青春

社会に中指を突き立てろ!これぞRock ‘n’ Roll「ガールズバンドクライ」レビュー

5.0
ガールズバンドクライ 青春
©東映アニメーション
スポンサーリンク

評価 ★★★★★(84点) 全13話

TVアニメ『ガールズバンドクライ』ティザーPV【2024年4月放送開始】

あらすじ 高校2年、学校を中退して単身東京で大学を目指すことになった主人公。仲間に裏切られてどうしていいか分からない少女。両親に捨てられて、大都会で一人バイトで食いつないでいる女の子。引用- Wikipedia

 

本作品はTVアニメオリジナル作品。
制作は東映アニメーション

上京

主人公は上京してきた少女だ。
「間違ってない」「負けたくない」
孤独な思いを抱えた少女は一人、上京する。

そんな彼女の姿は「フルCG」で描かれている。
OPは通常の手書きアニメなのだが、本編が始まると
フルCGになるというかなり独特な構成になっており、
その「ヌルヌル」と動くフルCGのクォリティに思わず驚いてしまう。

制作の東映アニメーションは、
記憶に残っている限り「ドラゴンボールZ 神と神」あたりから
CGを多用しはじめ、スラムダンクでもフルCGの作品を作り上げている。
そんな東映がTVアニメでフルCGのアニメを制作する、
技術の積み重ねがこの作品で生きていることを感じさせる。

フルCGは苦手な人が多い、セルルックCGなどで
CGの違和感を消すことが日本の作品では多いのだが、
この作品はセルルックなテイストは残しつつも、
CG特有のヌルヌルとしった感じをあえて強調している。

そこの違和感は確かにあるものの、ヌルヌルとした
フルアニメーションな作品だからこそ描写が細かい。
キャラクターのちょっとした動き、表情の1つにしても、
洗練されたものがあり、見ていて楽しい、
アニメーションという表現、フルCGという技術、
それが詰め込まれているような作品だ。

キャラクターたちがギターを掻き鳴らす、ちょっとしたシーンですら
細かい指の動きがリアルに描かれている。
だからこその「没入感」が生まれている。

中指つきたてろ!

主人公はとあるストリートミュージシャンのファンだ。
そんな「河原木 桃香」と主人公が出会う。
田舎ものな主人公と都会の擦れた女性である「河原木 桃香」。
河原木 桃香は「中指」を突き立てるようなロックな女性だ、
しかし、そんな中指を突き立てる仕草の意味すら主人公は知らない。

「井芹 仁菜」という主人公は純粋だ。
田舎で育ったからこそ、都会の汚れや闇を知らない。
純真無垢な少女ではあるものの、
彼女は「高校」を中退している。

「河原木 桃香」も中退し3年の月日が経過している。
同性愛者の男とルームシェアしているような都会の女性だ。
だが、彼女は夢を諦め地元に戻ろうとしている。
20歳という節目、売れなかったミュージシャンの生活は苦しい。
将来を考えるなら現実的な手段を取るしかない。

夢を叶えるためにバイトをし続ける、
しかし、そんな夢は叶わずバイトに明け暮れる日々で夢は叶わない。
そんな現実を彼女はわかっている、だが、主人公は受け入れられない。
彼女に多く刺さったトゲ、何者にもなれず、何者かになりたい、
居場所のなかった少女は居場所を求めている。

だからこそ、漠然とした思いで上京をし、
憧れの女性の前にいる。
なにもかもがガムシャラだ、
現実よりも漠然とした何かを彼女は求めている。

そんな「河原木 桃香」から夢を託される。
自身のギターと「中指を突き立てていけ」というメッセージ。
託された主人公は託されたままでは終わらない。

「終わったら終わっちゃうんですよ?
むちゃくちゃわがままで自分勝手なことをいいます。
私、負けたくなくて此処まで来ました。
だから桃香さんにも負けないでほしい。
一緒に中指立ててください」

純粋な少女の叫びが、3年前の彼女の思いを呼び起こす。
まだ自分は負けていない、何もなしえていない、
このまま終わらせたくない。
自分を認めない他人に、社会に、
中指を突き立てるロックな女達の物語が始まる。

なんてロックな作品なのだろうか。
1話は私は思わず、涙腺を刺激されてしまうほど
このロックな精神に震えてしまった。
雨の中で叫ぶ田舎の少女、雨の中で歌うロック。

そこに約束された未来なんてものはない、
「くそったれ」な社会をぶち壊すような叫ぶ少女に
かつてのロックバンドの精神を見てしまう。

不良性

ここ最近、アニメ界隈ではガールズバンドアニメの
ブームを感じさせる流れがある。
「ぼっち・ざ・ろっく!」や「MyGO!!!!!」などのヒットもあり、
この作品が放送された2024年春アニメでは、
ガールズバンド系なアニメがこの作品含めて3つもあった。

