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2024年アニメ映画ワースト1「ふれる。」レビュー

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ふれる 映画
画像引用元:(C)2024 FURERU PROJECT
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評価 ☆☆☆☆☆(4点) 全106分

映画『ふれる。』本予告第2弾 10月4日(金)公開

あらすじ 離島に住む小学生の小野寺秋は学校で孤立していたが、海辺の崩れた洞窟の中にあった祠に入り、不思議な生き物に出会う。その生き物は、島の伝説にある「ふれる」を連想させるものだった引用- Wikipedia

2024年アニメ映画ワースト1

本作品はオリジナルアニメ映画作品。
監督は長井龍雪、制作はCloverWorks。
脚本は岡田麿里、キャラクターデザインは田中将賀ということで
あの花を手掛けたスタッフが再集結した作品となる。

なお、本レビューはネタバレを含みますのでご注意ください

離島

主人公は口下手な少年だ。家庭環境故に本心を口に出せず、
そんな本心を口に出せない苛立ちからすぐに手を出してしまう。
そんな少年が見つけたのが島に伝わる伝説の生き物である
「ふれる」だ。

タイトルにもなっている「ふれる」、これはこの作品の舞台装置であり、
見た目はトゲトゲのハリネズミのような見た目をしているが、
そんな「ふれる」が心をつなげたいと思った相手同士をつなげてしまう。

主人公は本心では仲良くなりたいと思っていた二人とともに、
ふれるに「選ばれ」、言葉にしなくても互いに触れ合うだけで
本心が伝わるようになってしまう。

この仕掛け自体は面白く、青春というものを描いてきた
長井龍雪や岡田麿里さんが、そんな仕掛けをつかって
どんな青春ストーリーを紡ぎあげるのかという期待感は感じさせるものの、
見せ方がシンプルに悪い。

映画冒頭から時系列が飛びすぎだ。
少年時代の主人公の時系列を描いたと思えば、
大人になった主人公の時系列に飛び、そうかと思えばまた少年時代に戻る。
意味のない時系列の変化を映画冒頭から繰り返してる上に、
「ダイジェスト」を多用している。

とくに序盤はダイジェストが多い。
ふれると出会い心がつながった3人の少年時代はダイジェストで
一気に進んでしまい、仲良くなった3人が中学生、高校生、
そして上京するまでの時系列を一気に描いてしまう。

「君の名は」のヒット以降、このようにダイジェストで
日常シーンを見せる手法が一時期はやったものの、
「君の名は」のように印象的な曲とともにダイジェストを
流すならともかく、そういった印象的な曲ではなく
ただのBGMだ。

そのせいで冒頭からだらーっとした印象が強くついてしまい、
メインキャラクターである3人の印象が薄いまま
ストーリーが描かれてしまう印象だ。

同居

離島から上京した3人、主人公はフリーターとしてバーで働き、
一人は服飾系の学校に、もうひとりは不動産会社に就職している。
ふれるは3人のもとに未だにいて、3人の心をつなぎ、
彼らは無二の親友となっている。

本心が伝わる、言葉にしなくても伝わるというのは楽だ。
隠し事も嘘も一切ない、相手に対して悪意を感じさせることもなく、
心がつながった3人はかけがえのない友だちになっている。
だからこそ3人は上京しても一緒の部屋で暮らしている。

何も問題のない関係性だ。平和で穏やかで、
誰よりも自分の心を、本心をわかってくれる友達たちと
仲良く暮らせることは幸せなことに違いない。

しかし、同時に主人公はもともと口下手な少年であり、
それが大人になって変わっていない。
小学生から20歳を超える年齢になっても、
10年ほどの月日がたっても彼は口下手なまま、
他社に本心どころか上手くコミュニケーションすらとれない。

わかりやすくいえばコミュ障だ。
言葉にすることは難しい、自分の気持ちを言葉にして伝えることは
彼にとって難しいことだ。
しかし、それを改善しなくても自分のことをわかってくれる二人がいる、
ふれるさえいれば彼は成長しなくてもいい。

どこか「ふれる」という存在に3人は甘えてしまっている。
しかし、男3人ならそれで問題がない。
3人だけの世界なら一切問題がなく、何事も起きなかったはずだ。

だが、それでは物語が生まれない。
序盤をすぎると「岡田麿里」という脚本家の「悪意」が
この作品を侵食し始める(笑)

完成された3人の世界に侵食するのは「女」だ。
主人公がたまたまひったくりからカバンを取り返してあげた女性、
そんな女性とその友人の女性が唐突に3人の世界に侵食してくる。

