ロボット

「新世紀エヴァンゲリオン」レビュー

5.0
ロボット
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評価 ★★★★★(87点) 全26話

『新世紀エヴァンゲリオン』PV – Netflix [HD]

あらすじ 物語の舞台は西暦2000年9月13日に起きた大災害セカンドインパクトによって世界人口の半数が失われた世界引用- Wikipedia

エヴァ、それは呪縛

本作品はGAINAXによるTVアニメオリジナル作品。
監督は庵野秀明、制作はタツノコプロ,、GAINAX

少年

幾度となくこの作品を見返していたが、
それでも久しぶりに新世紀エヴァンゲリオンをおそらく5年ぶりくらいに
見返してみると、OPの段階で「おぉ..」と唸ってしまう。
それは一種の郷愁のようなもので、何度もこの曲を聞き、
頭の中にしみついた歌詞とメロディを改めて味わうことでどこか懐かしさを感じる。

当たり前だが画面も4:3だ。「エヴァ」の世界に冬はない。
セカンドインパクトの影響で地球の環境はおかしくなり、
そのせいでエヴァの世界はいつでも真夏だ。
蝉の音、夏の日差し。

そんな中で半袖の制服の少年が現れる。
彼がたった一人街でたたずんでいるところに「使徒」と呼ばれるものが現れ、
そんな彼の前に「葛城ミサト」が現れるところから物語が始まる。

多彩な軍事兵器を持ってしてでも倒すことが出来ない使徒。
軍事兵器の描写はさすがは庵野秀明監督だと言わんばかりのこだわりと
「爆発」の描写が1話冒頭のインパクトにもつながっている。
街を破壊つくし、火の海で包むような「N2」地雷をもってしてでも、
使徒を完全に消滅することは出来ず、自己再生までする。

こんな存在にどう立ち向かうのか。
主人公である「碇シンジ」は14歳の少年らしい少年だ。
およそ筋肉があるとも思えない、どこか中性的にすら見えるキャラクターデザインは、
主人公としては弱い。

地球を救うために燃えたぎるような熱血タイプでもない。
唯一の肉親である父とは不仲であり、
父が平和を守るための仕事をしていることは理解しているが、
自分も父同じように平和を守りたいなどとは想っていない。

父も父で同じだ。
彼のことを「パーツ」の1つとしかみておらず、パイロットの予備扱いだ。
彼はそんな事情を知らない。なぜ自分が呼ばれたのか。
久しぶりに連絡をしてきたのはなぜなのか。

人造人間エヴァンゲリオン

彼はエヴァンゲリオン初号機のパイロットとして父に呼ばれている、
エヴァの存在も初めて知り、自分がパイロットとして呼ばれたことも知らない、
そんな彼がいきなり父の命令でパイロットにさせられる。
誰かを守りたいわけでも、平和を守り居たいわけでも、なにかをしたいわけでもない。

彼は純粋な14歳の少年だ。思春期真っ盛りの反抗期の少年。
どこにでもいる普通の少年でしか無い。
ただ父がネルフの司令官だっただけだ。

「できっこないよ、こんなの乗れるわけないよ」

彼の言葉は当たり前の感情から出る言葉だ。
もし自分が彼と同じ状況ならば同じことを言うだろう。
使徒という未知の生物に動かしたこともないロボットで戦う、無理な話だ。
恐怖だけでなく、そこには父への反抗心もある。
だが、そんな彼を父は更に突き放す

「乗るならば早くしろ、でなければ帰れ」

最悪とも言える親子関係だ。周りの大人達も彼には厳しい。
彼の味方はおらず、葛城ミサトでさえ「乗りなさい」と彼につぶやく。
少年はただ父と話したかっただけだ、自分の存在を認めてほしかっただけだ。
「いらない人間」と自分を自己否定している彼は「愛」に飢えている。

そんな彼を守るように初号機は勝手に動く。
そこにあるのは「母」の愛だ。
大人に抑圧された彼を守るかのように母の愛が彼を守り、
傷ついた「女の子」を見て彼は「主人公」になる。

