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最低最悪「しん次元! クレヨンしんちゃん THE MOVIE 超能力大決戦 〜とべとべ手巻き寿司〜」レビュー

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しん次元! クレヨンしんちゃん THE MOVIE 超能力大決戦 〜とべとべ手巻き寿司〜 人気記事
(C)臼井儀人/しん次元クレヨンしんちゃん製作委員会
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評価 ☆☆☆☆☆(3点) 全120分

【予告】『しん次元!クレヨンしんちゃんTHE MOVIE 超能力大決戦 ~とべとべ手巻き寿司~』8月4日(金)公開

あらすじ かつて、ノストラダムスの隣町に住んでいたヌスットラダマスが「20と23が並ぶ年に天から2つの光が降り、世界に混乱がもたらされる」という予言を残した。引用- Wikipedia

最低最悪

本作品はクレヨンしんちゃんの劇場アニメ作品。
クレヨンしんちゃん映画としては31作目の作品となり、
初のフルCG作品となる。
監督は大根仁、制作は白組、シンエイ動画

2つの光

映画冒頭、2つの光が地球に到来する。
そんな事件はつゆ知らず、しんのすけはブラジャー仮面となり
相変わらずのユニークな行動を繰り返している。

本作品はフルCGのアニメだ。
だからこそではあるのだが、キャラクターデザインには
若干の違和感を感じてしまう部分がある。
フルCGアニメ特有の「ふわっ」とした重さを感じない描写は
CGアニメが苦手な人には受け入れがたいものがあるだろう。

制作の白組といえば、同じ国民的アニメである「ドラえもん」の
フルCGアニメ映画にも関わっていたが、
ドラえもんと比べるとセルルック的なアニメ調のCGになっており、
それが余計に違和感を強めている。

映画冒頭から、しんのすけが自由に動き回り、
みさえがそれを追いかけるというアクションシーンがあるのだが、
そのシーンもアニメーションとして面白いとはいい難い。

そんな中で非理谷充という人物も描かれる。
アイドルオタクな彼は卑屈でバイトに明け暮れる日々だ。
だが、推していたアイドルは結婚し、
強盗犯に間違われて警察に追いかけられてしまう。

すると「2つの光」が彼としんのすけを襲う
というところから物語が始まる。
2つの光に襲われた人物は「超能力」を得ることが出来る。

ギャグ

映画冒頭から、かなりギャグが多い。しかし、このギャグが滑り気味だ。
とにかくギャグを入れ込もうとしているのはわかるが、
重要な説明シーンでさえギャグでシリアスにしないようにしてたり、
ギャグが多すぎて胸焼けしそうになってしまう。

超能力者になってしまった「しんのすけ」は
悪の超能力者に対抗するためにも超能力研究機関で鍛えることになる。

一方で非理谷充は「社会」そのものに恨みを抱いており、
彼は社会に復讐をしようと己の力を使い出す。
この彼の描写が問題だ、人の幸せを恨み、社会を恨んでいる。
そのわがままな感情を超能力を使って爆発させている。

「誰が俺をこんなふうにした!」

いわゆる無敵の人のような描写をしている。
オタクでチー牛でフリーターなガリガリな男は
こういう性格だ、そういう決めつけの元、キャラクター描写を
しているかのようなイメージだ。

彼は何度も社会への恨みつらみを吐き散らかす。

「この国に未来はない」「お先真っ暗だ」

このセリフ自体はいいのだが、その後にさらにこんな台詞が続く

「経済も行き詰まって、大人たちは自分が生き延びることで精一杯、
下の世代のことなんて考えてる余裕もねぇ!」

これが子供向けアニメ映画のセリフだろうか?
クレヨンしんちゃんはもともと、大人向けの漫画雑誌で
連載していたものだが、アニメ自体は子供向けだ。
30年以上、TVアニメでもアニメ映画でも、子供という
視聴者層を意識した作品を作り上げてきた。

