評価 ★★★★★(82点) 全12話
あらすじ 2008年4月、アイドルを夢見る少女・源さくらは、東京のアイドルオーディションを受けようと決意し、郵送する申請書を片手に登校しようと自宅を出た途端、軽トラックに跳ねられてしまう。引用- Wikipedia
ゾンビだってアイドル
本作品はTVアニメオリジナル作品。
監督は境宗久、制作はMAPPA。
監督名にピンと来ない方も多いと思うが、
「ONE PIECE FILM STRONG WORLD」などを手がけた方だ。
終わりという名の登校
引用元:ゾンビランドサガ 1話より
©ゾンビランドサガ製作委員会
アニメにおける登校シーンといえば1話の冒頭の定番だ。
パンをくわえて走り去り、曲がり角で誰かとぶつかったりと、
「登校」という要素そのものが始まりを期待させるからだろう。
しかし、この作品の場合、終わりである。
家からいってきますと飛び出た瞬間、主人公は死ぬ(笑)
玄関を出てすぐに車に引かれて死んでしま うというのは斬新な始まり方であり、
これで「異世界」に転生でもしたら、最近流行りであるなろう系でしかないが、
この作品の場合は「ゾンビ」になってしまうところから物語が始まる。
アニメにおける「ゾンビ」は大抵が倒すべき敵だ。
例外といえば「さんかれあ」だが、あの作品は外見上は人間にしか見えない。
しかし、この作品は「見た目」も完璧にゾンビだ。
肌は青白く、額には轢かれたときの傷がある。完璧なゾンビの肉体として
「巽 幸太郎」という男によって蘇らされる。
見た目が完璧なゾンビな主人公、これだけでこの作品の面白さを感じさてくれる。
この作品で一体何をするのか、何を見せてくれるのか。
「オリジナルアニメ」だからこそ先の展開がわからず予測もできない。
アイドル
引用元:ゾンビランドサガ 2話より
©ゾンビランドサガ製作委員会
この作品はなんとアイドル要素まである(笑)
おどろおどろしい、いかにもなゾンビ映画のような展開を見せておいて、
彼女たちを蘇らせた「巽 幸太郎」というキャラのアクの強さに
この作品がギャグアニメであることを実感させてくれる。
彼の目的は1つだ。死んでしまった若い女性をゾンビとして蘇らせ、
存在自体が風前の灯な佐賀を救うためにアイドルとして活動させる。
もはや支離滅裂だ。
「巽 幸太郎」の説明セリフを聞いても納得など出来ない、
主人公も納得出来ないのだから当たり前だ。ハイテンションでゴリ推してくれる。
アイドルは当然、1人では出来ない。
維新の花魁、天才子役、昭和のアイドル、平成のアイドル、ヤンキーと
生きてる時代も違えば年齢も違う人間がゾンビとして蘇る。
下は12歳、上は29歳という年齢の幅が広すぎるアイドルグループだ。
もはや、このヒロインたちの設定だけでご飯が3杯食べられる。
そこに「ゾンビ」の要素がたされるとどうなるか。
アイドルとゾンビの融合。この作品の肝はまさにそこだ。
1話の期待感の上げ方は素晴らしく、
この作品の1話を見て続きが気にならないという人はいないだろう。
これほど先の展開がいい意味で読めない作品は久しぶりだ。
ゾンビ
引用元:ゾンビランドサガ 1話より
©ゾンビランドサガ製作委員会
1話の時点で彼女たちは主人公を除いて自我に目覚めていない。
そんな状態で強制的にアイドルとして活動させられる、
最初の曲は「ヘヴィメタル」だ(笑)
音楽に合わせて関節や筋肉の制限などを一切無視したヘドバン、
ゾンビが上げる「うめき声」という名の奇声、
ヘヴィメタルという曲だからこそ許される行為がゾンビの動きや声、
ゾンビとヘヴィメタルがここまで親和性があるのかと驚かされる。
しかし、彼女たちはゾンビだ。
少し引っ張れば腕はもげてしまい、目玉だって外れる、頭だって簡単に外れる。
ゾンビである事がバレてはいけないという制限がある中での、
日常とアイドル活動の数々が「ギャグ」になっている。
それぞれのキャラの癖が強く、ばらばらでまとまりがない。
更に「ゾンビ」である彼女たちは前途多難であり、