「逃げちゃだめだ、逃げちゃだめだ」
自分に言い聞かせ、奮い立たせる。
そこには誰かに「認められたい」という気持ちもある。
自分にしか出来ないエヴァの操縦を、使徒を倒すことができれば、
誰かに認められるかもしれない。

自分を否定しながらも、愛に飢え、誰かに認められたいと彼はおもっている。

初戦

彼の初戦は散々なものだ。
動かしたこともないエヴァンゲリオンという未知の機体。
そんな機体をまともに動かせるわけもなく、無様に転ぶ。
まるで母から生まれたばかりの赤子のようにたどたどしく、何も出来ない。

エヴァの操縦システムも残酷だ。
巨大な物体を動かすために神経を接続しているからこそ、
機体に与えられた「痛み」はそのまま彼にフィードバックする。

本来ロボットアニメの場合は機体の「痛み」は感じない。
どれだけ腕がもぎとれ、例え頭が吹き飛んでも、
操縦室が無事ならばパイロットは痛みを感じない。
だが、エヴァの場合はダイレクトに「痛み」がフィードバックされる。

そんな中でエヴァは暴走する。
まるで母が子を守るように、エヴァは牙を向き、使徒を滅ぼす。
ロボットアニメなのにまるで、生きているかのような「エヴァ」の咆哮と
暴走シーンのインパクトは強烈だ。

立体的な動きと、それを見せるカメラアングルは
「ロボットアニメ」というよりは「特撮」だ。
まるで怪獣を倒すウルトラマンのように動くエヴァという名のロボット。
そんなエヴァの魅力に2話でどっぷりと取り憑かれてしまう。

ビームライフルや必殺技でもない、
ただただ「殴りつける」戦闘シーンと、
エヴァの「中身」の衝撃は視聴者にも碇シンジという少年にも衝撃を与える。
ケーブルが抜ければたった5分しか動けない兵器、
そんな兵器にたった14歳の少年が乗り、使徒と戦う。

序盤のこの状況の描き方、碇シンジという少年への感情移入と
状況の悲惨さを見ている側にひしひしと感じさせてくれるんだ。

自己肯定感

言われるがままに彼はパイロットを続けている。
そんな中で学校に通ったりするものの、
そこで彼はあっさりと自分がエヴァのパイロットであることをバラしてしまう。
これもまた彼の「自己肯定感」だ。

だが、そんな自己肯定感は報われない。
クラスメイトからは殴られ、否定され、父は会いに来てもくれない。
自分はなぜここにいるのか、自分はどうしてエヴァのパイロットをしているのか。
そんな疑問は常にありつつも彼は言われるがまま戦い続ける。

死への恐怖に怯えながら、叫び、泣き、無我夢中で彼は戦っている。
14歳の少年にはあまりにも重すぎる責務だ。
だからこそ逃げ出す。当たり前の感情だ。
誰も彼を認めてくれない、誰も彼を愛してくれない。
だが、逃げる場所も彼にはない。

そんな家出の途中で同級生である「相田ケンスケ」と出会う。
彼もまた母が居ない。自分と同じ境遇の存在を知り、
彼がどんな思いで戦っているのか、そんな思いをクラスメイトも
知ることで彼は認められていく。

今まで人との壁を作っていた彼、そんな彼を心配し、
彼の友だちになろうとしてくれる人たちも出てくる。
彼を殴った「トウジ」も、自分自身の過ちを認め自分を殴らせる。
人は結局、触れ合うことで初めて互いを理解できる。

自分のことをかばってくれる存在、自分のことを想ってくれる存在ができたからこそ、
彼の中に初めて誰かを「守りたい」という感情が生まれる。
他者と触れ合ったからこそ自分自身の欠点も認めることができる。
己の中にあるずるさと弱さを彼は自覚し、再びエヴァに乗る覚悟を決める。

