評価 ★★★★☆(78点) 全13話
あらすじ 「一生、バンドしてくれる?」高1の春の終わり。羽丘女子学園では誰も彼もがバンドをしており、遅れて入学した愛音も早くクラスに馴染めるよう、急いでバンドメンバーを探す。引用- Wikipedia
令和最大級のどシリアス絶望少女青春物語
本作品はBanG Dreamシリーズのアニメ化作品。
これまで基本的にポピパを主軸にしたTVアニメストーリーだったが、
今作はある種のスピンオフであり、
「MyGO!!!!!」という新たなバンドの物語になっている。
雨
1話からギスギスだ(笑)
バンドリシリーズはTVアニメ終盤にギスギスする展開が
ある種のお約束になっていたが、本作は1話からギスギスしている。
女の子同士の口喧嘩、ドロドロとした人間関係から
1話が始まる。
降りしきる雨はまるでキャラクターたちの心情を映すかのように、
BanG Dream1話のあのキラキラドキドキはどこへいったんだ!?と思うほど
画面の色合いもどこか暗い。
そんなドロドロな状況から学園生活に場面が切り替わる。
GWという変な時期に引っ越してきた「千早 愛音」
彼女は変な時期に転校してきたからこそ周りの空気に合わせようとしている。
キャラの心情を丁寧にモノローグで綴りつつ、
「女の子同士」のうわべだけの会話の生々しさを感じさせる(笑)
学校というのはある種の社会だ。
そんな小さな社会で生き抜くために、高校生にもなれば
それぞれの「処世術」が存在する。
「千早 愛音」は周りの空気に合わせ、空気を読むことにたけてる、
同時に目立ちたいという思いも抱えている。
ガールズバンド全盛期を迎えている作中の世界だからこそ、
バンドをやっている子も多い。みんながやってるからこそ、
私もやらないといけない。
それが彼女の生き方だ。
ガチでやりたいわけではない。みんながやってるからこそやりたいだけだ。
ギターボーカルな彼女のメンバー探しが1話では描かれる。
「キラキラドキドキしたい!」という強い思いのあった香澄とはちがい、
彼女はそんな思いはない、あくまでみんながやってるからこそだ。
注目されたい、そんな思いを抱えているだけだ。
そんな彼女とは裏腹に「高松 燈」は空気を読まない子だ。
天文部に所属し、校庭で石を拾っている。
いわゆる不思議ちゃんだ。
「高松 燈」はかつてバンドを組んでいたがとある事情でやめている。
自分のせいでバンドがだめになった、そう思ってしまっている。
そんな彼女を「千早 愛音」は楽観的に背中を押す(笑)
深い理由はない、あくまでも彼女の処世術として、
生き方として楽観的に空気を読んで、重い空気にしないようにしているだけだ。
なんの事情も知らないからこそ、自分の目的のために
彼女をバンドメンバーに誘おうとしているだけだ。
1話からドロドロとしたキャラクターの心理描写が目立ち、
打算的な会話を繰り広げる「千早 愛音」というキャラから
目が離せなくなる。
メンバー
「千早 愛音」が出会ったり会話をしたりするのは
偶然にも「高松 燈」がかつてバンドを組んでいたメンバーだ。
彼女がなぜバンドをやらないのか、それぞれのキャラは事情を知っている。
だからこそ、彼女をバンドに誘おうとすることを起こったり、
彼女のいまを探ろうとするものもいる。
「高松 燈」も本当はバンドをやりたいという思いがある。
だが、過去にあったメンバーの脱退の原因が
自分にあると思いこんでいるせいで、一歩を踏み出せない。
「高松 燈」は少し生き方が下手な女の子だ。
誰かと深く関わろうとすると、嫌がられてしまう。
自分が好きなものを、自分が思ったことを相手に伝えるがうまくできない。
不器用な生き方をしている。
だからこそ自分に興味を持ってくれた人に、
自分に好意を抱いてくれた人に、自分を理解してもらおうと必死になる。
自分の好きなノートに興味を持ってくれれば、
オタクっぽい早口で一気に詰め寄るような女の子だ。
人との距離感というものを掴むのが苦手なのかもしれない。
そんな自分を彼女も理解している。
自分を誰かに理解してもらいたい、共感してもらいたい。
誰しもが感じる欲望だ、そんな思いを彼女は歌詞として綴っている。
