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「劇場版ポケットモンスター 結晶塔の帝王 ENTEI」レビュー

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評価 ★★★★☆(62点) 全70分

あらすじ 美しい高原の街「グリーンフィールド」に住む少女ミーはアンノーンの研究をしている父親のシュリーと共に暮らしていた引用- Wikipedia

偽りの幸せに抗え

本作品はポケットモンスターの劇場アニメ作品。
ポケットモンスターとしては3作品目の劇場アニメとなる。
監督は湯山邦彦、制作はOLM

アンノーン

映画の冒頭は父と娘の物語が描かれている。
アンノーンという謎の多いポケモンを研究している父、
そんな父のしごとの忙しさを理解しつつも、
まだ5歳の娘は寂しさを隠しきれていない。
母が居ない少女、そして父も行方不明になってしまうところから物語が始まる。

たった一人になってしまった少女、そんな少女の思いに
「アンノーン」というポケモンが答える。
他のポケモンと違い「CG」で描かれているアンノーンは独特の存在感がある。
一匹ではなく何匹も現れ、なぜか少女の願いを叶えようとするアンノーン、
それも「歪な形」で叶えてくれる。

彼女の願いはいなくなった父を取り戻すことだ。
だが、そんな願いを聞き入れたはずのアンノーンは
父を取り戻すのではなく、彼女が父と似ているといった
「エンテイ」を呼び出してしまう。

存在も言葉もよくわからないアンノーン、
そんなアンノーンがなぜ少女の願いを歪な形で聞き入れるのか。
エンテイもまた父として彼女に歪な愛を与える。

大人になって見返すと非常に歪んだ始まり方に見えてしまう。
アンノーンの存在の不気味さ、少女の願いを歪な形で叶え、
それを受け入れるエンテイの姿と、
子供の頃には気づかなかった独特の怖さを感じる部分がある。

バトルしようぜ!

そんな歪んだ冒頭からサトシの道中が描かれる。
旅の途中で出会ったトレーナーとOP曲が流れる中で
ポケモンバトルが繰り広げられる。

前作ではポケモンバトルの要素がかなり少なかったが、
今作では1作目と同様にきちんとバトルが描かれている。
これも後の映画のお約束となっている冒頭のバトルシーンであり、
サトシの今の手持ちのポケモンが勢ぞろいで登場し、
出会ったトレーナーとバトルする姿が描かれている。

この3作目まででポケモン映画のいわゆる「テンプレート」が
固まったような印象だ。
この当時のOP曲である「OK! 2000」」も印象深く、
ノリノリなエレキギターが流れるリフと
松本梨香さんらしい歌声がバトルを自然と盛り上げてくれている。

ママ

そんなサトシたちが向かっているのが「グリーンフィールド」だ。
自然豊かな緑の街との評判の街が、なぜか結晶で覆われてしまっている。
しかも、街に訪れていたサトシのママまでさらわれてしまう。

「ママがほしい」
そんな少女をこれまた歪んだ形でエンテイが叶えようとする。
単純に誘拐するだけでなく「洗脳」までして、
ママを演じさせようとしている。

本当のパパでも本当のママでもない。
偽りの家族で少女は幸せを感じる。
幸せを感じれば感じるほど、外の世界は凍りついていく。
まるで自分の心を守るように、偽りの世界を守るように。
自らの世界が偽りだとどこかで感じているからこそ守ろうとしている。

結晶の世界

結晶で覆われたグリーンフィールドの街も独特だ。
まるでホラーゲームでもやっているかのような雰囲気がある。
そんな街の中をママを救うためにサトシが冒険するさまは
独特の緊張感が生まれている。

どこか寂しさを感じる世界。
アンノーンの声と歌声がよりホラーな雰囲気を加速させている、
この世界はいわゆる「心象世界」だ。
「ミー」という少女の心の世界を反映しているからこそ、
この世界は寂しく、どこか怖さを感じさせる。

5歳の少女が母も父も居なくなってしまった。
そんな状況における少女の心の寂しさは我々が想像する以上に
不安と恐怖と寂しさを抱えているのだろう。
偽りの父と偽りの母がいなければ小さな心を保っていられない。

だが、サトシたちの行動を見て彼女は「現実世界」に興味を持つ。
サトシたちが自分の心の世界に土足で踏み入れ、
困難な道程をポケモンとともに乗り越えていく姿を見て、
彼女の心が少しずつ解れていく。