しかし、この作品は違う。
この作品を見る「子供」というものを意識しきれておらず、
制作側の政治的思想すら透けて見えるような作品だ。

非理谷充はひまわり幼稚園に立てこもり、
吉永先生とかすかべ防衛隊を人質に取るのだが、
風間くんは「犯人の機を逸してみんなで襲いかかろう!」と
吉永先生に提案し、それを吉永先生も承諾してしまう。

意味がわからない。確かに彼は武器らしい武器はもっていない、
だが、殴られたりして園児が傷つく可能性もある。
そんな可能性がある作戦を躊躇なく吉永先生がやってしまう
展開は意味不明でしか無い。

そんな非理谷充はヌスットラダマス2世という黒幕に仲間に誘われる。
彼は令和転覆団というものを作り上げており、
「少子化」「高齢化」「社会制度崩壊」など今後50年の
日本で起こる日本を変えようとしている。

日本に未来はない、何度も何度もこの作品は告げてくる。
まるでTwitterにいる左翼のような発言がどんどん出てくる感じだ。
アニメでもそういう思想が描かれる作品はあるが、
そんな思想をクレヨンしんちゃんで描く必要性はまるで無い。

非理谷充のパワーを利用して国家転覆を企み始める。
そんな危機を防げるのは「しんのすけ」だけだ。

敵に対抗するために、しんのすけは巨大な
「カンタムロボ」のフィギュアを超能力で動かそうとするのだが、
超能力のパワーが足りない。
そこで出てくるのが「フカキョン」だ

ちょっと意味がわからなすぎる。
超能力者の研究者によると深田恭子さんが歌う
「キミノヒトミニコイシテル 」が超能力のパワーを増大させる効果があるらしく、
「キミノヒトミニコイシテル 」が流れ出す。

本当に意味がわからない。これが最近流行りの歌手だったり、
少し前に大ヒットしたような曲ならまだわかるのだが、
なぜか20年以上前の対してヒットしていない
深キョンの曲をこの作品はわざわざ選んでいる。

本当に意味不明すぎて頭が痛くなってきそうだ。
制作側とすれば、それが「面白い」と思ってやっているのかもしれないが、
失笑どころか表情筋すら動かされないほど滑りまくっている。

大人でも表情筋が死ぬレベルだ、子供が見ても意味不明でしかない。
とことん「子供」というメイン視聴者層を無視している。

俺達が子供だった頃

そんな令和転覆団の主張にひろしたちも同調している。
俺達の頃は良かった、自分たちのように幸せな家庭を築いていれば
非理谷充みたいな人物にはならなかった。

これも偏見だ。
いわゆる無敵に人はオタクで非リア充でチー牛で、
家庭がうまくいっていなくて、いじめられっこ。
そういう偏見のもとに作られる古臭いキャラクター像は
どこか「ドラゴンクエストV」のあの終盤の展開を思い起こさせる。

暴走した非理谷充を相手にしんのすけはカンタムロボにのり、
ひまわりの強力も合って彼を倒すことに成功するものの、
我を失い怪物となった非理谷充に、
しんのすけは飲み込まれてしまう。

はぁ?

非理谷充の中に飲み込まれた「しんのすけ」は彼に心に触れる。
仕事が忙しい両親のせいで、彼は子供の頃から一人だ。
誰も自分を応援してくれない、頑張っても報われない。
小学生になってもいじめにあい、両親は離婚してしまう。

そんな彼の心にしんのすけは寄り添う。
友達でも恋人でもなく「仲間だ」としんのすけは言い放つ。
だが、説得力がまるで無い。
しんのすけと非理谷充では環境があまりにも違いすぎる。

しんのすけは恵まれた子供だ、幸せな家庭で育ち、
両親も中が良く、いじめられてもいない。
非理谷充としんのすけでは家庭環境というものがあまりにも違う。

未来に絶望している非理谷充と、未来に希望をいだいているしんのすけでは
置かれている立場も環境も違う。
しんのすけがいくら「充くんはひとりじゃない!仲間だぞ!」といっても、
環境の違いが故に説得力をまるで感じない。

そんな中で暴走する非理谷充に「ひろし」の靴下が投げ込まれる。
学生時代のいじめっ子にしんのすけがひたすら殴られる描写も
不快であり、鬱々とした気分になってしまう。