この女性二人の図々しさたるや壊滅的だ。
一人はストーカー被害にあっている女性であり、
もう一人はやや男気のある女性だ。
そんな二人が「ふれる」のことをしらずに、
男同士で手を触れ合っているところをみて「同性愛者」と勘違いする。

これ自体は問題ない、むしろそう見えてしまうのはあたり前だ。
しかし、それを利用しようとする。
ストーカーからの被害を逃れるために
安全な主人公たちの家にやや強引に乗り込んできて同居を始めだす。

当然、コミュニケーションが苦手な主人公は拒否感を示すものの、
「二人の女」に「二人の男」が好意を寄せてしまう。
そんな好意を利用し、安全な住処に女が押し入ってくる(笑)
とんでもなく図々しい話だ。

それだけならともかく、同性愛者じゃないと気づけば
「ルール」を押し付けてくる。洗面室に入る際のルールなど、
異性同士が暮らすからこそのルールなのはわかるが、
あくまで女はストーカーからの被害をうけないように
一時的に避難しているだけに過ぎない。

そんな半ば強引におしかけた上京なのに
「ルール」を押し付けてくる女たちにストレスしか感じない。
そもそも「ひったくり」から助けてくれたとはいえ、
主人公とほか二人と彼女たちは初対面だ。
そんな男の家に住み込んでくるという話の流れもかなり強引だ。

3人の男同士の完成された友情、完璧な世界を
「女」が介入することで破壊する。
岡田麿里という脚本家の女性というものに対する悪意を
全開にするような脚本が話が進めば進むほどフルスロットルになっていく。

男と女、そんな異性がコミュニケーションをとれば
「恋愛感情」が生まれる。

まりぃぃぃ!

主人公はやや男勝りな「鴨沢 樹里」に好意を抱きだす。
ふれるでつながっていなくても本心を口に出せる、
そんな自分の本心を受け止めて好意を向けてくれるように感じる彼女に
主人公は好意を抱いてしまう。

これもまた主人公の気持ち悪さにもつながっているのだが、
いわゆる「陰キャ」な「男性」がちょっと「オタクに優しいギャル」的な
存在に少し優しくされただけで勘違いする図式そのものだ(笑)
そんな図式で描かれても主人公に気持ち悪さを感じてしまう。

当然、その図式で描かれているからこそ「鴨沢 樹里」は
主人公に対して一切恋愛感情を抱いていない。
優しくしてくれて、実はおしゃべりな自分が好きだといってくれたのに、
当の本人は「弟のようにしか思ってない」と言ってしまう。
勘違いする主人公も主人公だが、勘違いさせる女も女だ。

しかも、いつのまにやら「鴨沢 樹里」は
主人公の友人の一人「祖父江 諒」と付き合っている。
いつどこでそうなったのかが一切描かれていないものの、
そんなことを主人公は一切気づかず、彼女に告白しようとする(笑)

ここで効いてくるのが舞台装置である「ふれる」だ。
主人公としては彼女に好意を持っていること告白しようとしていることを
「祖父江 諒」にふれるを通して伝えているつもりだった。
逆に「祖父江 諒」は「鴨沢 樹里」と付き合ってることを
ふれるを通して伝えているつもりだった。

この「すれ違い」のせいでややこしいことになってしまっている。
中盤になると、実は「ふれる」は関係性がややこしくなりそうな
言葉や本心を自動的にブロックする機能が
存在することが明らかになる(笑)

本心を伝えている、嘘も隠し事もふれるのおかげで一切ない。
そう思っていた3人の関係性だったのに、
そこに「女」が介入することで「ふれる」に
フィルター機能が備わっていたことが明らかになり、
3人の関係性が壊れてしまう。

自分たちの関係性は本当に友情と言えるのか、
そんな悩みが生まれる。

浅川 奈南

この作品における最大の悪女は「浅川 奈南」という女だ。
彼女はストーカー被害にあっている可哀想な女性で、
純真無垢そうな可愛らしい女の子だ。
しかし、彼女こそ、この作品における1番の問題児だ。

彼女は3人のメインキャラの一人である
「井ノ原 優太」から好意をいだかれている。
だが、明らかに彼女は主人公に対して好意を向けている。
このすれ違い自体はいいものの、問題は彼女の行動だ。

ある日「井ノ原 優太」と二人だけで飲んでいると、
彼は彼女にキスを迫ってくる。1度は断るものの、
「別に嫌いじゃない」というようなセリフを吐き、キスを受け入れる。
当然、キスを受け入れてくれたのだから「井ノ原 優太」としては
自分の好意を受け止めてくれた、付き合っているという認識になる。

