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「岬のマヨイガ」レビュー

4.0
映画
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評価 ★★★★☆(71点) 全105分

映画『岬のマヨイガ』本予告映像/8月27日(金)公開

あらすじ 夫による家庭内暴力から逃げてきた佐野ゆりえは、岩手県内の列車で萌花という少女と乗り合わせる。萌花は伯父に引き取られる途中で、その境遇が気になったゆりえは、萌花の目的地・狐崎で一緒に下車し、後について昼食に入った飲食店で大地震に見舞われた。引用- Wikipedia

心を抉る名作

原作は児童文学な本作品。
監督は川面真也、制作はdavid production
東日本大震災の被災地支援の
「ずっとおうえん。プロジェクト 2011+10…」というプロジェクトの
一巻で制作された作品。

背景

近年のアニメ映画は否が応でも背景のクォリティが求められる時代だ。
ある監督は空を描き、ある監督は雨を描き、ある監督は近未来の日本を
背景の中に描いていた。
この作品は「のんのんびより」でもおなじみの川面監督が手掛けている。

田舎の描写を手掛けた彼が「被災した東の大地」を見せてくる。
生い茂った草木は人の手のはいる余裕の無さを感じ、
ところどころひび割れ、さび、変形したガードレースや川沿い、
津波で壊された家や建物の瓦礫。

冒頭から、あの東日本大震災を知っている我々だからこそ
思わず心になにか残ったままの棘を刺激されるような感覚になる。
何かド派手なシーンがあるわけではない。ただ歩いているだけだ。
物語がどういう風に動き出すのか、どんなストーリーになるのかさえわからない。
だが、そんな「地味」ともいえるシーンで10年前のあのときを生きていた
私達の心を抉るような描写がさりげなくされている。

「主はいなくても花は咲く」

震災で放置された家の庭先にも自然の花は咲いている。
何気ないセリフがほろっと感情を揺さぶってくるような作品だ。

抉る

基本的に優しい雰囲気で作品は描かれている。
のどかな田舎の風景、木造建築の大きな家、おばあちゃんと思春期の少女と
幼い少女。
そんな3人が一緒に住むことになる。

「ここが家か…」

彼女にとってはまだ「家」という実感がない。
震災からまだ作中では少しの時間しか経過していない。
ひよりという少女は8歳でありながら両親をなくし、
そのショックから声が出せなくなっている。

誰しもが多かれ少なかれ味わった震災の影響。
そんな影響を決して重苦しく描かずに優しく、ゆっくりと、
だが、じわりじわりと見ているものの心の傷を抉るように描いている。

いらだつ人々の気持ちもわかる。
冷静になれず、人に優しくする余裕もない人の気持ちもわかる。
避難所での人々の描写、本当にさりげない人物描写が生々しく、
そんな刺々しくなる人々の描写の中でえがかれる「人の優しさ」がしみる。

キワさんはそんな優しさの象徴のようなキャラクターだ。
別に親戚でも、血の繋がりがあるわけでも、知り合いなわけでもない。
行くところがない2人を彼女はまるで慈しむように引き取ってくれる。
家族でもない、知り合いでもない、何の関係性もないはずの3人。
そんな3人の共同生活が序盤は描かれる。

家を掃除し、3人で夕飯を味わう。
「キヨさん」の料理の描写は本当にすばらしく、
まさしく「田舎のおばあちゃん」の料理だ。
本当に思わず「美味しそう」と口から溢れるほど美味しそうだ。

土鍋で炊いたご飯の美味しさ、野草の天ぷら、
子供な2人のために作った「ハンバーグ」。
全てが美味しそうで、全てが愛に満ちている。
デザートには「ミルクプリン」まで用意され、お風呂上がりには
「たんぽぽのお茶」まで出てくる。

震災の直後でまだ物資も少ない中で出される料理。
あるもので最大限の美味しいものを作り、
傷ついた二人の少女の心の重しを軽くしようとするキワさんの愛が
「料理」の数々に溢れている。