ひろし

ひろしの靴下のお陰で非理谷充は我を取り戻す。
「しんのすけ」が彼の記憶に介入することによって
非理谷充は一人ではないと感じる。
この展開自体はそこまで悪くはないが、問題はラストだ。

黒幕が最後の最後まで叫ぶ
「この国に未来はない!子供の未来はお先真っ暗だ!」
そういいながら黒幕はどこかに去ってしまう。

しんのすけは不安に思い、ひろしに問いかける。
「おら達に未来はないの?」
だが、そんなしんのすけをひろしは励まし、
ひろしはさらに非理谷充をも励ます。

「君は若い!何でも出来る力がある!やろうとしなかったからだろ!
 この国の未来は確かに明るくないかもしれない、
それでもいきていかないといけない、頑張れ!」

あまりにも無責任だ。頑張れと連呼するものの、
ひろしはすべてを手に入れた幸せものだ。
結婚していて、子供も二人いて、収入も安定していて、
車もあり一戸建ての家まである。

そんな恵まれているひろしに頑張れといわれても
皮肉しか聞こえず、ヘドが出そうになってしまうほどだった。

総評:子供向け作品を老害思想に染めるな

全体的に見て、制作側の思想のようなものが透けて見えてしまう作品だった。
敵となるキャラは「日本に未来はない」と連呼しまくっており、
最後の最後まで日本の将来に希望はないと言い放っている。
そんなセリフを子供にきかせたいだろうか?

少子高齢化やエネルギー問題など、政治番組に出そうな
ワードがぽんぽんと飛び出しており、
飛び出すのはいいものの具体的な解決法を示すわけでもなく、
ただただ「頑張れ」という抽象的な解決方法で終わっている。

この頑張れの無責任さったらない。
しんのすけが子供時代の敵と触れ合うことで、彼の考えが
変わる流れ自体はいいのだが、本来はしんのすけという
恵まれた環境で育っている子供の言葉は響かない。

最後もひろしが無責任に頑張れ、やろうとしなかったからだろと
言い放つが、見ている側からすれば非理谷充という男も、
頑張っても報われなかっただけ、家庭環境故にそうなってしまっただけで、
彼自身が頑張らなかったからではないことは明らかだ。

そんな彼に頑張れ、やろうとしなかったからだと
言い放つひろしというキャラクターにさえ嫌悪感を抱いてしまう。

フルGCのアニメーション自体はヌルヌル動く部分は面白いのだが、
カメラワークやスロー演出の多様など、
アニメーションとして面白みに書ける部分も多い。

序盤から中盤まではまだいいのだが、終盤は露悪的で、
ひろしという何もかも持っている男に、
何も持っていない男である非理谷充が頑張れと励まされる構図は
本当に醜悪だ。

非理谷充という男は別に頑張ってないわけではない。
これで親のすねをかじっているニートにいうならまだしも、
彼は一応バイトはしている。推しのアイドルを応援しようと頑張ってた。
そんな彼にお前はやろうとしなかった、もっと頑張れという
セリフを吐き散らかすのは悪手でしか無い。

これがオリジナルの映画ならまだしも、
クレヨンしんちゃんという国民的なアニメでやる必要性はまったくない。
国民的なアニメを制作側の思想を染め上げる、
本当に最低で最悪な作品だった。

個人的な感想:やりたいことはわかるが…

終盤のしんのすけはずっと5才児の姿で
成長していく過去の非理谷充を応援し続けている。
非理谷充は30歳の男だ、クレヨンしんちゃんという作品を
見続けてきた私達であり、しんのすけがずっと30年間、
寄り添ってくれてるんだよという展開自体は悪くない。

しかし、描き方が本当に悪すぎる。
暴力描写もフルCGになったことで妙に生々しく、
それが余計に終盤の描写の気持ち悪さを後押ししてしまっていて、
見ていて気分が悪くなる感覚だった。

次回のクレヨンしんちゃんは2Dに戻るようで一安心だが、
国民的なアニメをフルCGにすると本当にろくなことにならないことを
証明するような作品だった

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