夏休み期間、みなさんいかがお過ごしでしょうか。
どうも笠希々です。
台風が何やらコミケに直撃しそうな気配もあって、
コミケに行かれる方は心配かもしれませんが、
私はコミケに行く予定はありません。
人混みが嫌いです(苦笑)
さて、今回はそんなオタクたちが集うコミケに乗じて、
「アニメ」という趣味に対する批判への
反論をまとめたものになります。
アニメは幼稚な趣味だ。
これはもう、ここ10年どころか30年くらい
言われてるような決まり文句です。
しかし、果たしてアニメは幼稚な趣味なんでしょうか?
今回は私自身の考えをまとめていこうとおもいます。
主張
だいぶ前になりますが、芥川賞作家の
丸山健二さんという方がTwitterで
こんな発言をされていました。
「少年期を過ぎたならば、アニメやゲームという
非現実の世界からは完全に手を引かなければならず、
さもなければ、自立や自律とはいっさい無縁な、
不気味極まりない子ども大人として異様にして
異常な人生を送るだけならまだしも、
社会全体と国家全体を尋常ではない集団に仕立て上げ、
暴力の狂気を迎える。」
少年期ということからして男性オタクに対する批判のようです。
女性オタクも男性オタクと同じくらい、
下手したら男性オタクも多い時代なのですが、
男性はダメで女性は良いのか?などの疑問も浮かんできます。
(少年期という言葉は正しくは男女の区別はありませんが)
批判をされていた丸山健二さんも小説家であり、
「非現実の世界」を描いているので随分な矛盾を孕んだ
発言だなと当時は感じたものです。
これでノンフィクション作家とかなら話は違いますが…
自立してない?
丸山健二さんのツイートはこういったアニメ、オタク趣味批判に
対してのわかりやすい意見の1つです。
まずオタクは「自立」していないのか?というのを考えていきましょう。
もちろん、オタクといっても結婚してる方もいれば、
一人暮らしの人、実家ぐらしのひと、様々です。
子供を持ってるひとも居ます、社会人も大勢います。
これは自立していないでしょうか?
「不気味極まりない子ども大人として異様にして異常な人生を送る」
たしかにそういうひとが居ないとは言いません。
ですが、そうでないひとも居ます。
自立してるかどうか、異様な人生をおくってるかどうか、
これはもう、オタクかそうでないかに限らず、個人の問題です。
オタクの中にそういう人が多いのか?
詳しい統計が有るわけでは在りませんが、
丸山さん自身も統計的なデータを元に発言されたわけではありません。
私のTwitterのフォロワーの99%はオタクだと思いますが、
結婚されてる方、学生、主婦、サラリーマン、OL、社長、
もうありとあらゆる属性の人で構成されており、
「こういう人がオタクには多い」というのが無いくらい、
多種多様な職業、生活を送っています。
「カテゴリーをベースにステレオタイプを押し付けるのは差別である」
これは宮台真司さんという方の言葉ですが、
丸山さんの発言は「オタク」というカテゴリーにたいして、
ステレオタイプな「大人はオタク趣味をやめるべき」というステレオタイプな
主張を元にした立派な差別発言です。
おそらく自覚はされていないでしょう。
大人とはこうあるべきという考えがそういう発言に繋がっているんだと思います。
また、この発言をされた当時は「鬼滅の刃」ブームが巻起こったくらいで、
そういうものに対する批判だったのだと思います。
個人的には、そんな鬼滅の刃に対するただの嫉妬にしか思えません。
幼稚な趣味
アニメは子供が見るもの、簡単に言えば幼稚な趣味という
考えが丸山健二さんを含めて有るんだと思います。
幼稚な趣味を大人になっても続けてる、
そんなのは正しい大人ではない。
こういう考えがあるからこそ、オタク趣味を否定されるんだと思います。
そもそも別に幼稚な趣味を大人になって続けていても
何が悪いんだという話もあります。
大人になってもアンパンマンガチ勢な方やリカちゃん人形が好きな人も居ます。
それを幼稚な趣味と否定するほうが私には幼稚に思えます。
そもそも、子供のが見るものであるアニメ、子供のころに楽しんでいたもmの、
いわゆる「子供の趣味」というべきものを大人になっても
