとあらゆる部分で
劣ってしまっている作品だ。主演の見た目や発言がどうこう以前の問題であ
り、
作品全体として映像の面白さがまるで無い。
ハイホーのシーンなど一部派手なシーンはあるものの、
どのシーンにしても地味な感じの絵面が多く印象に残りづらい。

特にミュージカルシーンはハイホーや掃除のシーン以外は
本当に印象に残っていない。
ただ歩くだけで地味な絵面のなか歌っているシーンが多く、
このあたりはリトルマーメイドの実写化と比べてもかなり見劣りする部分だ。

作品のメッセージ的に起用できないという問題ではあるが
「いつか王子様が」が作品内で起用されていないのも気になるところだ。
白雪姫を象徴する曲であり、そんな曲を使えないくらい
実写映画は改変してしまっている。

ならばそもそも白雪姫である必要性がない。
現代的な価値観で女性が白馬の王子様に憧れて
家事をして待ち続けるというのは確かに古い価値観なのかもしれない。
だが、古くともそれも価値観の1つだ。

多様性を推し進める価値観自体は間違っていない。
だが、その中で古いとされる価値観が多様性の中に含まれず、
そのせいで現代的に白雪姫を多様性を含んで描こうとした結果、
作品としてわけのわからないものになっている。

いつか王子様がと願うのではなく、自らが革命を起こし女王を討ち滅ぼす。
そんな白雪姫を見たいと誰が思うのだろうか。
少なくとも私が見たいのはアニメの白雪姫の実写化だ。
これはアニメの白雪姫を実写化でもグリム童話の白雪姫の
実写化でもない、白雪姫というタイトルがついたなにかだ。

共産主義の国に生まれたお姫様が、利己主義、資本主義に
染まった女王による国を再び共産主義の国に変える話でしかない。
そこにはあの白雪姫にあった白馬の王子様への憧れも夢もない。

ディズニーが描いてきた夢と憧れ、
それを自ら打ち壊しているだけに過ぎず、
なんだかなーという感覚になってしまう作品だった。

個人的な感想:失敗することは分かってた

この作品が失敗することは事前情報の段階から目に見えており、
興行収入もかなり苦戦している。
リトルマーメイドの半分以下になるのではといわれてるくらいだ。

そういった事前情報やポリコレ云々を抜いて
先入観なくこの作品をみても映像的な盛り上がりの薄さ、
再撮影でのこった残骸のような7人の山賊など
気になるところが非常に多くツッコミどころも多い。

「いつか王子様が」が起用されない段階で
白雪姫の実写化としてはもはや別物のなにかでしかない。
現代的な価値観に合わせようとしたのはわかるものの、
それならば白雪姫じゃなくてもいいとなってしまう作品だった。

「白雪姫」に似てるアニメレビュー

監督:デヴィッド・ハンド, Writer:ドロシーアン・ブランク, Writer:リチャード・クリードン, Writer:メリルデ・マリス, Writer:オットー・イングランダー, Writer:ヤーコプ・ルードヴィヒ, Writer:アール・ハード, 出演:小鳩くるみ, 出演:三林輝夫, 出演:里見京子, 出演:熊倉一雄, 出演:滝口順平, 出演:北村弘一, 出演:槐柳二, 出演:千葉順ニ, 出演:二見忠男

「白雪姫」は面白い?つまらない?