誰かに言われたわけではない
友だちがいる場所に、葛城ミサトのいる場所に、
そこに彼は自分の「居場所」を見つけ、自分自身の意思でエヴァに乗る。
誰かに認められることで自分の居場所は生まれるのだと言わんばかりの、
彼の小さな変化が染み渡る。

たった一人の14歳の少年の小さな成長と変化が
まるで暴れまわる獣のようなエヴァという名のロボットの戦闘シーンの激しさとの
対比にもなっており、見れば見るほどこの作品の世界観に引き込まれる。

綾波レイ

そんな自分の居場所を見つけ、自己肯定感が高まったからこそ、
5話あたりから平和な日常が描かれる。
同居人である葛城ミサトとも打ち解け合い、クラスメイトとは仲良く話している。
普通の男の子だ。誰かに認められ、愛されたからこそ、自分を認めることができ、
他人も認めることができる。

だからこそ彼は「父の愛」も求めている。
父がどんな人なのか、自分をどう思っているのか、彼にはわからない。
だが自分と同じエヴァのパイロットである「綾波レイ」は父の愛を受けている。
父と楽しそうにはなし、父は彼女のために自分が傷つことも恐れない。
なぜ彼女は自分と違って普通に父と話せるんだろうか。

そんな疑問と同時に思春期だからこその「異性」に対する感情も生まれている。
父以外とは誰とも仲良くはなさない彼女、何を考えているかもわからない。
口数も少ない彼女は「蠱惑的」な魅力を秘めており、
そんな彼女に彼は興味を持つ。

1話の彼では考えられなかったことだ。
自己肯定感がたかまり、自分の居場所を見つけ、自分も認められたからこそ、
より「他者」に興味を持つ。
自然な思春期の男の子の描写がこの作品の魅力でもある。
14歳の男の子が他者と関わり合いながら自分を見つめ直し、自分を認め、自分とは違う存在である他者を認めることで世界を広げていく。

そんな少年と少女の前に無慈悲に使徒は現れる。
一歩間違えが死ぬかもしれない、そんな極限の状況の中で
14歳の子どもたちな小さな命を燃やし、必死に戦いながら、
自分たちの心をさらけ出していく。

誰かを守れたことに涙を流し、そんな涙に笑顔で答える。
そんな綾波レイというヒロインにも心を奪われる。

葛城ミサト

彼女は碇シンジと同棲しながら彼を見守っている。
最初は一人暮らしでいいといった彼を引き取り、
自ら同棲を試みている。それはある種の「罪悪感」からくるものだ。
たった14歳の少年を死地へと送る、そんな大人の罪悪感、
そしてある種の母性が彼女を突き動かしている。

自分もまた父と不仲だった。
そんな彼女だからこそ「碇シンジ」という少年に自分を見たのかもしれない。
もう自分は父との関係性を修復することは出来ない。
だが、もしかしたら彼らは修復できるかもしれない。
それが亡くなった父への思いからくる思いと贖罪からの行動だ。

最初はそんな思いだったのだろう。
だが、シンジと同棲生活を続ける中で彼女もまた家族を形成していく。
自分が思春期の頃に出来なかった「家族」というものに彼女も浸っている。
血の繋がりなんて無い、偽善もある、だが、そんな偽りの家族関係が
碇シンジを、そして葛城ミサトの心を癒やしていく。

母のような姉のような存在は、母を殆ど知らず、父ともほとんど
関わりのない碇シンジにとってはかけがえのないものだ。

惣流アスカラングレー

彼女は2号機パイロットとしてやってくる。
ツンツンでお転婆で、どこか大人になろうと虚勢を張っている。
初号機のパイロットである碇シンジにライバル心をいだいている彼女は、
綾波レイとは正反対のヒロインだ。

そんな彼女の初戦はアニメーションとしてのクォリティが段違いだ。
二人で操縦席に乗り込み「戦艦」を足場に使徒と戦う。
この「重み」の表現が段違いだ。
海上という陸戦型兵器であるエヴァには不利な環境で、
覆いかぶさった布をまるでマントのように纏いながら飛ぶ立つ。