「みんなといるのに一人みたい、人間になりたい」
他の子のように器用に生きることが出来ない。
そんな自分は人間らしくない。どこかそう思っている。
解散
そんな歌詞を「曲」にしてくれたのが「豊川 祥子」だ。
彼女にとっての自分の理解者、自分の思いを汲んでくれる友達だった。
そんな「豊川 祥子」と関わったことで、彼女の友達とも関わるようになる。
彼女を理解してくれる存在が現れたことで、彼女の世界が広がった。
だが、必死に歌う彼女を、彼女たちを否定するものもいる。
そんな声に傷つき、もっといいバンドにしようと心がける中で、
そんな言葉に傷ついてしまう。
それぞれのキャラが迷い、傷ついた結果の解散だ。
決して「高松 燈」のせいではない。
だが、他人との距離感や生き方が下手な彼女は
自分のせいだと抱え込んでいる。
重苦しいキャラクター描写の数々、
生々しい心理描写が自然とストーリーの面白さにつながっている。
3話になっても正式にバンドを組むことにはならない。
そんな状況で「千早 愛音」が彼女たちを紡ぐ。
彼女は空気を読むことにたけた女の子だ。
だからこそ、それぞれが気を使い、自分に原因と思っている
彼女たちの心を解きほぐす。
序盤の段階では部外者で新参者の彼女だからこそ出来る所業だ。
ほんの少しのすれ違い、ほんの少しの思い込み、
それが少女たちの関係性をややこしくしている。これもまた青春だ。
未成熟な心を持つ子供な彼女たちが、
他者と関わることで自分と世間のズレを修正していく。
こんがらがった人間関係を「千早 愛音」が解きほぐす。
本当はもう1度バンドをやりたかった「高松 燈」、
彼女だけではないほかのメンバーもそうだ。
もう1度やり直す、1度失敗したからと言ってやり直せないことはない。
そこに野良猫のような「要 楽奈」もいきなりバンドに入ってくる。
マイゴな子猫達と、気まぐれな野良猫、
そんなバンドがMyGO!!!だ。
「千早 愛音」にも失敗した過去がある、
そんな過去があるからこそ空気を読む今がある。
序盤はそんな過去は描かれないものの、断片的匂わせることによって
気にならせてくる。
迷子
1度失敗したからこそ、同じことをやることに対する恐怖がある。
彼女たちが解散したのは「ライブ」をしたからだ。
ライブにおける批判の声に心が折れてしまった。
だからこそ、またバンドを組んでライブをしたら
同じ失敗をしてしまうのではという恐怖が「高松 燈」にはある。
一切順風満帆ではない(笑)
バンドリシリーズの主人公であったポピパは勢いと前を向いて
バンド街道を突き進んできた。しかし、今作の主人公たちは繊細だ。
「高松 燈」はこころに不安を抱えている。
その一方で「千早 愛音」は始めたばかりのギターの技術に対して不安がある。
彼女は逃げた経験のある少女だ。
イギリスに留学したのに、逃げて日本に帰ってきてしまった過去がある。
彼女は空気を読み周りに合わせ打算的に生きようとしている。
そんな生き方が海外という場所では「言語」の壁のせいで
乗り越えることができなかった。
今度こそ逃げないように、今度こそ誰かに注目してもらえるように。
だからバンドを初めただけだ。もう1度、中学の頃のように
誰かに注目されたい、輝きたい、やり直したい。
それは「高松 燈」達とかわらない。
「高松 燈」が彼女の背中を押されたように、
今度は「高松 燈」が「千早 愛音」の背中を押す。
迷ってても進みたい、だからこそ「MyGO!!!」だ。
行き先なんてわからない、また駄目になるかもしれない、
不安を抱えた迷子な少女たちはそれでも己が信じる道が
正しいと信じて己が道を行く。
丁寧な心理描写が思わず涙腺を刺激される。
繊細な少女たちの心を繊細に描くことで、
この作品は過去のバンドリシリーズとは別の道を行っている。
練習
ライブに備えての練習が始まる。
そこでまたギスギスが始まる(笑)
せっかくやり直そうとしているのに、やり直そうとしているからこそ
彼女たちには「あせり」が生まれる。
人前で歌うこと、始めたばかりのギターの技術、
解散していまだにろくに会話をしていない抜けたメンバーのこと。
彼女たちの迷いは中盤になっても晴れないままだ。