田舎のおばあちゃんの料理の描写で涙腺を刺激されるとは想像もしていなかった。
自分自身の祖母を思い出し、思わず電話をかけたくなるほどの郷愁にかられ、
「おばあちゃん」の愛をゆっくりと染み渡るように描かれている。

田舎の家の描写やおばあちゃんの存在がどことなく
「となりのトトロ」を思い返してしまう。
極端な例えだが、となりのトトロのサツキとメイが震災で
両親を失い、カンタのおばあちゃんと住むことになったら
こんな感じなのかもしれないとすら思ってしまう。

マヨイガ

中盤になるとやや急に「ファンタジー」な要素が出てくる。
彼女達が住む家は「マヨイガ」だ。
マヨイガ=迷い家は関東や東北地方につたわる伝承だ。
訪れた者に富をもたらすとされる山中の幻の家、そんな家に3人は住んでいる。

水がほしいと思えば水が出てくる、お風呂も暖かく沸かしてくれる。
家も修繕してくれる、人をもてなしてくれる、
人のためになにかをしてくれる家だ。
「キワさん」と同じようにマヨイガは無償の愛を人に向けてくれる。

だが、主人公はそんな家に対して拒否感が生まれる。
ヒヨリちゃんのように幼く純心ではない、思春期の少女だからこそ、
複雑な家庭環境で育ち、歪んだ間違った愛情を向けられたことのある少女だからこそ、
彼女は「愛」というものを素直に受け入れられない。

誰かの言葉を信じ、誰かのことを信じ切ることが出来ない。
自らの本名や素性すら明かさない彼女の心の壁は分厚い。
ゆっくり、本当にゆっくりとそんな彼女の中にある心の壁と
心に突き刺さった棘がぬけていく。

無償の愛

キワさんの愛、マヨイガの人間への愛、ヒヨリちゃんとの交流、
震災を受けた街の人との交流が彼女に本来の「愛」を噛み締めさせる。
愛とは本来は見返りを求めないものだ。
見返りを求めない愛こそ本当の愛だと言わんばかりに、
震災を受けた直後の大地でそんな「愛」の物語が描かれてゆく。

主人公である「ユイ」が無償の愛を受け、
そんな無償の愛を受けたからこそ
誰かに、ヒヨリちゃんやキワさんたちに
少しずつ少しずつ彼女も無償の愛を与えていく。

「ひよりにホットケーキでも作ろうと思って」

そんなさりげない主人公のセリフに思わず笑みがこぼれてしまう。
緩やかに、優しく、ほがらかに。
エンタメ的な刺激のあるシーンは少ない、
だが、そんな刺激的なシーンはないのに見ているが和の心が揺さぶられ、
自然と涙が零れ落ちそうになる。

仰々しく、わざとらしく、映画というエンタメ的な見せ方ではない。
原作が児童文学であることがわかるほどに、
まるで幼い子供に「愛」とはなにかを教えるように、
母の優しい声でゆっくりと読みきかせられるように物語が進んでいく。

「大きな幸福はいらない、小さな福が毎日この家にあればいい」

キワさんの言葉が1つ1つ重みがあり、身にしみる。

妖怪

中盤をすぎると当たり前のように「妖怪」という名の「ふしぎっと」も出てくる。
キワさんはそんな彼らと当たり前のように交流し、
当たり前のように彼らに協力を頼んでいる。

「この一大事だ、俺達に出来ることはなんでもする」

妖怪も人も関係ない、同じこの「日本」に住むものだ。
妖怪も人も「震災」という名の「天災」をともに乗り切ろうとしている。
私達の目には見えないなにかも、私達の見えない所で
この日本を支えようとしてくれている。
そんな愛を主人公である「ユイ」にも見ている側にもつたわる。