その前途多難の中でその話に合わせた曲が披露される。
1話は本能のヘビメタ、2話は魂の叫びのラップ、
3話でようやくアイドルっぽさを少し感じる曲になる。
ゾンビなアイドルな彼女たちにはジャンルの縛りなんて一切ない。
自由に歌う彼女たちの曲が素直に面白く、予想外な曲が披露される面白さがある。
彼女たちは縛られない、生の概念すら乗り越えた存在だ。
残念CG
引用元:ゾンビランドサガ 3話より
©ゾンビランドサガ製作委員会
ただなぜか3話以降のライブシーンは3DCGを使ったものになってしまう。
明らかにCGです!と分かってしまうクォリティの低いCGは残念でしか無く、
せっかく1話と2話の作画は3DCGを使っていないのに、
アイドルとして形になってきた所でのライブシーンでいきなり3DCGになるのは
本当に残念だ。
フル3DCGのモデリング自体のクォリティはそこまで悪くはない。
だが、序盤でキャラクターたちが歌い踊る舞台が、
他のアイドルアニメのように「ステージ」ではないというところも大きいのだろう。
アリーナやホールなどのライブ会場できらびやかな演出もあれば、
この作品のCGの質でも違和感は感じなかったかもしれない。
しかし、彼女たちはあくまでご当地アイドルであり、歌い踊るのは「佐賀」だ。
路上でのゲリラライブだったり、宴会会場だったり、
どこか「田舎っぽい」背景と3DCGのキャラたちが合わずに、
浮いてしまっている。
それゆえに中盤以降の大きな舞台でのCGはそこまで違和感を感じなくなる。
ただ動きの硬さは顕著であり、練習風景や序盤で3DCGではない作画の
ライブやダンスを見てしまってるからこそ、
3DCGを使ってしまったのがやや残念でならない。
アイドル
引用元:ゾンビランドサガ 4話より
©ゾンビランドサガ製作委員会
この作品は意外にもアイドルものとしてもきちんとしている。
ゾンビという奇抜な要素に頼らない。毎話のように新曲が披露される中で、
最初はうめき声と奇っ怪な行動しかできなかった彼女たちが、
自我に目覚め疲労を感じない体だからこそ徹夜で練習し、
徐々に「アイドル」として形になっていく。
この部分だけ切り取るとベタなアイドルものだ。
しかし、彼女たちはゾンビだ(笑)
他のアイドルアニメでは絶対にありえない苦難が待ち受けており、
それがきちんとギャグになっている。
最初は自我すらないゾンビキャラクターたちが、話が進むと自我に目覚め
彼女たちが仲良くなっていく過程で、見る側も
ひとりひとりのキャラクターの印象がきちんと深まり、
アイドル活動、ゾンビとしての苦難、キャラクターの日常、
この3つが積み重なった、この作品だからこその面白さを感じさせてくれる。
毎話のように新曲が有り、アイドルとしての彼女たちの魅力を
曲で盛り上げている。
ジェネレーションギャップ
引用元:ゾンビランドサガ 7話より
©ゾンビランドサガ製作委員会
彼女たちの中には「平成のアイドル」と「昭和のアイドル」が居る。
年齢も違えば時代も違う彼女たちにはジェネレーションギャップが存在する。
普通のアイドルアニメならありえない要素だ。
実際のアイドルグループの中にも10歳や20歳の年齢差があるアイドルグループは
存在するかもしれない。だが、この作品の場合はそもそも時代が違う。
明治から昭和、平成をいきてきた女の子たちだ。
時代が違うからこそアイドル事情も違う。
昭和の時代はステージの上で遠い孤高の存在が「アイドル」だったが、
平成になり今やグループでファンとも触れ合う身近な存在のアイドルになった。
だからこそ価値観のズレという「ジェネレーションギャップ」が生まれる。
どちらの主張も正しい。間違っては居ない。
彼女たちは死ぬ前まではそうやって己の価値観を貫いていた。
キャラクターのわがままや悩みでキャラ同士が喧嘩をするわけではなく、
「ジェネレーションギャップ」という時代による価値観で喧嘩をする。
ゾンビな彼女たちだからこその要素だ。
