評価 ★★★★☆(60点) 全108分
あらすじ 夏休みのある日。スネ夫・ジャイアン・出木杉・のび太の四人は、スネ夫の家でジオラマを使い、自主制作映画『宇宙大戦争』の撮影をしていた。引用- Wikipedia
小さな世界でも戦争は戦争だ
本作品はドラえもんの劇場アニメ作品。
ドラえもんとしては41作品目の作品となる。
大山のぶ代板からのリメイク映画となっている。
監督は山口晋。
旧作
大山のぶ代板の宇宙小戦争は今から40年ほど前の作品だ。
1985年にドラえもん映画6作目として公開されている。
水田わさびさんに変更されてからドラえもん映画の中で
旧作をリメイクするという形で新作映画にする作品も増えてきている。
リメイクでは旧作通りではなく色々と追加や変更することが多く、
その違いを楽しむのも1つの味になっている。
どのリメイクもそうだが、大山のぶ代板の場合、
子供にとっては「怖い」と感じるシーンも少なくなかった。
しかし、リメイク版の場合は全体的に優しい味わいになっており、
強さを感じさせるシーンが減っている印象がある。
どちらが良いかというのは個人個人の価値観によるところも大きいが、
現代の価値観に合わせたマイルドな作品に仕上げているのがリメイク版だ。
今の子供達に向けた宇宙小戦争かもしれない。
宇宙船
この作品は「宇宙」というものを描いている。
そんな宇宙を舞台にした特撮をのび太たちが撮影している所から物語が始まる。
そんな特撮の小道具の中にあった宇宙船のミニチュアのようなもの。
それはまさに本物の宇宙船だ。
日常から非日常、この自然な流れがドラえもん映画らしい展開であり、
ミニチュアのような宇宙船から出てきた宇宙人「パピ」と出会う。
自分たちとは身体のサイズのちがう存在、
本来なら触れ合うことすら、一緒に遊ぶことすら難しいのだが、
未来の道具を使えば、そんなサイズの違いなど些細なものだ。
そんな宇宙人との日常の中で際立つのが「パピ」のキャラ描写だ。
今作ではリメイク版オリジナルキャラである「ピイナ」という
パピの姉が追加されている。旧版では大人びた印象のパピだったが、
姉の存在があることで、その大人びた印象が少し柔らかいものになっている。
これが本作では最大の特徴となっている。、
戦争
のび太たちは呑気に「宇宙戦争」の撮影をしているものの、
そんな宇宙戦争は「パピ」にとっては遊びでも特撮でもない。
本当に彼の身近で起こっていることだ。
日本の子供は戦争に対する認識というのは甘い、
それは旧作も今も変わらない、30年以上日本は平和が保たれている。
だが、世界は違う。
ドラえもん映画を通して「戦争」というものがなんなのかを
実感できるのがこの作品だ。
パピの母星は将軍による反乱がおき、
大統領であるパピを捕まえようと必死になっている。
のび太たちはそんな事情を聞いても、どこか呑気だ。
スネ夫やジャイアンなどは特に遊び感覚で、
「ラジコン」を使って戦おうとしてすら居る。
そんな中でしずかちゃんが敵に捕らわれてしまう。
元の大きさに戻れば圧倒的な体格差で戦えるかもしれない、
しかし、本来のサイズに戻るためのスモールライトを
敵にとられてしまっている。
そんな中でもラジコンを改造して戦おうとする。
結果的に、のび太たちは敵対行動をしてしまった。
守りたい仲間、友達のために自らも武力を振るうことの意味。
それをのび太たちは分かっていない。
これは戦争だ。
スネ夫
パピはのび太たちと同い年でありながら「大統領」として
責任をおう立場にある、自らに課せられた責務と
自分の愛する人を守りたいという思い、まさに板挟み状態だ。
環境、住む惑星は違っても子供であることは変わりがない。
そんな中でスネ夫も思いを吐露する。
「どうして僕らが、僕らは兵隊でもヒーローでもないのに」
その意見は真っ当な意見だ。これは戦争だ。
子供の頃はスネ夫のこういった臆病なシーンには
そこまでなにかを感じていたわけではないが、
大人になると彼の気持ちが痛いほど分かってしまう。
スネ夫は本当に人間らしく、生々しく等身大のこの年代の男の子だ。
ジャイアンやのび太、しずかちゃんでさえ臆病な気持ちはみせず、
むしろ子供だからこそ純真無垢に友達を助けたいという
思いで戦っている、それは間違いではない。
ドラえもんたちの道具という圧倒的な武力はある、
しかし、相手は1枚も2枚も上の戦術をとってくる。
だからこそスネ夫には「負けてしまうかもしれない」という
心配が募る、怪我をしてしまうかもしれない、命が危ないかもしれない、
そんな思いが彼を曇らせる、情けない自分に苛立ちすら感じる。
そんなスネ夫に「パピ」が寄り添ってくれる。
同じように恐怖を感じ、同じように臆病なのだと。
