ファンタジー

さぁ!喰らえ!これぞ至高のハイファンタジー「ダンジョン飯」レビュー

5.0
ダンジョン飯 ファンタジー
画像引用元:©九井諒子・KADOKAWA刊/「ダンジョン飯」製作委員会
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評価 ★★★★★(81点) 全24話

TVアニメ『ダンジョン飯』ティザーPV

あらすじ 6人パーティを組む冒険者ライオス一行は、ダンジョン探索中に食料を失い、空腹のままレッドドラゴンに挑むことになる。その結果、パーティは実力を十分に発揮できず壊滅状態となるが、ライオスの妹ファリンがドラゴンに食われながら使った脱出魔法により、他のメンバーはかろうじて地上へと逃れた。引用- Wikipedia

さぁ!喰らえ!これぞ至高のハイファンタジー

原作は漫画な本作品。
監督は宮島善博、制作はTRIGGER

ドラゴン

この作品はいわゆるファンタジーな作品だ。
狂乱の魔術師と言われる存在が居ると言われるダンジョン、
ダンジョンの奥には黄金の国が眠り、そんな黄金を求めて
多くの冒険者がダンジョンに潜り続けている。

主人公であるライオスもまた冒険者だ。
ドラゴンを目の前にして、彼は「空腹」ゆえにボケっとしてしまい、
その隙を狙われてパーティーが崩壊してしまう。
妹である「ファリン」はドラゴンに食われ、
パーティーメンバーも一部脱退してしまう。絶望的な状況だ。

しかし、ライオスは諦めていない。
この世界には「蘇生魔法」がある、死体さえあれば蘇られる。
例えみじん切りになっていても蘇られるが、「うんこ」からは別だ(笑)
ドラゴンに妹が消化されるまえに救い出さないといけない。

物語の目的を1話冒頭でしっかりと指し示すことで、
自然と物語に引き込まれる。

だが、そんな目的を進めるためには腹を満たす必要がある。
彼らがドラゴンに敗退したのは食料をダンジョンの中で失い、
空腹状態で戦闘になってしまったことだ。
もう1度ダンジョンに挑むためにはお金もご飯も必要だ。

ダンジョンという場所を何時間も、何日も潜るためには
「食料」は必須だ。ゲームではあるが
トルネコの大冒険でもご飯は重要だった。
空腹に慣れば何もできないのが人だ。

そんな中で主人公であるライオスはダンジョンの中での
「自給自足」を目指すことになる。
つまりは「魔物」を食らうということだ(笑)

きのこ

彼らが最初に食そうとするものは「きのこ」だ。
キノコはキノコでも子供くらいの背丈があり足が生えて歩き回っている。
当然、パーティーメンバーはそれを食することを拒否するが、
ライオスだけはノリノリだ。

彼は魔物が大好きだ、だからこそ味も知りたくなっている。
とんでもなく歪んだ愛情だ。
不幸中の幸い、妹を助けないといけないという状況、
金も食料も無いという状況は彼にとって絶好の機会だ。
そんな彼の背中を押してくれるのはダンジョンで出会ったドワーフだ。

丁寧にキノコを調理し、サソリを切りつけ、
襲いかかってきた「スライム」もついでに入れてしまう。
元は魔物だが、調理されていくと美味しそうに見えてくる。

この世界の住人にとって魔物とは食するものではない。
人間を襲い、人間を食らう魔物は人間にとって食料という認識が生まれない。
私達の世界、特日本人の感覚で言うならば「ジビエ」に近い。

牛や豚や鶏肉があるのに、あえて鹿やクマを食べる人は少ない。
だが、鹿やクマならともかく、キリンやサイを食べるような感覚だ。
食べ物という認識のない生物を食する、
自然と拒否感がそこに生まれるが、ライオスは違う。

魔物への飽くなき探究心ゆえに、彼は好奇心に抗えない。
彼の仲間たちも「食欲」には抗えない。
ふぐなど毒のある食べ物を食べてきた先人たちのように、
人という生物の飽くなき「食欲」という欲望をこの作品は描いている。