飛ぶたった衝撃で戦艦は沈み、海は飛沫をあげる。
きちんとエヴァという存在の「重さ」を感じさせる作画、
ただ海に落ちるだけの戦闘機の数々の細かい描写が、
思わず「にやにや」と気持ち悪い笑みを浮かべさせてくれる。

まるでクジラを狩る漁師のごとく、「ナイフ」だけで使徒に挑む。
緊迫感のある戦闘シーンではあるものの、
少年少女たちのコミカルな会話がシリアスさを感じさせず、
爽快感あふれる戦闘シーンから「使徒の口を開けさせる」という
それだけのシーンのはずなのに「エヴァ」というものを、
かっこいいと感じさせる演出が光っている。

そんな戦闘シーンがキャラクターの魅力をより引き立てる。
特に9話の「瞬間、心、重ねて」は印象に残っている人も多いだろう。
2体の使徒を同時に倒さないといけない状況で、
2体のエヴァが「曲」に合わせてまるで舞うように倒す。
文章にすればたった2行で現せてしまうが、そんな2行が
エヴァを象徴するシーンの1つにもなっている。

たった62秒の戦闘シーン。
そんな62秒の戦闘シーンがタイマーとともに
カウントダウンし、決着が就く。

思春期の男女が思春期らしいぶつかり合いという口喧嘩をしながらも、
互いの「心」を重ねていく。
協調性などなかった碇シンジという少年が他者とのかかわり合いと
ふれあいの中で彼の中に協調性が生まれる。

人類補完計画

子どもたちが少しずつ成長していく中で大人たちは何かを企んでいる。
加持リョウジがもちこんだアダム、ゼーレたちが企む人類補完計画、
そして何かを企んでいるシンジの父親である碇ゲンドウ。
物語の中で断片的に描かれる計画は真相が見えてこない。

アダムとはなんなのか、人類補完計画とはなんなのか。
少ない情報を小出しに見せつつ答えを見せないことで、
見る側が自然と答えを「考え」てしまう。

特に14話のAパートはいわゆる総集編だ。
2クールの作品の折り返しだからこそ1クール目を振り返るような
内容にしつつ、碇ゲンドウとその裏にいるゼーレたちの会議という形で見せている。
1クールで匂わせてきた謎を視聴者に更に印象付けるように、
総集編で更に謎を匂わせる。

碇ゲンドウは何を企んでいるのか、ゼーレが言う人類補完計画とはなんなのか。
その全てを主人公である碇シンジは何も知らない。
彼は言われるがままエヴァのパイロットをしていただけだ。
だが、大人たちが何を企んでいようと彼には関係ない。
彼は今の居場所を、今の生活を守りたいだけだ。

彼が知る必要もない。
だからこそ視聴者である我々にも断片的な情報しか与えられない。

徐々に父からも認められるようになる。
「よくやったな、シンジ」
そんなたった一言の褒め言葉が彼の自己確立へとつながる。
より多くの他者と関わり、自分を知り、自己を確立する。
だからこそ父とも対等に話し合うことが出来る。

30分にも満たない母の墓参り。
失ったものはもう戻らないと感じている少年だからこそ、
今あるものを大切にしようとしている。
だが、父は違う。失ったものを取り戻そうと必死だ。

少年はキスの味を知り、大人になろうとしている。
自信のある男に、少年から男性へと羽化しようとしている。
だが、そんな彼の自信は奢りに繋がり、絶望へと引き込まれる。

せっかく自信を得たのに、せっかく自分の居場所を見つけたのに、
せっかく父との関係性も解消できそうだったのに。
自分の意思で起こした行動がミスをおこし、彼は使徒の中に取り込まれる。
誰の声も聞こえない空間の中で彼は自分の心の中に逃げる。
今までの自分を振り返り、虚数空間という闇の中で彼の心は闇にとらわれていく。

父に捨てられたというトラウマ、誰にも愛されないという思い込み、
そんな閉ざしていた過去「一人になりたくはない」という思いが彼を包み込む。
だが、そんな子供を包み込むのは「母」だ。
エヴァの中に取り込まれている彼の母の思いが、
1話と同じように彼を守ろうと動き出す。