続けている人は多くいます。
ディズニーが子供の頃から好きで大人になってもディズニーが好き、
そんな人を幼稚な趣味だ!そんなものは子供のときに卒業スべきだ!と
怒り心頭になる人はどれくらいいるのでしょうか。
子供の頃に野球やサッカーをしていて、
大人になってもそういったスポーツをされているかたも大勢居ます。
昆虫採集をしていた子供がおとなになって標本を集めていることもあります。
子供の頃の趣味を大人になって続けることの何が悪いのでしょうか。
アニメは子供のもの
今の50代以上くらいの方は「アニメは子供のもの」という
イメージを持つ人も多いのかもしれません。
確かに今から30年、40年くらい前のアニメは
子供が見やすい時間帯に子供向けのわかりやすい内容の
子供に向けたアニメが多く作られていました。
しかし、今は違います。
ゲームや漫画もそうですが、アニメも多く制作される中で、
子供向けから大人向けまで多くのアニメが制作されています。
同じ非現実の世界を描いている小説や映画と
変わらないほど子供も大人も楽しめる作品が
アニメや漫画やゲームには溢れかえっています。
結局、この固定観念が最大の原因なのかもしれません。
アニメやゲームや漫画は子供が楽しむ低俗なもので、
だから大人はそんな低俗な趣味を持たずに、
もっと高尚な趣味をもつべきだという考えなのでしょう。
歴史
逆に何を持って高尚なのか。
クラシック音楽や美術館鑑賞などを嗜めばいいのでしょうか。
それらのものも確かに偉大であり、歴史があり、
多くの人から評価されたからこその価値があると思います。
その歴史がアニメやゲームには足りないのかもしれません。
もしかしたら100年後、200年後くらいには
アニソンやゲームミュージック鑑賞がクラシック音楽と
変わらないくらいの権威を持ってる可能性すらあります。
畑亜貴さんや梶浦由記さんが
1000年後には「ベートーヴェン」みたいな評価を受けてる可能性も
なくはないのではと私は感じています。
やや過言かもしれませんが(笑)
それほど「歴史」というものは重要なのかもしれません。
明治時代には「小説」を読むとバカになるなんて
言われてたようですが、今や夏目漱石などの小説を読んで
「馬鹿になるからやめなさい」という大人は居ないでしょう。
鉄腕アトムくらいから広まった日本のアニメの歴史は
まだ6、70年ほどしかありません。
これがあと30年、40年とたち100年を超えれば、
固定観念に縛られたひともいなくなり、
アニメや漫画やゲームを幼稚な子供の趣味という人も
少なくなるかもしれません
現実逃避
これもまたよくきく言葉ではあります。「オタク趣味は現実逃避」なのだと。
この意見に関しては私はある種、正しいと思っています。
人は生きていく上で何かで現実逃避をしているものではないでしょうか。
それが人によってはスポーツだったり、お酒だったり、食べ物だったり。
その違いでしか無いように感じます。
オタク趣味もそういった現実逃避の1つの手段としてみても
別に良いのではと私は感じています。
自分が面白いと思うことを、楽しいと思うことを、夢中に慣れることをして
日々のストレスが解消される。
現実逃避とはストレス解消という言葉を言い換えただけに過ぎません。
「オタクはアニメが好きなんじゃなくて
逃げて逃げて逃げたその先にアニメがあっただけ」
そんなことを言った方もいました。
それでなにか悪いわけでもないのでは?と私は思います。
逃げた先に映画がある人もいる、小説がある人もいる。
オタクはそれがゲームやアニメや漫画だっただけの話というだけで、
逃げた先にあったものを楽しいと思えれば良いのではないでしょうか。
たとえアニメで現実逃避したとしても、
眼の前の、現実の問題がなくなるわけでは在りません。
そこは割けられない事実であり、
それをオタク趣味で現実逃避してるひともわかっているはずです。
それがお酒という手段でも、やけ食いという手段でも変わりません。
今後技術が発展してメタバースが流行し、
攻殻機動隊のような世界になるのであれば、
本当に現実世界から逃避してネットの世界に逃げることも
可能になってくるかもしれませんが、今はまだ技術が追いついていません。