そんなブームの中で私が感じていたのは
「ロック」はかつての「不良性」を歌うような表現から
「陰キャ」なものになっていった印象があった。

ロックとは社会への不満だ。
ときに社会性や政治的メッセージすら含まれるのがロックだった。
しかし、そんな不良性をはらむようなロックバンドは衰退し、
最近のロックバンドは同じ社会の不満でも、
それは「陰キャ」のもつ不満を歌うようなバンドが増えてきた。

「ぼっち・ざ・ろっく!」はタイトルでも分かる通り、
陰キャでぼっちな主人公がロックで社会とのつながりを
求めていくような作品だった。

しかし、この作品は違う。かつてのロックバンドのように
「井芹 仁菜」という主人公は社会に対して不満がある。
だからこそ、そんな社会そのものである「学校」に
居場所を作れず、自らの場所を求めるために中退し、
上京までしている。

真面目で厳しい家庭で育った子供だ。
夕食は必ず家族一緒に、毎週日曜は家族会議をする。
今どきの子供にとっては息苦しい家庭環境だ。
そんな家庭環境にすら順応できなかった少女には
多くのトゲがささっている、不満だ。

決して彼女が原因ではない。そういう家庭で生まれてしまい、
「いじめ」の標的になり、そんないじめを両親も、
学校も彼女の味方にはなってくれなかった。

決して彼女に原因があるわけではない、
周囲が、他人が、家族が、社会に原因がある。
そんな環境が彼女に多くのトゲを刺す。

そんな彼女だからこそバンドメンバーが一人増えただけで
「会話」ができなくなる。
なんのために会話をするのか、会話とは社会とのつながりだ。
社会に対しての不満がある彼女は会話を嫌い、
「正論」をぶつけまくる。

壊れて歪んで本心を隠さない。見方を変えれば性格が悪い主人公だ。
いや、見方を変えなくても性格は悪い(笑)
本来、このくらいの10代の子供が学校や家族との会話、
社会の中で学んでいく社会性を彼女は持ち合わせていない。

既存の社会をぶちこわしたい、
自分に迎合しない社会への不満に溢れている。
なんてロックな主人公なのだろうかとニヤニヤしてしまう。

だが、そんな自分に後悔すらしてしまう。
思わずぶつけてしまう本心、口からこぼれ出る正論、
ぶつけて言った直後にそれを後悔してしまう。
しかし、そんな思いをバンドメンバーが拾ってくれる。

主人公の「井芹 仁菜」という少女のロックを、
「河原木 桃香」が忘れていた社会への攻撃性を、
彼女は持っている、だからこそ、それを歌にしてほしいという思いがある。
見ている側と同じように、「河原木 桃香」もまた
「井芹 仁菜」という少女の中にあるロックの精神を
才能の原石として見つめている。

ぶつかりあえ!

新たなバンドメンバーが加わっても口喧嘩ばかりだ(笑)
「井芹 仁菜」は心の壁が分厚い、ベルリンの壁のごとく分厚い壁は
簡単に崩壊することも穴が開くこともない。
自分に対して好意を持ってくれる相手、仲良くなろうとしてる相手だと、
警戒心があがり、心の壁は更に分厚くなる。

そんな彼女の心の壁を壊すのは「安和 すばる」だ。
彼女もまた高校に通わず芸能系のスクールに通っている。
そこに通ったところで高校卒業の資格をもらえるわけではない、
周囲は彼女を女優やタレントにしようとしているが、
彼女はドラム、「太鼓」を叩きたいと思いがある。

社会に対しての不満を安和 すばるも抱えている。
しかし、「井芹 仁菜」の不満はそれ以上だ。
人前で歌うことを1度は拒否しつつ、バンドを辞めるという流れになっても、
本心としてはバンド自体は続けたい。本当に面倒くさい(笑)

そんな面倒くさい彼女を「河原木 桃香」がきちんと把握し、
彼女の心を理解しているからこそ、事態がややこしくはならない。
主人公はとんでもなく面倒くさいのに、
ストーリー自体は面倒くさくならないのは彼女だけだ。

そんな3人の練習、初めての音合わせ、
主人公は「あーあー」と叫んでいるだけで歌詞もない、
だが、そんなセッションに可能性を感じる。
もうやめられない、もう歌うことを、ロックをやめられない。