使徒の内から使徒を食い破る。
使徒をコピーした存在、コアに人の魂を埋め込んだエヴァという存在、
朱に染まりしエヴァの描写が、よりこの作品への没入感を深めてくれる。
見れば見るほど、エヴァという作品に取り込まれるような感覚だ。

4人目

エヴァンゲリオンのパイロットは母親を失っている子どもたちだ。
そんな母親の魂がエヴァの中に入っていることを彼らは知らない。
母の愛に包まれて初めてエヴァは動く。
碇シンジもまた、そんなことをしらない。
新たに来る4人目のパイロットが誰だかも知らされていない。

何も知らされてないことに彼は疑問に感じる。
自分を子供扱いする大人たちに彼は苛立つ、
彼は大人になろうとしている、それなのに周囲の人間は
彼を子供扱いし、大人扱いはしてくれない。

あえていうなら「加持リョウジ」という男だけは
彼を対等に扱おうとしている。
少年ではなく、男として彼に問いかける。
自分の秘密を唯一彼にだけ喋り、彼を一人の男として扱ってくれる。

そんな中で4人目のパイロットが乗る3号機が
使徒に乗っ取られ暴走してしまう。

鈴原トウジ

彼が相対するのはクラスメイトであり、友達でもあり、
彼の理解者でもあった「鈴原トウジ」だ。
そんな彼がエヴァのパイロットに選ばれ、あろうことか使徒に乗っ取られ、
彼の前に立ちふさがってしまう。

誰がのっているのかしらない。
だが、自分と同じ年頃の子供が乗っていることは彼にもわかっている。
だからこそ彼は戦わない。しかし、そんな彼の決断を父が拒絶する。
理解してきたとおもったのに、打ち解けてきたと想ったのに、
父は息子を突き放し、鈴原トウジを握りつぶす。

碇シンジの言葉は父には届かない。
何度も辞めてと叫んでも、何度も父のことをよんでも、
目の前で同い年の子供が握りつぶす様を彼は見ていることしか出来ない。
そして少年は真実を知る、3号機のパイロットが
「鈴原トウジ」であることを。

少女のほのかな恋心も、少年の切なる願いも、
穏やかで笑顔の絶えない日常も父の意思によって握りつぶされる。
18話まで積み重ねた彼の心の成長と変化、自己を全て父に否定される。

序盤から中盤までは少年の成長と自己確立を描いている。
その中で碇シンジという少年にどこか感情移入し、
彼の成長と変化、彼の周囲にいるキャラクターに愛着を持ち、
シリアスな状況でも彼を見守ることが出来た。

しかし、そんな成長と自己確立をあえて18話で全て否定する。
積み上げたものを崩すように、少年の日常も崩れ行く。

反抗期

19話からの彼は反抗期を迎える。
大人の意見を全て無視し、父を否定し、自らの意思をわがままを貫こうとする。
周りのすべてを否定し、せっかく掴み取った居場所も否定する。
もう父とはわかりあえない、もうここにいる理由もない。
積み上げてきたものを全て崩されたのだから当たり前の感情だ。

彼の環境は全て仕組まれたものだ。
クラスメイトの全てはエヴァのパイロット候補であり、
ネルフという組織において彼らはエヴァのパーツでしか無い。

真実を知り、全てを理解したうえで彼は拒絶する。
序盤で家でしたときとはわけがちがう、
18話までの積み重ねが彼を成長させ、
強い意志を持って全てを否定している。

だが、それも子供の親に対する反抗だ。
親の決めたことをそのままやることが全てではない。
それを「否定」することもまた大人への道の1つだ。
否定という自分の意志を確立することによって少年は大人へと近づく。

反抗期を迎えた彼の前には最強の使徒が現れる。
次々に倒されていく仲間たち、もうエヴァには乗らないと
父を否定し、全てから逃げた彼が、もう1度、父の前に立ちはだかる
父に言われたわけではない、誰かを守りたいという気持ち、
そんな気持ちが彼を奮い立たせ、自らの意思で初号機へと乗り込む。

