評価 ★★★★☆(65点) 全12話
あらすじ ある昼下がり。夏休みを迎えたありすは、とある芸能事務所の一室にいました。そこで出会ったのは、学年も性格もてんでんばらばらの8人の少女たち。部屋の名前は『第3芸能課』。引用- Wikipedia
子供以上大人未満
原作はアイドルマスターシリーズの漫画作品。
監督ば岡本学、制作はCygamesPictures
優等生
1話冒頭は王道な始まりだ。
女の子が夢から目覚めて朝の支度をする、
学校に登校し、クラスメイトたちと会話をし、授業を受け下校をする。
なにげない「日常風景」から始める王道なストーリー展開に、
この作品の日常アニメにおける王道感を1話冒頭から感じさせる。
しかし、この作品は日常アニメではない、アイドルアニメだ。
主人公は「小学生」の女の子で優等生だ。
そんな優等生でクラスメイトにすら敬語で話す彼女は「アイドル」だ。
アイドルマスターといえば「プロデューサー」も
もう一人の主人公だ。
小学生なアイドルたちに対して、プロデューサーも入社3年目の若手社員であり、
社会人としてはまだ未成熟な彼がプロデューサーとして
新たなアイドルたちをプロデュースすることになる。
小学生なアイドルたちと、新入社員で大人なプロデューサー。
この対比を1話から感じる。
特に「大人」のほうの描写はかなり特徴的だ。
芸能事務所の社員は「たばこ」をふかし「酒」をのみ、
仕事の愚痴をこぼしていたりもする。
小学生なメインキャラと大人な芸能事務所の社員たち、
大人と子供の世界をきっちりと分けて描くことで、
より小学生なメインキャラクターたちの「子供」の立場を
強調させているような印象だ。
可愛い
1話で一気に9人のメインキャラが集まってくる。
それぞれが「子供らしい子供」であり、
そんな彼女たちがワイワイ会話しているだけで、
保育園でも見ているかのように微笑ましい雰囲気になれる。
しかし、そんな中でも「橘ありす」は
子供扱いされることを嫌っている。
自分の名前ですら子供っぽいからと安易に呼ばれることを拒否しており、
常に敬語を話すことで「大人ぶろう」としている。
そんな子どもたちを前にしてプロデューサーも
「子供」であることを知らなかったがゆえに驚いてしまう。
だが、彼女たちはアイドルになりたい気持ちは本物だ。
そんな気持ちをプロデューサーも受け止め、
彼女たちのプロデューサーとしてつとめようとする。
彼女たちも、プロデューサーも未熟な存在だ。
そんな未熟な存在が「成熟」していく様を
この作品は描こうとしている。
ガラスの靴も馬車もない、まだアイドルという名の
シンデレラになる前の彼女たち。
デビューする前のアイドルである彼女たちの、
アイドルマスターらしい王道な始まりにワクワクしてしまう。
子供
いくら大人ぶっても彼女たちは子供だ。
子供だからこその「わがまま」と「心の弱さ」がある。
市原仁奈は常にきぐるみを被っているような女の子だ。
アー写撮影の時でさえ、そのきぐるみを脱ぐことを拒否している。
それも彼女の「性格」と「キャラクター性」ではあるものの、
同時にそれは「殻」を表している。
彼女は一人になることを恐れている、誰かと関わり、
多くの人とつながることで一人ではないと感じることで
寂しさを紛らわしている。
まだ子供だ。子供だからこそ殻にこもっている。
ぬいぐるみを落としたら泣いてしまう。
「市原仁奈」という少女は孤独を抱えている、
父は海外に、母は仕事が忙しい彼女にとって
「きぐるみ」は殻であり、孤独を紛らわすためのものだ。
だが、いつか殻から雛は出ないといけない。
きぐるみを探す中で彼女を自然と掘り下げつつ、
プロデューサーの言葉で彼女は自分の殻を破る。
きぐるみがなくても、自分を見てくれる。
「すごいアイドル」になれば、みんなが自分を見てくれる。
「市原仁奈」のアイドル像が確立する。
先輩
そんな子どもたちだけでなく先輩たちも出てくる。
すでにプロのアイドルとして活動する先輩たちは
彼女たちにとって「憧れ」だ。
まだデビューすらしていないうえに子供である彼女たちは
大人な先輩に強いあこがれをもっている。
そんな先輩を通じて後輩である彼女たちも掘り下げられる。
一ノ瀬志希や佐藤心、先輩たちと会話をし、
触れ合うことで彼女たちの中の「アイドル像」も固まってくる。