だからこそサトシたちという他者とポケモンバトルで関わろうとする。
自らの姿を大人に変え、サトシたちにポケモンバトルを挑むことで、
ポケモンを通じて心をぶつけ合い、現実世界への興味をわかせていく。
ある意味でこの作品は一人の少女のセラピーのような作品だ。

自分の世界にはない価値観、自分の世界にはない存在と
触れ合うことで、心を閉ざした一人の少女が
少しずつ現実世界への扉を開いていく。

仲間とともに

だが、そんな現実を「ミー」という少女は拒絶する。
現実世界には父も母も居ない、そんな現実を彼女は直視できない。
彼女の世界の中でサトシたちは彼女を現実へと誘う。
偽りのポケモンを作り出し、現実を拒絶する彼女と戦いながら、
現実と虚構の中で彼らは問い続ける。

少女にとって果たして現実は幸せなのだろうか。
偽りとは言え父も母もいる虚構の世界と、父も母も居ない現実の世界。
どちらにも正義がある、どちらも間違ってるとはいえない。
こんな難しいテーマを「ポケモン映画」という作品は
数々のポケモンを出しながらのバトルというエンタメをしつつ魅せている。

こんなの間違っていると叫ぶサトシに対し、
エンテイもまたそんな間違いをわかりつつも叫ぶ
「たとえ間違いでも、 私はミーの願いを叶えてあげたい」

1作目も子供向けのポケモン映画としてはかなり異質だったが、
3作目も同様の異質さがある。
虚構の世界での幸せはあくまでも虚構だ、だが、幸せはそこにある。
いつか現実を見なければいけないと思いつつも、
そんな虚構の幸せに人はしがみついてしまう。

偽りの父

たった5歳の少女に問いかけるにはあまりにも重い内容だ。
彼女の虚構を守るために戦うエンテイ、
だが、そんなエンテイによって多くのポケモンが傷ついていく。
そんな光景を5歳の少女は見ていられない。

サトシたちと出会い、彼らと戦い、問いかけあったことで彼女の現実への扉が開く。
虚構の世界に幸せはあるかもしれない、だが、現実の世界には可能性がある。

本作品に出てくるエンテイは本物ではない。
あくまでも「ミー」という少女の思いをアンノーンが
具現化しただけの存在にすぎない、この世界が壊れればエンテイの存在も消える。
それをわかっていながら「エンテイ」というポケモンが
彼女の「父」として彼女を導こうとする姿に涙を誘われてしまう。

父だからこそ自分を犠牲にできる。
自分ではなく他者を、誰かを愛するからこその自己犠牲が
美しく描かれていた。

総評:ポケモン映画初期三部作の凄さ

全体的に見て素晴らしい作品だ。
一人の少女が現実に立ち向かうための心の準備をする。
そんな物語が70分度の尺の中で描かれており、
ここまで濃い内容なのに終わったあとに
この作品がたった70分しかないことに驚いてしまうほどだ

両親がいない孤独になった少女の思いをアンノーンが
歪んだ形で叶え虚構の世界の幸せに浸らせる。
ややホラーじみた雰囲気も漂わせており、
そんな「心の世界」にサトシたちが入り込み、少女と触れ合うことで
孤独な少女が現実に立ち向かうようになる。

そんな物語が起承転結スッキリと描かれている。
テーマだけ見れば非常に重苦しい内容なのだが、
そのテーマを若干濁すようにポケモンバトルがふんだんに描かれているのが
本作品の良さだ。

子供目線で見ればそんなポケモンバトルを楽しみつつ、
起承転結スッキリとしたストーリーを楽しむことができ、
大人目線で見ると意外と重いテーマに舌鼓を打ちつつ楽しむことができる。
1作品目と同じような異質さはありつつも、
しっかりとした面白さを感じさせてくれる作品だった。

個人的な感想:驚いた

個人的にこの作品は子供の頃に1回みたくらいで
記憶がかなり薄かったのだが、大人になって見返して
非常に深いテーマで描かれていることに驚いてしまった。

この3作目までを首藤剛志さんという脚本家さんが手掛けており、
初期のTVアニメのポケットモンスターの多くの脚本も手掛けている。
だからこそ、この三部作はのちの作品につながるような要素も多く、
ちょっと別格じみた面白さを感じさせてくれる
ポケモン映画3部作なのかもしれない。

1作目で自己確立をえがき、
2作目で他者との共存をえがき、
3作目で自己犠牲を描いている。

人間の心の変化と成長が初期の三部作で描かれている。
大人になったからこそこの三部作のテーマに気づくことができる作品だった

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