鬱屈とした思いを、社会への不満を彼女は叫ぶ。
自らに突き刺さった数え切れないほどのトゲ、そんなトゲを周囲に解き放つ。
彼女たちの初ライブにはロックンロールに溢れている。

フルCGであることが此処でも生きてくる、
ギターの細かい動き、ドラムの豪快だがリズムカルな動き、
体を音に合わせて揺らす動きと楽器を奏でる表情まで細かく描き、
歌い上げるボーカルの表情と動きもダイナミックに描いている。

本当に目の眼の前にロックバンドがいるかのような没入感、
丁寧にキャラを掘り下げ、バンドメンバーに出会い、
キャラクターが持つロックを描き、それが歌になり、ライブになる。
3話まででお手本のようなストーリー展開をみせつつ、
この作品がはらんでいるロックをこれでもかと描いている。

ライブ

中盤になるとライブハウスでライブをやる流れになる。
アマチュアのバンドがライブをやるためには
「チケット」を売らないといけない、売れないバンドは
お金がかかり、バンドを続けられなくなる。

彼女が社会に殴り込み、ロックを叫ぶためにはお金がかかる。
お金を稼ぐためには「社会」と繋がらないといけない。
「河原木 桃香」はかつてメジャーデビューする寸前のバンドの
ボーカルを務めていた、しかし、彼女はメジャーデビューする前に
バンドを辞めている。

そんなかつてのバンドは新たなボーカルを加えてデビューしている。
そんな新たなボーカルは「井芹 仁菜」との友達だ。
なぜ彼女が自分よりも先にバンドをやっているのか、
なぜ彼女が歌っているのか。
自分を見放し、絶縁した友達が歌うことを彼女は受け入れきれない。

彼女にとって歌うことは社会への攻撃であり、反乱だ。
だからこそ、自分を見放した、自分にトゲを刺した女が
ステージで歌っていることを許容できない。

変化したかつてのバンドは売れるために変化した。
だが、主人公にとってはその変化が受け入れきれない。
「河原木 桃香」もまたバンドの変化を受け入れきれなかったからだ。
メジャーという社会に迎合することを受け入れきれなかった。

社会に迎合したバンドと、社会に迎合しきれないメンバーのバンド。
どちらがロックかと言えば後者だ。
だが、売れるのは前者だ。それが現実であり、社会だ。

お金も知名度もない彼女たちが売れるにはどうすればいいか。
少しずつでも爪痕を残せばいい、それがいつか大きな傷跡となり、
社会に大きな中指をつきたてることになる。
彼女たちの爪痕、引っかき傷が徐々に広がっていく。

社会に殴り込みたい、漠然とした目標が中盤で定まっていく。
自分達がどうしたいのか、中盤でそれそれ足元を固めていく。
売れたい、認められたい。
彼女たちは「数字」を追い求めていく。

数字

バンドが売れるためには数字が必要だ。
フォロワー数、再生数、集客力、それが社会に認められるということだ。
主人公の思いは変わっていない
「負けたくない」「終わらせたくない」ということだ。
自分が間違っていないという思いがあるからこそ、それを証明したい。
それは1話から変わってない。

彼女は常に嘘をつかずに正論を吐き散らす女の子だ。
自分に嘘をつけないからこそ社会に馴染めない。
社会で生き抜くためには虚勢やお世辞、様々な嘘が必要だ。
しかし、彼女にはそれができない、まさに正論モンスターだ。

そういう人たちも社会で生き抜くために正論を心にしまい、
虚勢と言う名の嘘を身にまとって生きている。
だが、彼女は違う、正論モンスターは自らの正しさを主張し、
正しいんだと自分自身で信じたいからこそ、
叫び、歌う、彼女にはそれでしか証明することができない。

自分が憧れて上京するまでに至った
「河原木 桃香」の音楽を、彼女の存在が認められることが
主人公自身の存在証明でもある。

そんな彼女たちの前に二人の少女が現れる。
たった3人しか居なかったバンドに二人の少女が加わる。
二人の少女はメジャーデビューのきっかけはあったものの、
やりたい音楽とは違った。彼女たちもまたロックだ。
当然、高校も行っていない(笑)

4人はプロを目指し始める、しかし、「河原木 桃香」だけは違う。
彼女は1度、挫折し、地元に帰ろうとした身だ。
このまま4人といっしょに突き進めるのか、1度失敗したからこそ、
突き進むことに恐れを感じてしまう。