だが「ふしぎっと」、妖怪の中には人間の「負」の感情を元にするものもいる。
震災を受けた直後だからこその、
人間の様々な感情に呼応するように妖怪たちも現れている。
人の負の部分、震災直後だからこそ膨れがあるそんな感情の比喩として
「アガメ」という存在が出てくる。

ひよりちゃんは交通事故で両親を失い、会ったこともない親戚に頼って
この地へと来た直後に震災が起き、何もかも失ってしまっている

「なんでわたしだけ、わたしなにもわるいことしてない」

あの震災を受けた人、特に子供は誰しもがそう思ったはずだ。
そんな彼女の声にならない思いに涙がこぼれてしまう。

妖怪とは本来は「見えない」からこその人の恐怖が生み出した存在だ。
人の見えない感情を表すような妖怪たち、それは愛であり、恐怖であり、
喜びであり、悲しみだ。

そんな負の存在を匂わせる一方で、全国のお地蔵さんや
かっぱ、狛犬たちが主人公たちのそばにいてくれる。
絶望に、負の感情に飲み込まれないように。

それぞれが自分の心の「傷」に向き合い、
震災に向き合い、今の自分を踏みしめ、一歩踏み出そうとする。

すんぺすんな

キワさんはずっと「ふしぎっと」たちと向き合い、
だれも知られずに色々なことに立ち向かっていた。
無償の愛をキワさんは2人に授け、そんな愛は自身すらも犠牲にしようとする。
自己犠牲だ。
老い先短いから、長く生きてきたから、若い人たちを守るために。

そんな無償の愛はもはや慈愛の領域まで至っている。
人間でありながら、どこか既に「ふしぎっと」たちの領域に
足を踏み入れている存在なのかもしれない。

いろいろな人に多くの愛を授けた彼女。
ヒヨリちゃんに、ユイに、街の人々に。
だからこそヒヨリちゃんは自らの心の楔を解くことができた。
彼女の「声」で泣かない人が居るだろうか。

「家族」といえる存在、「妹」といえる存在。
そんな存在ができたからこそユイは「父」を乗り越えることができた。
だからこそ人々の負の感情の塊である「アガメ」をも倒すことが出来る。
キワさんの愛が、ヒヨリちゃんとユイを救い、
ヒヨリちゃんとユイの愛がキワさんを、人々を救う。

この作品は巡り巡る「無償の愛」の物語だ。

総評:あの震災を味わった貴方へ

全体的に見て本当に素晴らしい作品だ。
この作品は「エンタメ」としての映画としては地味だ。
刺激的なシーンや盛り上がるシーンはあまりなく、
終盤でそれを自覚してかやや妖怪大戦争みたいになって
無理やりエンタメ的なシーンを作り上げている感じも否めない。

しかし、冒頭から震災の大地を見せ、そこに生きる人々の姿を
ゆっくりと見せながら、震災で心の傷をおった人たちの心を癒やし、
今を受け止めて一歩を踏み出そうというストーリーが本当に素晴らしい。

あそびっと、妖怪というファンタジー要素と震災の地という舞台、
心をえぐりながらも、心を癒やし、心を強くしてくれる。
1つ1つのセリフに重みがあり、特に「キワさん」の言葉はずしんと心に響く。
そんな「愛」に満ちあふれている作品だった。

個人的な感想:作画

作画も本当に素晴らしかった。特に背景と料理の描写は本当にすばらしく、
天災を受けた大地や街並みの描写という絶望と、
料理という愛と希望に満ち溢れた描写の対比がすばらしく、
キワさんが語る「伝承」のシーンはまるで日本昔ばなしのように描かれる。

アニメーションとして見ていて面白いと感じるシーンも多く、
キャラクターたちを演じる役者の演技も染み渡るような演技だ。
欠点を言うならば終盤のファンタジー要素の強さと、
主人公の父親の要素が解決していないような感じになってしまっているのは
やや残念なところではあるものの、それでも間違いなく、この作品は名作だ。

「岬のマヨイガ」は面白い?つまらない?

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