漠然とした子供らしい夢でしかなかったアイドルと言う夢、
そんな夢を現実にしていく作業が丁寧に描かれている。
だが、現実は夢のように甘くはない。
3話では先輩のYouTubeに「赤城みりあ」が出ることになる。
本来は収録だけのはずが、トラブルで「生配信」が始まってしまう。
「赤城みりあ」は純粋無垢な子供だ、
アイドルとしてファンと交流を持ちたい、そんな思いがある。
しかし、あくまで先輩のチャンネルだ。
「赤城みりあ」の可愛さも合ってスパチャが飛び交う中で、
「アンチコメント」も出てくる。子供にとってはつらい言葉だ。
だが、プロのアイドルとして活動するならば、
そういう人も出てくる。それが現実だ。
自分を好きになってくれる人だけではない。
そういう人もいることを「社会」を彼女は知る。
彼女は子供だ、だが、大人になりかけた少女だ。
そんなアンチコメントにも屈せず、
「プロのアイドル」として対応する姿は本当に素晴らしい。
憧れだけではない、夢だけではない。
厳しい現実も彼女はきちんと受け入れて消化することで、
現実のアイドルへの一歩を踏み出す。
「みんなが楽しくなれるために」
そんな「赤城みりあ」のアイドル像が固まっていく。
テレビ
彼女たちの地道な活動、そしてアイドルとしての才能が
徐々に仕事に繋がっていく。
序盤の山場といえるのが「テレビ」の仕事だ。
「櫻井桃華」はいわゆるお嬢様だ。
紅茶をたしなみ、言葉遣いもキレイな彼女ではあるものの
一般常識はやや欠けている部分がある
そんな彼女が「バンジー」をしないといけない状況になる(笑)
小学生にバンジーをヤラせるなと思わず突っ込みたくなるが、
そんな仕事でもプロとして「櫻井桃華」は挑んでいる。
台本で自らのキャラクター性すら作られても、
彼女は完璧だ。求められたことを完璧にこなす、
それがたとえ偽りであろうとも、プロのアイドルならばそうなのだと。
しかし、そこには子供らしい悩みもある。
自分らしさとはなんなのか、普段、自分は周囲からどう見えているのか。
プロとして完ぺきにこなしている彼女ではあるものの、まだ子供だ。
「バンジージャンプ」を前にして怖いという感情が湧き上がる。
「櫻井家」のお嬢様として、彼女は完璧を求められてきた。
だが、子供だからこそ未熟な部分もある、本来はそれでいいはずなのに、
そんな未熟さを、子供らしさを彼女は見せないことが
「大人」だと思っている。
そんな彼女の前でプロデューサーは「大人」を見せる。
大人でも怖いものは怖い、子供らしくしなくても、
大人らしくしなくてもいい。
「自分らしく」あることが大事なんだと伝えてくれる。
丁寧にプロデューサーと子供なアイドルたちの関係性を描いており、
最初は頼りなかったプロデューサーを彼女たちも信じていく。
「レディ」として「恥じない」アイドルになりたい。
たとえ完璧ではなくても、自分らしく、自分の道を行く。
自分の愛でみんなをいっぱいにする、それこそが本物のレディだ。
映画
他のキャラクターたちが注目される中で
「的場梨沙」にも焦りが生まれている。
せっかく映画のオーディションを受ける権利をもらったのに、
演技がうまくいかない。彼女は「我」の強い女の子だ。
自分は誰よりも優れており、誰よりもすごいアイドルなのだという自負がある。
そんな彼女ではあるものの子供らしさもある。
お父さんのことが大好きな、いわゆるファザコンだ。
父に褒めてもらいたい、父が誇れるような娘でありたい。
しかし、そんな思いとは裏腹にオーディションに落ちてしまう。
努力が必ず報われるとは限らない。
人一倍努力をしている彼女であり、誰よりも
自分に自信のある彼女ではあるものの、
そんな努力という夢が必ず希望という名の現実につながるとは限らない。
努力をしたからと行って自分を見てくれるとは限らない。
そんな「現実」を彼女はきっちりと受け止め、大人になっていく。
自分の意思や意見を強く盛った彼女が、
同じ事務所のアイドルたちに意見を求める、
少しの変化が大きな成長に繋がっていく。
一人ひとりのエピソードの中で一人ひとりの印象が深まり、
少女が自らの殻を破り、社会という現実を受け止めていく。
その過程の描写が繊細に描かれていることで、
少女が大人になる過程が染み渡る。
バックダンサー
「結城晴」はアイドルになりたくてアイドルをやっているわけではない。