4人はまっすぐに突き進もうとしている、自らの正しさを、
自らの存在証明を、自らの哲学を彼女たちは信じようとしている。
それこそが若さだ。

トゲが刺さった少女たちは、そのトゲを受け入れるのではなく、
周囲に解き放とうとしている。
「トゲナシトゲアリ」、彼女たちのバンドは小さなトゲで
見るものに傷跡を残そうとしている。
それがたとえ小さい傷でも、自らが生きた証、存在証明だ。

主人公は高校を中退し、大学に進学することをやめた。
それはかつて「河原木 桃香」がとおってきた道でもある。
退路を断つことで前しか見ない、失敗すること、
だめだったことを恐れず少女たちは突き進む

だが、「河原木 桃香」は違う。
1度失敗してしまったからこそ、同じ道を再び突き進もうとする
「井芹 仁菜」を受け入れきれず、自分も同じ道を進むことができない。
「河原木 桃香」はかつての自分を「井芹 仁菜」に見ている。

だが、「井芹 仁菜」はそれを拒否する。
貴方は私ではない、私は私だ。
決して他人は自分の代わりにならず、同時に自分は他人の代わりはならない。

かつてのバンドメンバーに「井芹 仁菜」は言い放つ。
「私達が正しかったっていいますから!」

そんな言葉に「河原木 桃香」も立ち上がる。
かつてのバンドを、売れるために変わったバンドをやめた自分を、
間違ってないと言えるように、負けないように、
彼女らは抗い、小指を突き立てる。

荒削りで、不器用で、トゲだらけの彼女たちは
社会に馴染むのではなく、挑もうとする。

トゲだらけだからこそ他者にトゲをさすことを、
これ以上、誰かからトゲをさされることを恐れている。
しかし、それでも彼女たちは突き進む。
ボロボロに、トゲだらけになっても。

それを主人公の家族も認めてくれる。
自分の味方をしてくれず、自分にトゲを刺した家族、
しかし、そんな家族からの愛を主人公は改めて実感する。
自分が好きだということを、夢を応援してくれる。
そんな父の理解「いってらっしゃい」という言葉が突き刺さる。

それは先の尖ったトゲではない、
愛情という名の優しい丸みを帯びたトゲだ。

フェス

11話ではフェスに参加することになる。
そこには「河原木 桃香」がかつて所属していたバンドも参加している。
この11話は全13話の中で最高潮のライブだったともいえる。
1番の盛り上がりどころだ。

中指ではなく小指を突き立てる。それが彼女たちの決意の証だ。
ギターを始めたばかりでろくにひけない、そんな主人公、
不器用で臆病で人を信じない、そんな彼女たちの本気の歌声が鳴り響く。
クソ優しい顔で蝕んでくる現実に、
自分を否定した全ての人に、社会に突き刺す歌を叫ぶ。

フルCGだからこそのカメラワークはちょっと酔うほどだ、
カット割りを頻繁に挟みながら各キャラを映しつつ、
まるでドローンで撮影しているかのような
カメラワークで最高のライブが描かれる。

それぞれの傷、それぞれのトゲ、簡単に抜き取れるものじゃない。
それならばこの社会にそのトゲで傷跡を残してやる。
そんな叫びすら聞こえてきそうなほどの魂のライブに、
見るものすべてを飲み込む最高のライブが描かれる。

事務所

そんなフェスを経て彼女たちは事務所に入ることになる。
プロとして、きちんと毎月お給料も支払われる。
世間の声は主人公たちのバンドより、かつてのバンドである「ダイダス」だ。
売れることを意識したバンドと売れることを意識してないバンド、
その差が生まれだす。

プロになるということは、アマチュア時代より
多くの人と関わるということだ、社会人になった彼女達は
社会とかかわらなければならない。
アマチュア時代ならこだわるだけこだわることができる、
しかし、プロになったら違う。

売れ線の曲と音楽性を貫いた曲は違う。
売れる曲を意識したダイダスは、社会に迎合したバンドだ。
しかし、「トゲナシトゲアリ」は違う。
社会に迎合せず、社会に殴り込む。それこそが
「トゲナシトゲアリ」だ。

社会人として仕事を受けないといけないこともある。
「ダイダス」と企画が持ち上がっても、結果は目に見えている。
だが、負けるとわかっていても、社会人として、プロとして、
何より負けたくないからこそ、彼女たちは挑む。

だが、現実は厳しい。多くのプロに認められ、
自分達でも納得できる曲が生まれた、
しかし、彼女たちの曲はたった103再生しかされない。
社会に迎合しなかったものへ、社会という現実が襲いかかる。