魔物を料理することに人生を捧げているドワーフ、
「センシ」と出会い、彼が仲間になったことで、
食のバリエーションが一気に広がっていく。

ライオス以外、特にマルシルは拒否感が強い。
ゴブリンなどの亜人種やネズミなどは食べたくはない。
しかし、友であるライオスの妹を助けるためにも、
自給自足の生活は続けなければならない。

彼女の存在がこの作品の魔物食という辺鄙な料理の
リアクションをコミカルなものににしており、
魔物を食べることへの拒否感はありつつも、
素晴らしい魔物の料理の味に舌鼓を打っていく。

食材

序盤は本当に多種多様な魔物が出てくる。
それがファンタジーでは定番の魔物だ。
スライムはもちろん、バジリスク、マンドレイクに、オーク、
明らかに食べられなさそうな動く鎧まで。
多種多様な魔物を様々な方法で倒し、食していく。

ファンタジー作品を見ていれば必ず出てくるような魔物が
多く登場し、それをライオスたちは様々な方法で食していく。
彼らは命を奪った魔物を無駄にはしない。それが弱肉強食の世界であり、
命を食すということの礼儀だ。

我々もヴィーガンでない限りは命を奪っている。
それが人が持つ「原罪」であり、この作品はコミカルに描きつつも
そこに向き合っているとも言える作品だ。

マルシルは魔物を食べることへの拒否感が強い。
だが、普段彼女が地上で口にしている食べ物も多くは
同じ生命であることに変わりがない。
「料理」してしまえば「命」は美味しい「食材」になる。

バジリスクは鳥の部分もヘビの部分もローストチキンにし、
マンドレイクはバジリスクの卵で包み込みオムレツにしする。
ファンタジーな食材なのにどこか現実的な食材を使った
料理に変わるのがこの作品の面白みでもある。

食材を手に入れる方法も様々だ。
決して本に書いてあることが正しいは限らない、
経験し、想像し、実践することで、初めて知識が身につく。
仲間たちと協力しながらダンジョンを攻略していく過程も
丁寧に描かれており、それがキャラの掘り下げと印象付けにもつながる。

主人公であり魔物が大好きなライオス、
魔物を料理することへの好奇心が強いセンシ、
魔物を食べることに拒否感のあるマルシル、
どの立場でもない、ある意味中立なチルチャック。

この4人がそれぞれの立場と得意なことを活かしながら
ダンジョンを攻略していきながら、魔物を倒し、
魔物を料理し、それをそれぞれが味わっていく。
魔物を料理して食べるということ以外は
まっすぐな王道ファンタジーだ。

でこぼこで性格も、種族さえも違う4人。
そんな4人が様々なことを言い合いながら、
決して「一人」では思いつきもせず、出来もしなかったことを
4人だからこそなしえていき、素晴らしい料理が完成する。

チルチャックにとっては罠は危険なものであり、
そんな罠からパーティーを守るのが彼の仕事だ。
しかし、センシにとっては「罠」はときに調理道具だ。
チルチャック一人では調理道具するなんてアイデアは浮かばず、
センシ一人では罠を調理道具として使いこなすことはできない。

互いを認め合い、互いを尊重する。彼らは大人だ。
チルチャックなど種族的に見た目は子どものようにも見えるが29歳だ。
そんな長らく冒険していても知らなかったことでさえ、
ときに腹を割って話し合いながら、旅路は続いていく。

そんな大人だからこその旅模様が染み渡る。
食うか食われるか、そんなダンジョンの中で描かれる弱肉強食の世界。
一歩間違えばそこには「死」が潜んでいる。

この世界での死は軽い、蘇生魔法があるからこそ、
死は軽く描かれるが、軽いからこそ油断してしまい、
あっさり死んでしまう世界だ。

主人公たちは油断し、空腹で、弱かったから仲間を食われた、
ならば魔物さえ食いながら強者となって今度はドラゴンを食えば良い。
魔物にはない知恵を出し合いながら、
一人では弱者ではあるかもしれない彼らが4人で協力し合うことで
強者となり魔物を食らっていく。