しかし、彼女としては本当は別に好きでもない相手だ(苦笑)
好きでもない相手に酒の勢いもあったとはいえキスを許し、
そんな気はなかったと言い訳してしまう。もうめちゃくちゃだ。

ストーカー被害にあっているのは本当に可愛そうだとは思うが、
そんな被害にあっているのに初対面の男の家に潜り込むわ、
別に好きでもない男とキスするわ、
付き合うのかと思えばそんなつもりじゃなかったといいだすわと、
もうめちゃくちゃだ。

「そんなことをしてるからストーカー被害に合うんだ」というような
主人公の台詞は最低に聞こえるものの、
彼女がどうしてストーカーに合っているのかという
流れやストーカーとどういう過去があったのかというのは
描かれていないため、作中での行動のような思わせぶりなことを
したんだろうなと主人公と同じように想像してしまう。

しかも、彼女が好きなのは主人公だ。
思わせぶりな態度を取られまくった「井ノ原 優太」は
当然傷心してしまい、主人公は主人公で思いを寄せていた女が
「祖父江 諒」と付き合ってることを知ってしまい、
もう3人の関係性がメチャクチャだ。

この二人の女さえいなければ、3人の男同士の友情は
変わらずにそのままだったのに、二人の女が現れたことで
完璧に破壊されてしまう。

ちなみに「浅川 奈南」という女が主人公に好意を抱いた理由は
顔と慎重だ。もう何の擁護もできない。
せめて「ひったくり」からカバンを取り戻してくれたときに
その男気や行動に惹かれたとかいうならば納得できるが、
完全に見た目だ。とんでもない女だ。

きつい

こんな恋愛事情やドロドロな人間関係を紡いでいるのが
「成人した大人」というのも厳しいところだ。
それこそ、これが「ふれる」に出会ったばかりの小学生、
せめて高校生くらいの男女ならば、まだ青春劇としての
ドラマとして飲み込めるものの、成人した大人がこんな
幼稚な恋愛ドラマを描いていることに苛立ちしか感じない。

「ふれる」のフィルター機能にしても10年くらいたっているのに
気づかないというのも違和感しかない。
なぜ3人のメインキャラをここまで大人にしてしまったのか。
これがそもそもの間違いだったようにも感じる。

小学生の時にふれるに出会って、3人は親友となったものの、
中学生になって少しおとなになり、いろいろな人と関わり、
女性に対する恋愛感情もわきでたことで、
3人の関係性がこわれ、ふれるのフィルター機能に気づくならば
まだ納得できるが、立派な大人でこんな幼稚なドラマを見せられても
メインキャラクターに対して幼稚さ以外感じない。

3人の関係性が壊れ、うじうじと3人が悩む展開も幼稚さの極みだ。
本心が言えなかった少年が「ふれる」という舞台装置を使わずとも、
腹を割って話せるようになる、そういうことを描きたいのは分かるが、
そのメインメッセージすらもきちんと描けていない。

終盤

終盤はとにかくひどい。映画としての派手さがほしい。
そんな制作側の気持ちが伝わってくるような
アニメーションの数々は白けるどころの騒ぎではない。

終盤、唐突に「ふれる」が大暴走を始める。
3人のメインキャラを自分自身の世界に飲み込んでしまう。
その世界でのアクションシーンが描かれる。

別にこの作品にアクションシーンなど一切いらない。
しかし、それだと映画としての派手さがない。
だからこそ「ふれる」を暴走させてファンタジー感を強め、
ふれるの内面世界に3人を飛ばすことでアクションシーンを描いている。

胃の溶解液から逃れたかとおもえば、空に投げ飛ばされて落ちて、
映画としての派手なシーンが欲しかったんですと言わんばかりの
アホみたいなアクションシーンは作品に全く持って必要ではない。

そんな内面世界で3人が対話をし仲直りしたかと思えば、
「ふれる」が大暴走し、大量の糸を出し始めて
街中の人々の心と心を繋いでしまう。
人類補完計画でも始めるのかと思うような怒涛の展開は
物語としての必要性を一切感じない。

あくまで、この作品は陰キャコミュ障な少年が
「ふれる」という都合の良いコミュニケーションツールをすてて、
本心を他者にぶつけることに怯えずに、
ほんとうの意味でコミュニケーションを取れるようになるという物語だ。

