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ドラえもん版マクロス7「映画ドラえもん のび太の地球交響楽」レビュー

4.0
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評価 ★★★★☆(64点) 全115分

『映画ドラえもん のび太の地球交響楽』スペシャルPV ~Vaundy主題歌Ver.~

あらすじ 学校の音楽会に向けて、苦手なリコーダーの練習をしているのび太の前に、不思議な少女ミッカが現れる。のび太の奏でるのんびりとした音色が気に入ったミッカは、音楽がエネルギーになる惑星でつくられた「音楽(ファーレ)の殿堂」にドラえもんやのび太たちを招待する。引用- Wikipedia

ドラえもん版マクロス7

本作品はドラえもんの劇場アニメ作品。
ドラえもんとしては43作品目の作品となる。

今作のテーマはタイトルからも分かる通り「音楽」だ。
冒頭のOPの時点からまるでオーケストラのような
独創的な映像が流れ、白鳥の鳴き声や様々な楽器の音が鳴り響く。
そんな壮大なOPから間の抜けたリコーダーの音につながる。

その正体はもちろん、我らが「野比のび太」だ。
音楽の時間に下手くそな演奏でリコーダーを吹く姿、
勉強もできなければ運動もできず、音楽もできない。
それが40年以上続く国民的アニメの主人公だ。

練習すればきっと吹けるようになる、
そう「しずかちゃん」に言われるもののの、
ドラえもんにすぐ頼るのが野比のび太だ(笑)

そんな「のび太」が目をつけたのはドラえもんの秘密道具である
「あらかじめ日記」だ。
あらかじめ日記に記載しておけば何でも書いた通りになる。
夢のようなアイテムだ。だが、未来の道具はそんなに甘くはない。

野比のび太はよりによって「音楽」を消してしまう。
歌を歌おうにも歌えない、楽器は音は出せても音楽を
奏でることができない。もし、地球から「音楽」というものが消えたらどうなるのか。
そんなifを描くのは実にドラえもんらしい展開だ。

冒頭で音楽や音というものを強調して描いているからこそ、
のび太によって音楽が消えた世界とのギャップが生まれている。
音楽がない世界はみんなどこかイライラしている、
身近にあるちょっとした音楽が人間に精神的な癒しをもたらしている。

音楽はアニメや漫画やゲーム、ドラマや映画と同じく
食事などと違って人間が生きる上ではどうしても必要なものではない。
しかし、そんな音楽がない世界にもう人間は戻ることができない。
音楽は人が生きる上で必要な心の水分のような存在だとも
いいたげなifな描写は素晴らしい。

そんな世界はあっさりと元に戻り、
のび太がリコーダーに嫌気がさしていると、
謎の少女と出会うというところから物語が始まる。

交流

謎の少女はどこから来たのかわからず、言語も日本語ではない。
いつの間にかあらわれて、いつの間にか消える。
しかし、のび太のリコーダーの音に誘われてやってくる。
音楽は時に言語の壁さえこえる、この作品は音楽というものを
徹底的に掘り下げて描こうとしている。

謎の美少女から手紙をもらった「のび太」たちは
深夜の学校へと誘われるまま訪れる。
謎の光に導かれて音楽準備室の扉を開くと、
そこは「宇宙」へとつながっていた。

ドラえもんらしい「冒険」の始まりはワクワクできる展開だ。
冒険の始まりが深夜の学校の音楽室からというのも
子供ならばよりワクワクできる要素だろう。

謎の宇宙船の中は「音」であふれている、
触れれば様々な音が鳴り、音楽が自然と鳴り響く。
のび太たちが遊んでいるだけで、彼だけの音楽が生まれる。
音符や音階、そんな考えのなかった時代にも音楽があったように、
音楽は自然の中に自然と存在する。

のび太たちは謎の少女「ミッカ」によって、選ばれた存在だ。
彼女たちは「ファーレ」を復活させてもらうために、
ヴィルドゥオーゾを探している。
「ファーレ」を復活させるためには音楽の達人が必要だ。

やや言葉が分かりづらい部分があるものの、
簡単に言えば音楽によるパワーを宇宙人が求めて
地球にやってきたような感じだ。

ミッカたちの惑星は「ファーレ」、
音楽をエネルギーに変える技術が確立している。
そんな彼らのエネルギーをのび太たちが演奏することで補給し、
彼女たちの宇宙船の文化が復活していく。

ミッカの住んでいた惑星が厄災が訪れて滅んでいる。
ミッカの同族ともいえる「ムシーカ人」は多くのものが犠牲になっており、
わずかなムシーカ人とロボットを乗せて宇宙へとたび立っている。
ミッカは最後の生き残りだ。

テンポ

このストーリー自体は悪くないものの、
序盤から中盤にかけてのテンポの悪さはかなり気になる。
何回も演奏させられ、回りくどい感じがあり、
だらーっと締まりの無いストーリーを淡々と描いている感じが強い。

音楽自体は素晴らしく、映画館で味わえば
まるでコンサートのような気分を味わうことができるかもしれないが、
話のテンポの悪さは気になるところだ。

ミッカの宇宙船の各所を訪れながら
のび太たちは音楽を奏で続け、多くのロボットが復活し、
宇宙船の機能も回復していく。
この流れが40分以上も続いてしまい、
同じ場所で同じことをしているシーンが流石に長いと感じてしまう。