例え左腕を切断されようとも戦う姿は大人の男だ。
強い意志を持って彼は戦いに挑もうとしている。
今やらなければならない、もう誰かを死ぬのは見たくない。
「戦う意味」を見出した彼の心に大人になろうとする少年に
初号機は答える。

失った左腕を使徒の肉体を取り込み再生し、
まるで獣のような姿で使徒を「食らう」。
陰鬱とし展開から使徒を食らうという衝撃的な展開を見せる。

思わず吐き気を催すようなシリアスな展開から、
口が開けっ放しになってしまうほどの衝撃的な展開につなげることで
見ている私達もまた碇シンジとともに「エヴァ」というものにとらわれる。

心象世界

新世紀エヴァンゲリオンといえば心象世界の描写が特徴的だ。
ときには電車の中、ときには自分が居た場所を
碇シンジは虚数空間やエヴァの中で何度も訪れながら、
自己問答を繰り返す。

それが碇シンジという少年の言葉に出していない気持ちを描写している。
彼がなにをしたいのか、彼が何をいいたいのか。
普段は自分が悪いかどうかもきにせずに「ごめん」と誤りの言葉が出る彼、
誰にも嫌われたくないという思いから、
彼の口から「嫌い」という言葉をなくしている。

本当は父を「嫌いだ」と突き放したい。
だが、同時に愛されたいとも想っている。
綾波レイに優しく接しつつも、彼女に対する父の愛に嫉妬し、
誰かに認められたい愛されたいという「欲望」を発露する。
誰かと1つになりたい、繋がりたい。

そんな自己問答が自分を見失わせる。
まるで鏡に向かって「お前は誰だ」と口ずさむように、
彼の自己問答は自分自身を見失わせる。

エヴァに乗らないと決めたはずなのに乗ってしまう。
その「矛盾」を受け入れ、母の愛を感じ、
彼はまた再び現実へと舞い戻る。

過去

終盤になると過去も描かれる。
エヴァとはなんなのか、ゼーレは何を企んでいるのか、
メインキャラ達の「過去」が描かれることで、
それぞれのキャラクターたちの印象も深まり、
彼らの行動原理を知ることができる。

碇シンジの母親の死の理由、碇ゲンドウが何を企んでいるのか。
序盤からばらまかれた謎の数々が徐々に、徐々に解き明かされていく。
人の死によってシナリオは進んでいく。
多くの犠牲のもとに人類補完計画は進んでいく。

「死」が人を変え、人を突き動かす。
惣流アスカラングレーは「母」の死があるからこそ、今の自分がいる。
自分を認識できなくなった母、アスカは誰かに認められたいだけだ。
なによりも亡くなった「母」に認められたい。
自己顕示欲が人よりも強い女の子だ。

そんな自己顕示欲を彼女は「エヴァのパイロットである」ことで満たしている。
自分は特別な存在であり、エヴァのパイロットだからこそ、他人から褒めてもらえる。
彼女にとってはそれが「存在理由」だ。

しかし、そんな存在理由がおびやかされる。
何度も使徒に負け、碇シンジという少年は自分よりも凄い。
彼女の自己肯定感は下がり続け、そんな彼女を狙うように
使徒は彼女の精神を攻撃してくる。
エヴァのパイロットであるという自身も失った彼女は壊れ果てる。

喪失

話が進めば進むほどキャラの過去が明らかになり、
キャラクターたちを取り巻く状況も悪化していく。
序盤から中盤までの平和な日常はもうない。
序盤から中盤まで平和な日常を描いたからこそ、
その喪失の辛さを碇シンジと同じように感じることができる。