歴史

この作品の世界はしっかりと考えられている。
彼らが潜るダンジョンは唐突に現れ、狂乱の魔術師という存在を倒せば
黄金の国の王になれるという逸話がある。
様々な種族が存在しているからこそ、種族間の抗争も過去に存在し、
抗争の末にダンジョンの中に身を隠している種族も居る。

単純に魔物をかって食べ続けるだけのストーリーではない、
しっかりとした世界観が考えられているからこそ、
ダンジョンを潜れば潜るほど世界にひめられた謎にも迫っていく。

ダンジョンは1千年前ほどに存在した王国だ。
そんな王国は「狂乱の魔術師」という存在によって囚われている、
謎の多い狂乱の魔術師、そんな狂乱の魔術師に
ライオスたちはダンジョンの中で出会う。

そんな魔術師によってこのダンジョンは作られている。
そこには魔術師でさえ知り得ない「生態系」が存在し、
そんな生態系を1話1話丁寧に描きながら、
ダンジョンの世界を深く掘り下げながら描いている。

ダンジョンという生き物、そんな生き物に住まう生物、
底に入り込む冒険者たちは侵入者だ。

「センシ」はダンジョンでの生活が長い、
だからこそときに「魔物」にさえ気を許してしまう。
見た目が可愛いから、見た目がおとなしそうだから、
それは我々が野生動物に対しても感じることだ。

だが、野生に生きる生物は常に生きるか死ぬかの瀬戸際だ。
野生生物が人間に心を許してくれることはない。
こちらが野生生物を「食欲」という目線で見るように、
野生生物もまたこちらを「食欲」という目線で見ている。
それを忘れれば食われるだけだ。

そこには「生態系」も存在する。
生まれた生態系の中に冒険者も自然と組み込まれている、
なんてことないスライムでさえダンジョンには重要な存在だ。
そんな生態系という巨大な流れに冒険者たちも飲み込まれ、
ときにアニサキスにやられながらも冒険は続いていく。

きちんと考えられた世界観とそこに根付き生きるキャラクターを
序盤から中盤は丁寧に見せている印象だ。

TRIGGER

この作品の制作はTRIGGERだ。
TRIGGERといえばロボットアニメやバトルアニメなど、
激しい戦闘シーンのイメージが強い。
この作品でもそんな戦闘シーンでTRIGGERらしい
作画の崩し方による表現を感じられる。

主人公たちは決して強者ではない。
なろう系主人公のようにチートな能力も持っておらず、
冒険者としてそれなりの実力があるだけに過ぎない。

だからこそ一歩間違えば死にかねない戦闘シーンが多い。
そんなギリギリの中での戦闘シーンの中でTRIGGERらしい描写が生きてくる。
終盤のグリフィン戦などギャグ的なシーンですらあるのにもかかわらず、
TRIGGERらしさ全開のスピード感あふれる戦闘シーンになっている

死が軽い世界だからこそ、あっさりと仲間すら盾にするのが冒険者だ。
日常シーンはコミカルかつ、顔芸のような描写もあり、
そんなほっこりとした食事という日常、現実から
ダンジョンの中というファンタジー要素全開の
戦闘シーンが描かれることで作品にメリハリが生まれている。

簡単に蘇生できる、だが、それはダンジョンの中だけだ。
このダンジョンでは「死」が否定されるような呪いがかかっている、
「不死」の魔術だ。人類の、いや全種族の願いとも言える
不死を叶えるための魔術がこのダンジョンには眠っている。

だからこそばらばらになっても蘇生魔法で生き返る。
それが決してご都合主義ではなく、完成された世界観による
論理付がきちんと行われているからこそ納得できる。

適応

冒険者は「金」を求めている、だが、金が全てというわけでもない。
ときには金よりも大事なことがダンジョンにはある。
それはときに命であり、時には友情であり、時には人情だ。