これでキャラクターが考えを変えるならば、よくある成長物語なのかもしれない。
しかし、この作品の場合は己の価値観を貫く。
平成のアイドルは平成のアイドルらしく、昭和のアイドルは昭和のアイドルらしく、
どちらも譲らない、だが、それでいい。それがそれぞれの性だ。
「私は昭和のアイドル、紺野 純子です!」
自身を持って、平成という時代に昭和のアイドルが挑む。
この作品はキャラクターの成長を描く角度が少し違う。
だからこそ感動できる。
かつて自分が所属していたアイドルグループのライブを見ることもある。
人気が絶頂を迎えた瞬間に平成のアイドルは死んだ。
自分が立つはずだった、立っているはずだった場所に自分が居ない。
だが、悔やんでもゾンビである彼女はグループに戻ることはできない。
だからこそ「フランシュシュ」という新たなグループで、
ゾンビとして、昭和のアイドルやヤンキーや花魁とともに
彼女は再びステージに上る。
7話の昭和アイドルと平成アイドル、互いの問題を乗り越えた先のライブは
ビリビリとしたものを感じさせてくれる、
アイドルも痺れ見てる側もしびれる、電撃的な衝撃を受けるアイドルライブなど
他のアニメでは絶対に見れないライブシーンだ。
雨にも風にも雷にも負けない、それがフランシュシュというアイドルだ。
前代未聞とも言えるゾンビなアイドル、そんな彼女たちのファンになってしまう。
応援したくなってしまう。
彼女たちは肉体的にはしんでいる。だが、生きようとしている。
価値観という名の己の性を貫きを、もう1度新しいサーガ(物語)を作り出す、
1度は死んだゾンビな彼女たちの佐賀での物語。
それがゾンビランドサガだ。
死因
引用元:ゾンビランドサガ 8話より
©ゾンビランドサガ製作委員会
彼女たちはゾンビである。当然死んでいる。
しかし「どうして死んだのか?」というのは主人公以外、序盤では明かされていない。
だが、そんな彼女たちの「死因」が話が進むことで明らかになる。
若い彼女たちの多くは事故で死んでいる。
ゾンビになっても残る「体の傷」は死因そのものを表しており、
最初はただのゾンビ風な傷のデザインかと思った傷、
そんな傷そのものに意味をもたせている。それに気付き、
キャラクターの死因と過去がわかるとより一層キャラクターに愛着が湧いてしまう。
夢もあった、将来もあった、家族もいた。
だが、彼女たちはそんな希望のある若者なのに死んでしまった。
過去にも家族にも未練がないと言えば嘘になる。
死んでしまったからこその「後悔」。
そんな気持ちを歌に込める彼女たちはまさにアイドルだ。
最初は出落ち感すら感じていたゾンビアイドルという要素の掛け合わせに、
見れば見るほどはまって行く。
ギャグのような死因のキャラクターも居るのだが、
その後に描かれるストーリーがひとりひとりのキャラの掘り下げと魅力に繋がり、
思わず涙を流してしまう。
尺の都合上、過去がきちんと描かれないキャラクターが
居るのは残念ではあるものの1話1話の話がしっかりしており、
序盤はゾンビギャグで笑わせつつキャラの印象をつけ、
中盤からはキャラを掘り下げることで感動させている。
このストーリー構成の上手さが作品としての魅力をより強めている。
巽 幸太郎
引用元:ゾンビランドサガ 11話より
©ゾンビランドサガ製作委員会
この作品の狂言回したる存在の巽 幸太郎。
彼は彼女たちをゾンビとして復活させ、佐賀を復興させようとしている。
ふざけてるように見えて彼の熱意はすさまじく、時折彼女たちの背中を押す。
彼がどんな手段で彼女たちをゾンビにしたのかは作中では明かされない。
だが、彼がなぜ「彼女」をゾンビにしたのかはふわっと語られる。
「源 さくら」だけはなぜか生きていた時の記憶がなかった。
アイドルとしてどんどん人気になる彼女たちではあるものの、
「源 さくら」はなぜか思い出せずにいた。
そんな彼女がとある出来事をきっかけにすべてを思い出す。
彼女は持っていない女の子だった。
何かを頑張ろうとしても、何かが邪魔をする。