それなのにラストで「ふれる」を中心となる問題になっている。
そもそも、この「ふれる」自体もマスコットキャラとしての魅力もなく、
あくまで「舞台装置」なのに、そんな舞台装置に
唐突に主人公が感情移入をはじめ、
ふれるを助ける助けないの話になってしまう。

これで「あの花」の「めんま」のように、きちんと人格があり、
メインキャラに深い思いいれがあり、
見ている側にもそれを感じさせるストーリーがあるならば別だが、
この作品はそんなものがないのに、めんまがきえるレベルで
主人公たちが終盤あせりまくるのは物語として意味不明だ。

ふれるがいなくても大丈夫、ふれるからの卒業、
ふれるという安易なコミュニケーションツールを捨てることで
3人の少年が大人になるという物語だったはずなのに、
それをやるためにオタサーの姫を投入し、
最後はふれるが大暴走するという蛇行に蛇行を重ねるような作品だった。

総評:ホモソーシャルをぶち壊す、オタサーの姫

全体的に見て色々とひどい作品だ。
アニメーションのクォリティ自体はCloverWorksだからこそ高く、
細かい感情の表現の描写や、
「雨」や「海」など背景描写もしっかりしており、
アニメーションとしての見ごたえはしっかりとある。

しかし、問題は脚本だ。
「ふれる」という便利なコミュニケーションツール、
そんなコミュニケーションツールを通じて友だちになった
3人の友達ではあるものの、そこに女が介入することで崩壊し、
「ふれる」というコミュニケーションツールの問題も発覚する。

この流れ自体は納得できるものの、
あまりにも「女性」というものを悪意を持って描いており、
「女性」たちが都合よく男の世界に足を踏み入れ、
ドカドカと暴れまわって彼らの世界を壊していくさまは不快でしかない。

しかも、そんな3人の男たちも幼稚だ。
恋愛沙汰のいざこざで男の友情が壊れるというのは
たまに聞く話ではあるものの、
幼稚な男同士の関係性「ホモソーシャル」を大人な女がぶちこわし、
男たちを幼稚さから脱却してあげるというような
上から目線の意図すら感じるような作品だ。

それをやるための展開も強引すぎる。
ストーカー被害にあって怯えている女性が
初対面の男性の家で飲み会をしたかと思えば同居し始めて、
勝手にルールを押し付けて、好きでもない男とキスをする。
メチャクチャすぎる展開だ。

ここまでの展開でだいぶひどいのに、終盤は
映画としての盛り上がりどころが欲しかったという叫びを感じるような
無意味なアクションシーンの数々や、無意味な
「ふれる」という舞台装置の問題に踏み込む展開は本当に意味不明でしかない。

「君の名は」以降似たような青春SF恋愛映画が大量に生まれて
似たようなシーンを多く見かけることも増えてきたが、
そんな「君の名は」のオマージュともいえないような
終盤の展開の数々には笑いすら出ないレベルだ。

せめてキャラクターたちの年齢が中学生か高校生くらいなら
まだ序盤から中盤の話も飲み込める部分もあったが、
終盤はそんな年齢関係なくひどい展開だ。

なんで「あの花」のスタッフが再集結して
こんな映画になってしまったのか、色々と疑問しか浮かばない作品だった。

個人的な感想:まりぃ…

あの花、ここさけ、空の青さを知る人よ、
どの作品も欠点や問題はあったものの、
個人的には作品を重ねるほど好きになっていったシリーズだった。

そんなシリーズを手掛けた3人が地に伏すどころか
穴をほって埋めたくなるほどひどすぎる作品を生み出している。
岡田麿里さんは近年、監督としても2作品手掛けており、
欠点こそあれど「らしさ」が魅力にもなっていた。

だが、この作品はそんな「らしさ」が悪い方向に大暴走してしまっていた。
中盤で恋愛事情がドロドロしてきたときは、
エンジンかかってきたな!とワクワクしてたのだが、
終盤のあの展開でエンジンが壊れてるどころか、
エンジンの代わりにネズミが入っていたような意味不明な展開で終わり、
エンドロールでイライラしてしまった。

このエンドロールに関しても個人的にはかなり気になるところがあり、
「YOASOBI」さんが歌っている楽曲の尺とクレジットの尺があっていない。
YOASOBIさんが歌い終わり、曲が終わるまでずーっと歌声はなく
ループしているようにBGMだけがしばらく流れ続けてようやく終わる。

このエンドロールの調整の気持ち悪さは、
この作品全体の気持ち悪さを象徴しているような感じだった。

「ふれる。」に似てるアニメレビュー

著:額賀 澪, その他:映画「ふれる。」

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