日常を失い、そして「綾波レイ」まで失ってしまう。
碇ゲンドウ以外に興味を抱かなかった彼女が人の心を知り、
碇シンジを守るために「自己犠牲」を払う。

それまで知り得なかった「綾波レイ」の真実、
4人目の彼女と出会い、大人たちがそれぞれの立場でせめぎあう中で、
少年は知りたくもない事実を知る。
綾波レイが綾波レイでなくなり、アスカは壊れてしまい、
友達たちも疎開してしまう。

彼はたったひとりだ。
せっかく手に入れたものをなくし、孤独になった彼の前に
「5人目の子供」が現れる。

渚カヲル

彼は碇シンジという少年に優しい。
優しい笑顔で語りかけ、碇シンジの理解者になろうとしている。
思わせぶりな言葉は彼は碇シンジに対して好意を伝えるためのものだ。

「碇シンジ」という少年は愛を知らない少年だ。
物心付くまえに母はなくなり、父は彼を捨てた。
そんな環境で親の愛を知らず、友達と呼べる存在や
姉のような存在ができたものの、彼らから「好き」や「愛してる」という言葉は
彼には伝えられていない。

彼は他人を理解しようとはしているものの、理解は出来ない。
友達たちの彼への好意、綾波やアスカの彼への好意、
葛城ミサトの彼への「愛」を彼は知り得ない。
言葉にしていないからこそ、彼には伝わらない。

そんな彼の心の隙間を埋めるように「渚カヲル」という少年は
彼に直接的な好意を伝える。だが、そんな彼もまた「使徒」だ。
使徒としての使命を果たすために行動しなければならない。
碇シンジにとって彼は敵だ、敵対する運命だ。

彼はたった1話しか出て来ない。
だが、そのたった1話だけで強烈な印象を残すキャラクターだ。
自分の理解者になってくれるかもしれない、好きだといってくれた。
そんな彼を「握りつぶす」シーンの演出は流石だ。

1分ほど初号機が渚カヲルをつかんでいる静止画がうつしだされる。
BGMが流れる中で、一瞬の暗転とともに「渚カヲル」が握りつぶされる。
思わずドキッとさせられる演出、
残り2話しかないなかでこの作品はどうなってしまうのだろうという、
感情に飲み込まれる。

自己問答

そんなラスト2話しかないなかで描かれるのは自己問答だ。
本当に渚カヲルを殺すべきだったのか、
自分はなぜエヴァにのっているのか、自分はどうすればいいのか。

惣流アスカラングレーも自己問答を繰り返す。
動かせなくなった二号機の中にいる、
自分がどうして動かせないのかもわからず、
エヴァのパイロットであることが存在意義のはずなのに、
そんなエヴァを動かせない自分に苛立つ。

綾波レイも自己問答を繰り返す。
偽りの体で多くの自分の存在が居る彼女は、
碇ゲンドウの命令であっさりと自分の命を投げ出す覚悟があった。
だが、彼女もまた碇ゲンドウにとっての道具でしかない。
彼に愛されることが彼女の存在意義のはずだったのにそれが失われる。

人類補完計画は彼らの心の外で遂行する。
劇場版を見たあとだからこそ、このTVアニメ版の25話以降が
劇場版が起こってる中での彼らの心理世界の表現であることはわかるが、
初めてみたときは意味不明だ(笑)

劇場版ではシンジが神の子にされ、人類補完計画の道具にされ、
彼が絶望し、自分の存在意義を失えば、全人類が1つになる。
自分には存在意義があるのか、自分とはなんなのか。
全人類の心の壁、ATフィールドがなくなり、自身の存在が薄れる中で、
今まで出会った他人の心に触れながら、碇シンジという少年が
自分とはなにか、他人とはなにかを考える。

本来なら「表」でやってることがみたいのに、
TVアニメ版では「裏」しか見せてくれない(苦笑)
意味深かつポエミーなセリフの連続、
止め絵や過去のシーンを連続で見せられ、
見ている側の脳が余計に混乱する。

おめでとう

碇シンジという少年が欲しかったのは「無償の愛」だ。
絶対に自分を裏切らない、自分を認めてくれる存在。
本来は親の愛情がそれのはずなのに、彼はそれを受けていない。
1度は他人を信じたのに、他人は自分を裏切り、拒絶し、
彼は殻に閉じこもろうとする。