利害関係で結ばれたパーティーでさえ、
パーティーを汲んでいない冒険者同士でさえ、
ときに金ではない友情で動くこともある。
一人ひとりのキャラクターがこの作品の世界で、ダンジョンで生きている。

序盤でパーティーを抜けたメンバーも、金やそれぞれの事情があり、
パーティーを抜けたものの、かつてのパーティーに対する人情は
そこにきちんとある。だからこそ1つ1つのエピソードが染み渡る。

友を救うためにダンジョンに潜った「マルシル」も、
否定していた魔物を食べるという行為を、友を助けるために受け入れていく。
ある種の適応力だ、人だけでなく動物は「環境」に適応していく。
その中で進化するのが動物だ。それはこの世界の人も変わらない。

ダンジョンというものが現れ、魔物が現れれば、
人もまたそれに適応し、ときに狩り、ときに食らうように進化していく。
人は長い歴史の中で多くの動物にはなかった「知恵」で
その適応力を高めていっている。

ダンジョンの中で生きるために魔物を料理し、
過酷な環境を生き抜くために魔物の素材を利用し、
ダンジョンという環境に彼らは適応し始める。

1クールの終盤になると目的である龍のもとにたどり着く。
だが、彼らは圧倒的に戦力不足だ。
かつてのパーティーメンバーはおらず、戦力と言えるのは3人しか居ない。
戦力をカバーするのは知恵だ。

魔物にはない知恵で、多くの魔物を狩り、
料理し食べてきた知恵が1クールの終盤で活かされる。
純粋な生物としての力では人間は多くの動物に敵わない、
だが、知恵をもって力を制し、多くの動物を食してきた。

それはこの世界でも変わらない。
伝説の金属でできたフライパンで龍の炎を防ぎ、
伝説の金属でできた包丁で龍の肉体をさばく。
食うか食われるか、龍相手でもやることはかわらない。
TRIGGERらしいダイナミックな作画とカメラワークで描かれる
戦闘シーンが龍との戦いを盛り上げる。

だが、何もかもうまくいくわけではない。
巨大な龍の胃の中には「骨」しか残っていない。
本来の蘇生魔術では蘇らせられない、
だからこそマルシルは「禁術」を使うことになる。

仲間を救うために魔物を食らうモラルを犯し、
友を救うために禁じられた魔法を使う罪を犯す。

禁忌

本来はモラル的にアウトな魔物を食べるということ、
本来は禁じられている術を使うこと、
そこに「妹」や「友達」を救うという大義名分が彼らにはあるものの、
根本にあるのは「好奇心」だ。

大義名分があるからこそ罪への意識が薄まる。
だが、罪が罪なのはそこに理由があるからだ。

本来は骨から蘇生できることはできない、だが、
ドラゴンの血肉とともに骨から禁術で蘇ったファリンは「半分」はドラゴンだ。
骨は彼女のものだが、構成しているものはドラゴンだ。
だからこそ本来のドラゴンの主である
「狂乱の魔術師」によって操られてしまう。

序盤から中盤まで丁寧に描かれた世界観、
食い食われながら描かれた弱肉強食の世界が、主人公たちに牙を剥く。
迷宮という生態系に踏み込み、ルールを破ったからこそ、
彼らは主に目をつけられる。

1度は成功した、だが、その1度も無茶苦茶やったことが
たまたまうまく行っただけに過ぎない。
妹を救いたいという思いはある、だが、これ以上の散策はできない。
禁忌をおかし、禁術まで使ったことを彼らは身にしみて実感する。

彼らは大人だ、無茶はしても無謀な行為はしない。
今の自分達ではファリンを再び助けることはできないからこそ、
彼らは来た道を戻ろうとする。戦略的撤退だ。

探索者

ダンジョンに潜っているのは主人公たちだけではない。
かつてのパーティーメンバーや、ダンジョンの攻略を目的とするもの、
政治的な争いが目的で潜っているものもいる。
そんな彼らと主人公たちはダンジョンの中で出会う。