対バン

最終話で彼女はかつての友達であり、
今はダイダスのボーカルである「ヒナ」と二人で会話する。
ヒナは社会に適合した存在だ、いじめを見て見ぬふりをし、
自らの社会の中での存在を大きく見せるためにも
ヒナは社会に迎合し、売れるバンドで売れる服で売れるように歌う。

主人公とは真逆の存在だ。そんな彼女に絶対に負けを認められない。
自らが間違っていないことを、自らが正しいということを、
彼女は証明したい、それでなければ自分の存在を確立できない。

彼女は不安をずっと抱えている、自分は間違ってるんじゃないのか、
自分は社会不適合者ではみ出しものなんじゃないのか、
自分という存在の意味はないのではないか。

それを必死で否定している、それが彼女の本心であり、
彼女がついている嘘だ。
本心と正論しか言わない彼女がひめている嘘、
本心と正論は多くの人を傷つけている、
それが間違っているんじゃないか。

事務所に所属する、それ自体が間違っていたのかもしれない。
社会に迎合せず、社会に組み込まれず、
自分らしい音楽で、誰にも頼らず、この社会と現実に
彼女たちは挑むことを決意する。

最初から最後まで「井芹 仁菜」という女はロックだ。
そんな女のロックな生き様を1クール見せつけてくれるような作品だった。
彼女たちの音楽は、ロックンロールは止まらない。

総評:暴れまくれ、正論モンスター

全体的に見て素晴らしい作品だ。
フルCGで描かれたアニメーションのクォリティの完成度は
東映アニメーションが築き上げた技術力を感じるもので、
ぬるぬると動きながらコロコロと変わる表情は魅力的で、
ライブシーンではフルCGだからこそのカメラワークで魅せてくれる。

ストーリーは一言、ロックだ。
「ぼっち・ざ・ろっく!」が令和の陰キャのロックを描いた作品なら、
この作品の場合は昭和から平成初期の不良のロックだ。

陰キャも不良も根本的な部分は変わらない、
社会に馴染めない、社会というものに不満がある。
不良という存在が居なくなったからこそロックは陰キャが
メインになっていったが、この作品は違う。

メインキャラは高校中退でバイトに明け暮れる日々だ。
しかし、そんな後が無い状況の中でも彼女たちは諦めていない。
自分が間違ってるんじゃない、世界が間違ってるんだ。
そんな思いを抱えている。

「井芹 仁菜」という少女はまさにロックンロールな生き様だ。
学校をやめ家を出て大学に進むことも諦め、音楽で生きていこうとする。
自分が正しいことを、間違ってないことを証明するために、
そのためならば安定した事務所の所属すらやめてしまう。

あまりにも不器用だ、しかし、そんな不器用な生き様が
音楽で生きてくる。社会への不満、自分の生き抜きさを
言葉で、歌で、彼女は全身で表現している。
1クールで気持ちがいいくらいのロックンロールが描かれ、
彼女たちの音楽が今後も続いていくことを感じさせてくれる。

声優さんたちは新人ばかりであり、
ときおり演技力に不安を感じる部分はあったものの、
中盤からはそのあたりも気にならなくなり、
むしろ、どこか拙さを感じさせる演技が不器用な
ロックンロール少女たちのキャラ描写を後押ししていたようにも感じる。

けいおんとも、MyGO!!!!!とも、ぼっち・ざ・ろっく!とも違う。
「ガールズバンドクライ」という作品の個性を
1クールで全開に描いており、制作側のロックな魂をも
感じることのできる作品だった。

個人的な感想:続編

予想以上に盛り上がり、2024年春アニメの覇権の座に
君臨していた本作品だが、続編などはあるのだろうか?
制作側としては2期や劇場版などの続編を考えていそうだが…
あるとすれば劇場版かもしれない。

プロではなくインディーズになった彼女たちが
どんなロックを見せてくれるのか。
「井芹 仁菜」にあったトゲはだいぶ1クールで抜けており、
そのあたりが続編があるならばどうなるのか気になるところだ。

フルCGでここまでのアニメが地上波で見れるようになったのは
本当にすごいことだ。
CGに関しては苦手な人も多いが、ぜひ1話試してみてほしい。

社会に中指突き立てる少女に惚れてしまうはずだ。

「ガールズバンドクライ」に似てるアニメレビュー

「ガールズバンドクライ」は面白い?つまらない?

この作品をどう思いましたか?あなたのご感想をお聞かせください