他人は自分の思いどおりにはならない。
他人に嫌われることは誰しにもあり得る。
だが「拒絶」されることで、他人がいることで、自分を形作れる。
他の誰でもない自分が自分を、僕は僕なんだと認識することで
自分を確立することができる。

もしかしたらアリ得たかもしれない世界。
アスカが幼馴染で、両親が生きていて、綾波が転校生で、ミサトが先生で、
平和で幸せな日常をおくれたかもしれない。
いろいろな可能性がある、見方次第だ。
他人を変えることは出来ない、だが、自分は変えることができる。

他人が自分のことを嫌っている。
そんな思い込みが今の彼の世界と現実を作っている。
自分のことが嫌いだからこそ、他人もそうなのだと思いこんでいる。
だが、見方を、自分の考え方を変えることで世界は変わる。
自分を好きになれるかもしれない。

そんな「自己」を肯定し「自己」を確立した
彼に祝福の言葉が送られる。

おめでとう。

総評:これほど罪深い作品を私は知らない

全体的にみて何度見返しても衝撃を味わえる作品だ。
14歳の少年が父に言われるがままにエヴァにのり、
そんな彼が自己を確立し、成長していく。

序盤から中盤までの「ポカポカ」したドタバタ日常は
キャラクターの魅力をより感じられるものになっており、
綾波レイや惣流アスカラングレーなど、
当時の視聴者を虜にした彼女たちの魅力を、
30年近くたった今でも感じることができる。

綾波レイのクールな表情からの照れ、
惣流アスカラングレーの大人ぶる少女の魅力、
主人公の周りにいるヒロインたちの魅力に取りつかれながら、
普通の14歳の少年である碇シンジに感情移入してしまう。

そんな彼が乗るエヴァによる戦闘シーンも素晴らしいとしか言えない。
特に序盤から中盤までのロボットアニメとしての
魅力を強く感じられる戦闘シーンの数々の演出、特撮的な見せ方の凄さは
「庵野秀明」監督の溢れんばかりの才能を感じるものだ。

だが、そんなワクワクとした序盤から中盤から絶望へと叩き落とす。
せっかく自分を好きになれるかもしれないと想っていたのに、
せっかく他人を好きになれるかもしれないと思っていたのに
少年の思いとは裏腹に大人たちは自らの欲望のために行動する。

積み上げきたものがすべてなくなる絶望。
そんな絶望からのラストの展開にみている側が振り回されっぱなしだ。
特にラスト2話は今でこそ劇場版の最中の心想世界であることはわかるが、
始めてみたときは意味不明でしか無かった(笑)

それもまたエヴァの魅力だ。
あれはいったいなんだったのだろうか、どういう意味があったのだろうか。
思わず見ている側が「考察」したくなる謎の見せ方と、
知りたい、理解したいと思わせるポテンシャルがあるからこそ為せる技だ。

タイトルは知っているけど見たことがない。
そんな人もいるだろう。
この機会にぜひ、エヴァという作品の沼に足を踏み入れてみてはいかがだろうか。
他の作品では味わえない「呪い」にも似た罪深い魅力のある作品だ。

個人的な感想:原点回帰

28年という月日が見ている視聴者をも大人にした。
大人にしたからこそ、より新世紀エヴァンゲリオンという作品を
深く楽しめるような感覚だ。

シン・エヴァンゲリオンまで見た今だからこそ、
何が起きているのかも理解できる。
あれから28年という月日がたっているからこそ、
「新世紀エヴァンゲリオン」という作品の面白さを
芯から味わうことができる感覚が生まれた。

名作は何年たって見ても面白い。
そんな「新世紀エヴァンゲリオン」の面白さを
1話から26話までたっぷりと味わってしまった。
何度見返して面白い、何度見返しても新しい発見がある。

エヴァだからこその魅力が詰まっている作品だ

「新世紀エヴァンゲリオン」は面白い?つまらない?

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