自分達が犯した禁忌と禁術、それを受け入れてくれるとは限らない。
主人公たちにとっては最善な選択であり、
それしか手段がなかったからこそ、魔物を食べ、禁術を犯した。
だが、それを理解してくれるとは限らない。

魔物を食べることすら倫理的にはアウトだ。
法律に触れる禁術などもってのほかともいえる。
それもまた「価値観」の問題だ。
だが、そんな価値観を語らい合うよりも
彼らの前に「魔物となったファリン」が現れる。

単純に食われただけならば、命を奪われただけならば
この世界には蘇生術がある、ダンジョンの中にいれば生き返らせられる。
だが、魔物と融合した妹を果たして救えるのか。

それぞれの価値観、考えがぶつかり合う。
どの意見も正論だ、どの意見も間違っていない。
中盤を過ぎて主人公であるライオスの目的が変わる。
妹を魔物にかえ、妹を助けるためにも、
迷宮の支配者たる「狂乱の魔術師」を倒す。

「なんとなるよ」
そんなライオスの言葉は希望に満ち溢れている。
妹を助かる手段が見つかったわけではない、
だが、彼らはここまでやってきた、レッドドラゴンだって倒せた。
だからこその一言だ。

しかし、彼らにも分かっている。
ドラゴンとファリンの魂が混ざってしまったことを、
混ざってしまったものをもとに戻すことは不可能なことを。

イヅツミ

そんな中で彼らが出会うのはイヅツミだ。
黒魔術によって獣人の体にされた彼女は元の身体に戻す方法を探している。
黒魔術によって姿を変えられた「ファリン」とは似たような状況だ。
しかし、自らの意思がしっかりとあるのが大きな違いでもある。

見世物にされた経験や、自らの身体の状況があるからこそ、
彼女は自分勝手で自己中だ。
そんな彼女がライオスたちのパーティーに加わることで変わっていく。

ダンジョンの中だけではなく、外でも様々な政治的事情が動いている。
ライオス達が潜っているダンジョンのある島を管理しているもの、
ダンジョン自体を管理しようとしているエルフ、
序盤から中盤までの物語は基本的に迷宮の中で描かれるが、
迷宮の外での出来事も描かれることで世界観が広がっていく。

この作品の世界観はあまりにも完成されている。
この作品の下地にあるのは「TRPG」だ。
それはTRPGをやったことがある人ならば察することがデキる、
ダンジョンズ&ドラゴンズなどの作品を彷彿とさせる要素もあり、
そういったTRPGを下地にこの作品らしい世界観を構築している。

ある種の民俗学のようですらある。
ダンジョンという未知の生物が住まう場所の生態系を考え描き、
そこに入り込むキャラクターたちの生き方をえがいている。

魔物たちが私達の世界にあるような料理に変わることで、
ファンタジーと現実感が交差して描かれており、
ファンタジーではあるもののリアルさを感じさせるのがこの作品らしさだ。

ファンタジーは創作物であり嘘の物語だ。
だが、そんな嘘を嘘と感じさせない「リアル」に感じさせているのが
このダンジョン飯という完成されたファンタジーだ。

そんな完成された世界だからこそ、終盤になると
このダンジョンそのものの謎にも迫っていく。
「狂乱の魔術師」の正体、閉じ込められ永劫の時を生きる国民、
最深部にいる謎の存在etc…

そんな中で明かされるセンシの過去は辛辣だ。
彼は仲間とともに迷宮に入り、仲間はグリフィンに襲われ続け、
最終的に仲間同士が争いあった。
仲間がくれた「肉」は本当に「グリフィン」の肉だったのか、
自分は同族を食らったのではないか。