ギスギスした空気の中、どんよりとした雰囲気で
キャラクターたちの心理描写が丁寧に描かれている。
まだ迷いの中だ、彼女たちは霧の中にいる。
そんな中で初のライブが訪れる。準備はまだ完全ではない。
心も技術も何もかも未熟なままだ。
ライブ
そんな中で先輩のバンドもちらりと姿を見せる。
立派になった「ポピパ」や「アフターグロー」と同じ
ライブに彼女たちも参加する。
先輩たちのライブを目にしてしまうからこそ、不安もより大きくなる。
自分たちが同じようにライブを出来るのか、また失敗してしまうのではないか。
たった10分のライブ。何もかもがあわない。
弾きはじめて音を合わせることすらできない。
あまりにも拙く、あまりにも未熟だ。
ボーカルである「高松 燈」は声すらまともに出ていない。
必死でがむしゃらでしがみつくような崖っぷちのライブだ。
見ている此方側の心がくじけそうになるほど未完成すぎるライブ。
バンドリシリーズの過去の初ライブは華やかで楽しいものだった、
だが、この作品は違う。
迷うの中にいる少女たちのか細い叫び、楽器の音にかき消されそうな
「高松 燈」の歌声と、必死な演奏が見る側の心を締め付ける。
思わず「頑張れ」と心のなかで応援してしまう。
必死過ぎるライブ、そんな必死過ぎるライブの中で
「高松 燈」は心の声を吐露する。
もうバンドなんてしたくない、そう思っていた彼女、
だが、いざステージの上に立つと、ライブの魅力に取りつかれてしまう。
生き方が下手な他者と関わることが下手な「高松 燈」が
自分の生き様を表現するための、他者と関わるための
唯一の手段が「歌」だ。
必死に歌う彼女たちの曲「春日影」が多くの人の心を動かす。
必死に歌う「高松 燈」、そんな歌声に楽しそうにかきならすメンバー、
それぞれが思いを抱えている。
観客として聞いていたかつてのバンドメンバーである
「豊川 祥子」もそうだ。
だが、そんな「豊川 祥子」の涙を見てしまったからこそ、
長崎 そよの心の傷をえぐってしまう。
「春日影」は解散したバンドの曲だ、彼女にとっての思い出の曲だ。
「豊川 祥子」が居ない中で「春日影」をやってしまうことは、
彼女にとってありえないことだ。
せっかくやり直せると思ったのに、
再び「豊川 祥子」ともバンドをやれると思ったのに、
思い出の曲をやってしまったことで、
せっかくライブが成功したのに、ドロドロとした人間関係は
よりドロドロとしたものになっていく。
人間関係
長崎 そよはもう1度「豊川 祥子」といっしょにバンドをやりたいという
思いがある。だが、彼女はもう1度バンドをやる気持ちはない。
「春日影」はかつてのバンド「CRYCHIC」の曲だ。
新しいバンドでそれをやってしまうことは、
CRYCHICが無くなってしまったこと、もう戻らないことへの
決意表明のようなものだ。
「長崎 そよ」は必死に「豊川 祥子」にしがみつく。
だが、「豊川 祥子」の思いは変わらない。
やり直せると思ったのに、やり直せないこともある。
1度壊れてしまったものを元に戻すことは新しく作ることより難しい。
彼女たちは1度壊れてしまったものを元に戻そうとしている。
なるべく同じ形に、なるべく同じように。
だが無くしてしまった欠片は再びもとに戻ることはない。
世の中にはやり直せないこともある。
「長崎 そよ」が彼女にしがみつく理由もきちんとある。
彼女は幼い頃に両親が離婚している。
それがきっかけで仮面をかぶることになった女の子だ。
母に迷惑をかけないように、周囲に迷惑をかけないように、
「良い子」でいようとしている。
そうすることで自分の存在意義を、居場所を作り上げていた。
そんな中で出会った「豊川 祥子」、彼女に誘われて
はじめたバンドが彼女は、バンドというものの楽しさに、
「豊川 祥子」という少女に依存している。
誰かに必要とされることを彼女は望んでいる。
だからこそバンドの解散ということが彼女にとってのしがらみだ。
自分の存在意義を否定され、バンドが解散してしまったことがくさびとなり、
彼女はかつてのバンド「CRYCHIC」にしがみついている。
「CRYCHIC」を再結成できないことは、
彼女の存在意義の否定にもなってしまう。