アニメという趣味は逃げた先にあって、現実逃避をしてるだけ。
そういうひとも確かにいるのかもしれません。
しかし、別に逃げたっていいし、現実逃避したっていいんじゃないでしょうか。
漫画やゲーム、アニメを楽しんで少しでも現実の生きづらさが
解消されてるなら、それを他者が文句位を言う筋合いは在りません。
宗教
ある種の宗教的概念にも近い部分が有るのかもしれません。
宗教の中には現世からの解脱、輪廻転生や、死後の世界という
現実からの逃避的な概念を孕んでいるものもあります。
確かにオタク趣味は現実逃避かもしれません。
でも、それは他の趣味も同じで、
究極を言えば宗教的な考えに行き着くのかもしれません。
オタクは現実とフィクションを混同している。
そんな言葉も偶に聞きます。
しかし、オタクほど現実とフィクションの区別がわかっている人は居ません。
私達は何度「次元の壁」を恨んだことでしょうか(笑)
推しの世界にいきたい、推しに触れたい。
しかし、次元の壁がいつも私達を阻みます。
現実とフィクションの区別、壁をこれほどはっきりと、
痛いほどわかってるのは
オタクだからこそかもしれませんね。
なにをもってオタクなのか
最近はなにをもってオタクというのか、
その境界線も曖昧になってきました。
20年くらい前ならばいかにもなオタクファッションだったり、
外見的にわかりやすい人も多かったかもしれませんが、
今や外見だけではその人がオタクかどうかなんてわかりません。
ライトなオタクからディープなオタクまで、色々なジャンルの
様々なオタクが存在し、オタクの人口はどんどんと増えています。
映画の興行収入ランキングなどを見れば、
アニメ映画がほぼ独占しています。
それほど日本の「オタク」が増えてきました。
日本のオタク人口が増えれば増えるほど、
「オタク趣味は幼稚」って人は自然と減ってくいく、
オタクというかつてはマイノリティだった存在がマジョリティになつつあり、
オタク趣味を否定する人がマイノリティになる社会になりつつあります。
かつては凶悪な犯罪が起きると
マスコミとかで犯人の見てたアニメや
漫画やゲームが映し出されることも在りました。
しかし、これほどオタク人口が増えれば、
町中で石を投げてオタクに当たる確率と同じようなもので、
普段、食パンを食べている人が犯罪を犯すというトンチキな発言のように、
「オタクだから犯罪を犯す」なんていう考えが差別的になっています。
好きなものを好きで居続けるというのは
とんでもなくパワーがいることです。
人は誰かに親切にされたことより誰かに嫌なことをされたことのほうが
記憶に残ってしまうものです。
好きで居続けるということはそれほどパワーが要ります。
子供の頃からずっと「アニメ」や「漫画」や「ゲーム」というものを
好きで居続けるオタクは素晴らしいものではないのか。
それを否定する人は差別主義者でしか無い。
これが今回、私が記事を書く中で1番強く感じたことでした。
結婚
サイトの方では報告し忘れていましたが
私、笠希々は2023年4月に入籍し、6月に結婚式を上げました。
私が自身をオタクだと認識したのは中学生くらいのときで、
もう20年くらいオタクをやってます。
もし、自分がオタクでなければ違った人生を歩んでいたことでしょう。
でも、オタクだったからこそ今があります、仕事をして税金を収めて、
同じ趣味を持つ人と出会い結婚をしました。
オタク趣味があったからこそ、今の自分が居ます。
そんなオタク趣味を「幼稚な趣味」をもつ「子ども大人」と否定されても、
私は意気揚々と左手の薬指の指輪と
確定申告書の控えを持って否定できます(笑)
人生は死ぬまでのひまつぶし。
そんな言葉がありますが、そんな暇つぶしを何でするかは個人の自由です。
アニメだけでも何千作品もあります、
もう死ぬまで見切れることはないでしょう。
私は死ぬまでオタクでありつづけます。
こう宣言しなくとも、オタクはオタクをやめられない。
そういう性をもったものたちこそが「オタク」なのかもしれませんね。
長々とお読みいただき、ありがとうございました。
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