ストーリーだけなら90分で描けるストーリーを
120分に引き伸ばすために間延びしているシーンが目立っている。

ノイズ

そんな中盤を過ぎると、ようやく「敵」が現れる。
ノイズは増殖し星を食べてしまう危険生物だ、
だが、ノイズはファーレ、音楽を嫌う。
音楽を嫌うからこそノイズは胞子を飛ばし、音楽を食べてしまう。
一瞬でも音楽がなくなればノイズの胞子は一気に増殖し、ノイズが迫ってくる。

その危険が「地球」にもせまっている、のび太のせいだ(笑)
序盤でのび太が「あらかじめ日記」で音楽を1日ほど消してしまったせいで、
地球はノイズの胞子が繁殖してしまっている。
このままでは地球から音楽がなくなり、
ノイズがやってきて地球が食われてしまう。

序盤ののほほんとした雰囲気、中盤のダラっとした展開から
急に地球の危機につながる怒涛の展開だ。
序盤から中盤はテンポの悪さがかなり気になるものの、
その分、終盤でテンポが一気に上る。

特に下手くそなのび太の変化が素晴らしい。
リコーダーの演奏自体に変化はない、
それでも序盤では音楽すら消そうとしていた彼が、
「みんなで演奏したい」と思うまで変わり、
そんな下手くそなのび太の音にみんなが合わせることで旋律が生まれる。

音楽は上手に奏でることが全てではない。
上手な演奏でなくとも感動はできる、楽しく、
音楽をやりたい、聞きたいという気持ち、
それが音楽そのものなのだとでもいいたげなストーリーの流れは
本当に素晴らしいものがある。

僕たちの音楽を聞け!

終盤はノイズとの戦闘が本格的になる。
のび太たちは「楽器」を片手にノイズをやっつけていく、
音楽で戦う、その姿はどこか「マクロス」さえ彷彿とさせる(笑)
ややご都合主義はあるものの、伏線を回収しながら、
そして「タイトル」までも綺麗に回収する。

のび太達と出会ったことでファーレを復活させ、
「ムシーカ人」たちの残したロボット、そして、ミッカは
ノイズと戦う音楽を手に入れる。

言語の壁をこえ、人種の壁も、年齢も超えた
ドラえもんたちとムシーカ人の交流があったからこそ生まれた曲だ、
だが、ノイズの進行は止まらない。

宇宙という場所に投げ出されたからこその
「無音」の静寂の演出は震えるほどだ。
空気がなければ音は響かない、宇宙には静寂が溢れている。
空気のある惑星にしか音は流れない。

だが、彼らには未来の道具がある。
空気のない場所と空気のある空間をつなぎ、
生まれた曲が宇宙全体に鳴り響く。
地球に降り立ち、地球の音楽に触れたからこそ生まれた「地球交響曲」。

知性のあるものが空気のある場所で生まれれば
そこに「音」が生まれ、「音楽」が生まれる。
それが亡くなってしまうことは文明の衰退であり、知的生命体の滅亡を意味する。
ノイズは文明の崩壊、知的生命体の滅亡の比喩表現とも言える。

音楽というものをマクロ的にもミクロ的にも描いた
そんな作品だったのかもしれない。

総評:ドラえもん映画らしさが失われた名作

全体的に観るとドラえもん映画らしい部分は薄い作品だ。
音楽室から宇宙へ旅立つという導入自体は冒険譚の始まりを
感じさせるものの、ほとんど冒険というものはなく、
ムシーカ人の宇宙船と地球のみでエピソードが完結している。

敵自体も「ノイズ」という悪意や目的がない宇宙生命体でしかなく、
ドラえもん映画特有のわかりやすい敵ではない。
そういった意味で過去のドラえもん映画と比較すると、
ドラえもん映画らしい雰囲気はかなり薄れている。

しかし、そのらしさは王道ではあるもののテンプレでもある。
この作品はそんなドラえもん映画のテンプレから抜け出し、
冒険譚ではなく「音楽」というテーマを掘りに掘り下げて
ストーリーを描いており、静かな序章から壮大な終章まで
1つの壮大な交響曲を鳴り響かせるような作品だ。

音楽が失われたらどうなるのか、人類にとって音楽とはなんなのか。
そもそも「音楽」とはなんなのか。
深く考えるとどこか哲学的なニュアンスすら含むストーリーであり、
挑戦的なドラえもん映画という印象を覚える作品だった。

ただ、その反面で序盤から中盤はかなりテンポも悪く、
もっとコンパクトに纏められる話をダラっとしたシーンで
繋いでしまっている印象がある。
そのあたりがなければもっと高い評価ができただけに残念ではあるものの、
大人も子供も楽しめるドラえもん映画に仕上がっている作品だった

個人的な感想:藤子・F・不二雄生誕90周年

この作品は藤子・F・不二雄生誕90周年作品として制作されているが、
そんな記念作品でありながら、かなり挑戦的だ。
藤子・F・不二雄先生の描く長編ドラえもんで宇宙が舞台だと
壮大なストーリーになることは多いものの、
この作品はかなりコンパクトだ。

藤子・F・不二雄先生が生まれて90年、時代が変化し、
価値観も変わり、ドラえもんという作品も藤子・F・不二雄先生の
手を離れて多くの作品が作られており、
あえて藤子・F・不二雄生誕90周年に挑戦作を
ぶつけてくる「意義」のようなものも感じる作品だった。

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