だからこそ、彼女はしがみついている。
新しいバンドも、新しいバンドメンバーも
彼女にとっては必要がない。
仮面がはがれた終盤の彼女の姿は彼女の本性だ。
それぞれが自分の存在意義を、自己を確立するために
他者をも平気で傷つける終盤だ。
誰かに認めてほしい、誰かに自分を求めてほしい、
そんな思いが彼女たちを縛り上げる。
こんなつらい思いをしてまで「バンド」を続ける意味があるのか。
バンドリ特有の終盤のギスギス回ではあるものの、
この作品においては通常回でさえギスギスしているのに、
終盤でそれが極まるような印象だ。
たった一人で
終盤で彼女たちのバンドはバラバラになってしまう。
「豊川 祥子」に執着する「長崎 そよ」はバンドメンバーとの
接触を避け、彼女が抜けた衝撃で「千早 愛音」も
自身が求められていないと感じてしまう。
そんな中でも「高松 燈」は一人で歌おうとする。
彼女は楽器を演奏することも作曲することも出来ない。
歌い続けることしか出来ない。
たった一人でステージに立ち、彼女は歌う。
ただただ詩を読み、そこに野良猫のギターが流れるだけだ。
あまりにも不器用で、あまりにも下手くそな生き方だ。
直接、メンバーに言葉を伝えるより、
「歌う」ことが彼女にとっては最適なコミュニケーションだ。
そんなライブに少しずつメンバーが集う。
不器用な生き方に、下手くそなコミュニケーションに、
彼女のそんなところにメンバーは惹かれている。
彼女もまたメンバーのいいところを知っている、
彼女だからこそ、彼女たちとだからこそバンドをやりたい。
そんな思いを彼女は歌に乗せぶつけている。
彼女が抱えるものはロックだ。
音程なんて無い、リズムなんて無い、
伝えたいことを伝えたいように言葉に乗せている。
ロックな「高松 燈」の思いがメンバーを再び奮い立たせる。
迷子な彼女たちが、迷子なままで、突き進む。
迷ってもいい、間違ってもいい、やり直せないこともあるかもしれない。
それでも、進むことをやめない。それが彼女たちだ。
その過程を1クールで丁寧に丁寧に描かれている。
1話から10話まで溜め込んで溜め込んで描かれる
カタルシスこそこの作品の魅力なのかもしれない。
正式なバンド名すらなかった彼女たちが、
バンドとして1度はばらばらになってしまった彼女たちが、
再びステージの上に揃う。
いつも行き当たりばったりで準備すらまともにできていない。
だが、前のバンドとは違いやり直すことが出来た。
仮面を脱ぎさって
「長崎 そよ」は仮面を被っていた少女だ。
ぽわぽわとしたお嬢様のような女の子、
それが序盤から中盤までの彼女だ。
だが終盤はそんな仮面を脱ぎ去る。
自分のために、自分の存在意義のためにバンドメンバーと
関わってきた彼女だが、「CRYCHIC」が再結成できないことを
実感し、今のバンドを続ける決意をしたからこそ
仮面を付ける必要がなくなっている。
素の自分で、本音を吐き散らかしたからこその終盤の姿だ。
野良猫だった「要 楽奈」も終盤で掘り下げられる。
彼女は居場所がない女の子だ。
祖母が作った「SPACE」というライブハウス、
そこが彼女の居場所だった。しかし、もう無い。
あのSPACEの、あのオーナーの孫娘だ。
バンドリシリーズを見続けたからこそ、ジンと来てしまう設定だ。
そんな居場所を失った彼女は自分の場所を探し続けていた。
そんな中で見つけたのが「おもしれー女」がいるバンドだ。
傷つくことを恐れ、傷つかずにいるために迷い続けた。
だが、生きることは傷つき続けることだ。
傷つくことを恐れずに、迷うことを恐れずに、自分の道を行く。
「MyGO!!!!!」というバンドがほんとうの意味で生まれる瞬間が
終盤で描かれる。
受け継がれるマイク
1クール、迷いに迷い続け、少女たちがたどり着く答え。
終盤でのライブは始まる前から涙腺が刺激されてしまう。
「香澄」から「高松 燈」に受け渡されるマイク、
次世代の新しいガールズバンドだ。
そんな彼女たちのステージには多くのバンドと、「オーナー」の姿がある。
そこには「豊川 祥子」もいる。彼女も迷子だ。
迷いに迷った上、彼女たちとは別の道に進むことになった。