それが彼が魔物を食べる理由の1つでもある。
同族を食べるということは最大の禁忌だ、
食事というものを描いたからこそ、この作品はそこにも触れる。

また一緒に御飯が食べたい。
それは大切な人がいれば自然と考えることだ。
食の本質、生きるという事の本質をこの作品は描こうとしている。
生きているからこそ、生物は食べるという行為をする、
それは命を自分のものにすることと同義だ。

物語はダンジョンの深淵へ、
そしてダンジョンの外へ広まっていき
ライオスは魔物となった妹でレシピを考えながら1期の幕は閉じる。
決まっている2期をこれほど心待ちにしてしまう作品は久しぶりだ。

総評:食うか食われるか、これぞ弱肉強食

全体的に見て完成された世界観の中で描かれる
ストーリーとキャラクター描写がしっかりしている作品だ。
4人のメインキャラが迷宮に潜る理由を1話で明確にし、
そんな彼らが魔物をくらい、料理する様は
どこか現実的な料理のニュアンスすら感じさせることで
現実とファンタジーの境をあいまいにしている。

非常にリアルな作品だ。
迷宮の中の魔物たちの生態系まで意識しており、
ある種のビオトープのようなものが見えるような
設定づくりをきちんとしているからこそ、物語に納得できる。

生きることは食らうことだ、しかし、栄養を取ることだけが
食べることの目的ではない。
人間は罪深い生き物だ、命を奪うだけでなく、
おいしく食べようとする。

魔物を食べるということは我々からすれば、
ジビエや昆虫食、ゲテモノ料理に近いものがある。
女性であるマルシルは最初は拒否感が強いものの、
結果的に出来上がる料理のうまさに感動し、
徐々に彼女も「適応」していく。

この作品は人間の適応力のようなものも描こうとしている。
迷宮という未知の世界、そんな世界に住む魔物、
そこに入り込む冒険者は簒奪者であり部外者だ。

しかし、ライオスたちはそんな冒険者たちの中でも
異質な「魔物を食べる」という行為をすることで、
迷宮の環境に適応し、迷宮の生態系に組み込まれていく。

迷宮に食われたともいえるライオスの妹、
彼女はすでに迷宮の生態系に組み込まれている。
そこから彼女を救うためにはライオスたちもまた、
迷宮の生態系に足を踏み来ないといけない。

迷宮の下層に眠る存在、迷宮を作り上げた存在、
そんな迷宮にとって神ともいえる存在に挑むために、
彼らはさらなる下層へと潜っていく。

1クール全24話でこの作品の世界観をきちんと描き切り、
1話で指示した目的とその結果が終盤には変化し、
2期への期待感を募らせてくれる。

制作のTRIGGERの作画はときおり癖がありきになるものの、
ハイクォリティで描かれた作画が
この作品の完成された世界観を彩り、没入感を強めてくれる。
戦闘シーンはダイナミックに描写することで、
一歩間違えば死んでしまう戦闘シーンを迫力満載に描いており、
「死」が軽いこの世界での緊張感をきちんと醸しだしてくれている。

原作はすでに完結しており、残り巻数を考えれば
2期で完結しそうなだけに、今から2期が楽しみなところだ。

個人的な感想:飯テロアニメからハイファンタジーへ

序盤の段階では少し前にはやった飯テロ系のアニメのような
印象が強い作品だ。
しかし、そんな序盤を過ぎるときちんと考えこまれた世界観から生まれる
ファンタジーな世界とストーリーが素晴らしく、
そこにどっぷりと浸ることができる作品だ。

キャラクターも非常に愛らしく、一人ひとりが
この世界できちんと生きている。
それぞれの人生があり、価値観があり、生き様がある。
そんな彼らが同じ釜の飯を食い、腹を割って話し合うさまがたまらない。

見た目が子供のようなキャラクターもいるが、
それはあくまでも種族的な問題だ。
彼らは基本的に大人だ、大人だからこそ、互いを尊重することができる。

そんな世界観とキャラクター描写が、
ただの飯テロアニメではない、
ハイファンタジーな作品に仕上げている作品だった。

「ダンジョン飯」に似てるアニメレビュー

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