アイドルを目指した矢先にトラックに轢かれてしまうような運の無さだ。
生前の記憶を思い出しただけに、そんな生前の自信の無さが彼女を襲う。
死んでしまったという事実も、
自分がアイドルになったという事実も受け止めきれない。
例えアイドルとしての記憶を失っても、
彼女がアイドルだったことは事実だ。
曲が、仲間が、ファンが、「山田たえ」が彼女を突き動かす。
不運だったのは彼女だけではない。
フランシュシュのメンバーはみんなゾンビだ。
志半ばで死んでしまった者たちだ。
そんな彼女たちにもう1度、チャンスが来た。
そんなチャンスを与えたのは「巽 幸太郎」だ。
彼がなぜここまでアイドルにこだわったのか、
彼がなぜ彼女を生き返らせたのか。
多くは語らない、だが、語らなくても見ている側には伝わる。
この作品はゾンビになった彼女たちの物語であると同時に、
「巽 幸太郎」という男の物語でもある。
彼は10年かけてここまでやってきた、1人の女の子への思い、
もしかしたら「初恋」という名の呪いに彼はかかっていたのかもしれない。
「何度でも 何度でも 立ち上がれ」
「諦めなければ 終わりは 始まりへ変わる」
ゾンビだからこそできるライブだ。
「生」がないからこそ不死身に近い体だからこそできるライブ。
ただじゃ死なない彼女たち、1度死んでも諦めなかった彼女たちと
そんな思いをくんだ「巽 幸太郎」が手掛けたライブ。
彼女たちの人生を表すような歌詞、これぞ「ゾンビアイドルだ」と
言わんばかりの最終話のライブは、ある種ギャグでもあるのだが、
それを貫き通し見てる側に熱いものを感じさせてくれる。
この作品で回収されない伏線は多い。
特に最終話で更に「思わせぶり」なシーンを追加しており、
明らかに2期を匂わせている。言い方を悪くすれば投げっぱなしだ。
だが、それを投げっぱなしと感じずに「2期が早く見たい!」と
感じさせる面白さがこの作品にはあり、
最終話はきちんと区切りをつけている。
これからも彼女たちは佐賀を救うために、
己の性を貫き、アイドルを続ける。
総評:新しいアイドルアニメ
引用元:ゾンビランドサガ 12話より
©ゾンビランドサガ製作委員会
全体的に見て斬新な作品だった。
アイドルアニメという擦られまくったジャンルに、
「ゾンビ」というテイストをたすだけで、
ここまで先が読めず、ゾンビであることを活かしたギャグと
ゾンビであることを活かしたアイドルシーンを
1クールたっぷりと見せつけられたような作品だ。
一人ひとりのキャラクターをきっちり掘り下げ、
一人ひとりのキャラクターの印象がしっかり残り愛着が湧く。
個別エピソードのないキャラクターはいるものの、
それでもきっちりとした存在感がある。
キャラクターのバランスも素晴らしい。
最初は可愛さなんて感じなかったゾンビなキャラクターたちが、
1クールの中できっちりと「アイドル」としての魅力を徐々に出し、
最後にはこれぞゾンビアイドルだ!と言わんばかしの展開を見せてくれる。
癖の強い「巽 幸太郎」の過去や2期への伏線を貼るラストで
そういった部分で気になるところではあるものの、
逆に言えば「2期」が早く見たくなる作品だ。
個人的な感想:面白かった…けど?
引用元:ゾンビランドサガ 12話より
©ゾンビランドサガ製作委員会
この作品のストーリー構成の上手さは秀逸だ。
序盤はギャグを多めにし、中盤からはシリアスを徐々に増やし、
最後はきっちりと話をまとめている。
そういった意味で序盤と終盤では良い意味で印象がすこしだけ変わる。
ギャグにしか思えなかったゾンビアイドルと言う要素が
終盤ではゾンビなアイドルだからこそ感動できる要素になっており、
1クールで「ゾンビなアイドル」という要素をきちんと掘り下げ
そこを軸にキャラクターとストーリーを見せてくれる作品だった。
今から2期を見るのが楽しみだ。
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