道は違えど、1度は同じ道を歩んでいた仲間だ。
立っている場所は違えど、今、同じ場所にいる。
色々な思いを受け継ぎ、彼女たちは迷った挙げ句、たどり着く、
真実
最終話、真実が明かされる。
「豊川 祥子」は以前のバンドを抜けた理由を明かさなかった。
彼女がなぜ抜けたのか、それを彼女は最終話まで明言していない。
彼女は中学まではお嬢様学校に通っている、
だが、高校になって彼女はそんなお嬢様学校ではない
普通の学校に進学している。
それどころか「コールセンター」でバイトまでしてる始末だ。
そんな彼女は「Ave Mujica 」というバンドを作ろうとしている。
かつてバンド活動をやめた彼女が、
「仮面」を被って再びバンドの世界に足を運ぶ。
仮面を脱ぎ去った「長崎 そよ」とは正反対だ。
すべてが虚構だ、演奏前に「演劇」を披露し、
そこから曲へつなげる
顔も、本名も隠し、偽りの存在を演じる「Ave Mujica」。
1度死んだ彼女たちは仮初の命で「Ave Mujica」という
姿で蘇る、このバンドは「豊川 祥子」そのものだ。
素顔のままでかつてのバンドは居ることが出来た。
だが、今の彼女は仮面を被らないと生きていけない。
没落した家、酒浸りの父親。彼女には後がない。
もうキラキラドキドキできるバンド活動はできない。
強烈な引きで続編である「Ave_Mujica」編への
期待感を募らせるシーンで物語の幕は閉じる。
総評:迷子になった子猫たち
全体的に見てバンドリシリーズのアニメシリーズとは思えないほどの
ドロドロとしたシリアスな内容だ。
かつてのバンドリシリーズは主人公である「香澄」の信条である
キラキラドキドキしたい!という名のもとに
物語もキラキラドキドキとしたものだった。
毎回、終盤はシリアス展開はあったものの、
この作品はそんな過去のバンドリシリーズとは違い、
全編ドロドロとしたシリアス回だ。
描きたいことは少女たちの処世術だ。
生きづらさを抱える少女たち、逃げたり、落ち込んだり、
自分のせいだと自分を攻めたり、自分の居場所を求めて
仮面を被り、彼女たちは生きている。
それでうまくいくこともある、だが、以下ないことのほうが多い。
主人公である「高松 燈」は不器用な女の子だ。
普通の人間になりたい、そんな思いを抱えている。
だが、それは彼女だけではない、誰しも普通に生きることを求めている。
そんな普通が生きるうえでは1番難しい。
不器用に、がむしゃらに、彼女たちは迷いながら
ぶつかりあい、自分の中の思いを、自分ですらわかっていない
本音を吐き出し絡み合いながら、1つのバンドが
出来上がるまでのストーリーを1クールかけて丁寧に描いている。
1曲1曲が迷っている。
ろくに歌わない曲、唐突に始まる曲、即興で始まる曲。
どれもこれも万全に準備したものではない。
終盤のライブで披露する曲でさえ出来立てほやほやだ。
そんな彼女たちが迷いながらたどり着く答えが染み渡る。
迷いながらでもいい、傷つけ合ってもいい、
それが生きることなんだと叫ぶような彼女たちのライブは
次世代のバンドリにおけるガールズバンドが始まったと感じるものだ。
そして終盤、引張に引っ張った「豊川 祥子」の真実が明かされることで、
すべてが繋がり、仮面を被った彼女のバンド、
「Ave_Mujica」が気になって仕方なくなる。
MyGo!!!!!のストーリーは一旦ここで終わりだ、
かつて同じバンドだった「豊川 祥子」はまだ迷いの中にいる。
彼女が再び仮面を脱ぎされるのか、
かつてのバンドメンバーとの和解は描かれるのか。
「Ave_Mujica」編が今から待ち遠しくなってしまう作品だった。
個人的な感想:Ave_Mujica
ようやくバンドリシーリズを見終えて、
この作品をみたのだが、とんでもない作品だった。
過去のバンドリシリーズとは趣の違う、ドシリアスな
内容は見る側の心までもグサグサさしてくる。
雨降って地固まるなラストではあるものの、
そこから地割れのごとく「Ave_Mujica」がでてくることで、
続編が自然と気になる作品だ。
今からAve_Mujica編を心待ちにしたいところだ
この作品をどう思いましたか?あなたのご感想をお聞かせください