もし、スネ夫たちがいなければパピはここには居ない。
どんなに怖くても立ち上がらないといけない時がある。
今できることを、自分ができることを。
独裁者
宇宙空間での戦闘シーンは圧巻だ。
改造したラジコンで戦う姿はドラえもん映画とは思えないほど
気合が入った演出とカメラワークで見せている。
特に惑星への「突入シーン」は圧巻だ。もはやガンダムである(笑)
大気圏にラジコン戦車で突入するというシーン、
無重力から重力のある中への突入シーンの気合の入れ方は半端なく、
「強化プラスチックの装甲はびくともしない!」など
ドラえもんで聞けるようなセリフでは本来ない(笑)
クーデターにより独裁者に支配された惑星、
そんな「独裁者」に逆らう市民たちが自由を求めて同盟を組み戦おうとする。
それでもパピは単独で独裁者のもとへ行き捕まってしまう。
セリフにはないものの、地球人であり自分と同じ子供である
ドラえもんたちを巻き込みたくないという思いもあったのかもしれない。
約束を1度も破ったことのないパピが
のび太との約束を破ってまでも、彼らを守ろうとしている。
パピもまた自分の立場を、自分だからこそできることを、
たとえ姉の命を危険にさらしてもやらなければならないことがあるからこそ
独裁者のもとに自ら訪れている。
自分に嘘をついて生き続けるよりも、自分を信じて助けてくれた
ドラえもんたちのように人を思いやることが大切なのだと彼は演説する。
「人を思いやる気持ちこそが、宇宙で1番大事な約束なんだ」
たとえのび太との約束を破っても、
彼にとってもっと大事なことがあったからこそ、
のび太との約束を彼は破っている。
たとえ命を落とすことになっても、それでも譲れないものが
守らなければならないものがある。
独裁者に立ち向かった演説が、言葉が市民を立ち上がらせる。
旧作の基本的な流れは変えず、細かい部分やシーンの変更なども
ちらほらと目立つもものの、この作品で伝えたいことが
より明確になった印象だ。
終盤
絶体絶命からの「スモールライト」の効果切れからの
まるで特撮の怪獣映画でも見ているかのような構図で描かれる
戦闘シーンは素晴らしいの一言だ。
宇宙人と地球人のサイズの差を活かし、
ダイナミックで爽快感あふれる戦闘シーンを描いている。
敵もきちんと強敵として描かれてるのも特徴的だ。
特に「ドラコルル」は軍の長官という立場にある敵だが、
子供であろうと容赦なく、しかも用意周到な作戦を立ててくる。
子供の考えた作戦にまんまとひっかかる大人ではなく、
きちんと彼らの考えを呼んだうえで行動している。
そんなドラコルルも決して独裁者であるギルモアの
考えに従っているわけではない。
ギルモアの最後も「一斉蜂起した市民」に追い詰められて
諦めるという展開も妙にリアルだ。
武力による統治、武力による独裁はいつか限界が来る。
原作では1984年、映画は1985年。
40年という月日がたった今、世界情勢は危ういものになっており、
某国の独裁者ともいえる存在のせあいか某国との戦争状態になっており、
今見るからこそ色々と考えさせられてしまう作品になっている。
総評:40年越しの未来予知
全体的に見て非常に完成度の高い作品だ。
旧作と比べると変更点などは多いものの、基本的な流れは変わらない中で、
キャラクターの心理描写や人間味に重きをおいた描写がかなり目立つ印象だ。
今作のオリジナルキャラであるパピは
「姉」を登場させることで、自身の大統領としての立場と
子供としての心理描写を非常に丁寧に描いており、
同時に「スネ夫」という少年のリアルなヘタレっぷりが
より生々しく、そして彼が立ち上がって戦う展開に
シンプルに熱くなってしまう。
ただ、パピの姉に関しては特に掘り下げらしい掘り下げもなく、
色々と改変した結果、生まれたキャラクターという感じは否めない、
旧作から登場している「ロコロコ」も、
旧作と比べるとかなりセリフが減っている印象がある。
このあたりはスネ夫含めパピなどのキャラを掘り下げるために
尺を使っており、そのせいでロコロコの出番が減ってしまったのだろう。
実際に旧作ではロコロコがスネ夫が閉じこもってるときに
おしゃべりをし続けるというシーンがあるが、
この作品ではパピに出番が変わっている。
原作、旧作がもつメッセージ性を保ちつつも、
現代的にリメイクされており、よりメッセージが際立った印象だ。
特に「約束」というワードはより印象的なものになっている。
旧作のほうが好きという方もいるだろうが、比較してみると非常に面白い作品だ。
こういった旧作とリメイク作を比較できるアニメ映画は
シリーズ物ではドラえもんくらいであり、
そんな比較して見られるのもドラえもんという作品の良さであることを
実感できる作品だった