キラキラの衣装もフリフリのダンスも、
「女の子らしい」ものが彼女は苦手だ。
かっこいいものに憧れて、サッカーが大好きな男の子のような女の子だ。
彼女はお父さんにいわれて「アイドル」をやらされているに過ぎない。
他の子と違ってアイドルになりたくてなったわけではない。
「アイドル」の魅力も、「アイドル」の楽しさも彼女にはわからない。
しかし、アイドルのライブを見て、同じ事務所に所属する
仲間たちの活躍を目にした彼女はアイドルとしての覚悟を決める。
彼女たちに課せられた仕事は先輩のバックダンサーだ。
一流のプロのアイドルの後ろで踊る子どもたち。
カメラはもちろんメインのプロのアイドルを写している。
だが、自然とバックダンサーの焦点の当たらない彼女たちに
目を奪われてしまう。
初めてステージに立った彼女は「アイドル」の楽しさに惚れる、
今度はバックダンサーではなく、メインのアイドルになるために。
「かっこいい」アイドルを自分たちのステージで見せる。
それが彼女の夢になる。
お姫様
「古賀小春」はお姫様に憧れる女の子だ。
お星さまにお願いをしたり、イグアナを飼っていたりと
メルヘンチックな女の子だ。
そんな彼女にふさわしく彼女の回はメルヘン全開だ。
なにせ動物が喋りだす(笑)
そういう異質さはあれど、お姫様という
漠然としたものに対するあこがれを明確にする話でもある。
みんなを笑顔にしたい。
そんな彼女のキャラソンは「お願いシンデレラ」だ。
やや突飛なエピソードであり、中盤までのエピソードにくらべると
メルヘン感は強いものの、箸休め回にもなっており、
ほわほわとした気持ちで見終われる
自己肯定と大人の事情
「佐々木千枝」は自分に自信のない女の子だ。
自己肯定感が低く、自分が活躍できそうなときでも
自分なんか…と遠慮してしまう。
誰かの役に立ちたいと思いながらも、1歩を踏み出せない。
もし、失敗したらという思いが彼女を尻込みさせている。
しかし、そんな彼女にも「誰かを笑顔にしたい」という思いがある。
たとえ失敗しても、たとえ駄目でも、
一歩を踏み出す勇気を手に入れる。
「龍崎薫」は元気な女の子だ。
料理が大好きで真っ直ぐな彼女は子供らしい子供だ。
苦手なものもある、でも、そんな苦手なものも
形を変えて乗り越えていく。
彼女のエピソードはやや弱いものの、
アイドルたちも成長している、自分たちのアイドル像を見極め、
自分と向き合うことで自分らしさを強め、少しずつ大人になっている。
その一方でプロデューサーは大人の事情に巻き込まれている。
ライブをしたいのに許可が降りない。
子供と大人の間にいるプロデューサーは板挟み状態だ。
そんな大人の都合をぶち壊すのも子どもたちだ。
「大人の牙城」である喫煙室にまで踏み込む。
「お金」という現実に子供だからこそ手作りのライブに挑む。
ライブ
彼女たちのライブはあまりにも微笑ましい。
自社の屋上で、手作りの飾りつけと手作りの衣装で、
元気に踊るさまは「子供らしさ」全開だ。
思わず手拍子で応援したくなる、そんな微笑ましさを感じる
ファーストライブは彼女たちらしさが詰まっている。
小さくても、子供でも、アイドル。
そんな気概を感じるファーストライブ、
お客さんと呼べるほどお客さんは居ない。
そんなライブが大きな反響を生む。
下積みを積み重ね、彼女たちのデビューが決まる。
だが、「橘ありす」だけが自身の中のアイドル像を掴みきれていない。
アニメアイドルマスターシリーズ恒例の「シリアス回」だ(笑)
親
過去のアイマスシリーズとこの作品では大きな違いがある。
アイドルが12歳以下の子供ということだ。
彼女たちはまだ「親」の庇護下で暮らしている、
何事にも親の「許可」が必要だ。
「橘ありす」の両親は彼女のことを大切に思っている。
真面目な両親だ、そんな両親だとわかっているからこそ
「アイドル」という夢物語を告白することが彼女には出来ない。
仕事に勤勉な両親のもとで彼女はいい子でいようとしている、
だからこそ、両親に対して素直に気持ちをぶつけられない。
大人は泣かない。それが彼女の中の大人像だ。
しかし、彼女の思いを聞いて「プロデューサー」が
彼女を思って泣いてくれる。
背中を押すわけでもない、導くわけでもない、
アイドルの気持ちに「寄り添う」プロデューサーだ。
大人だからこそ泣かずに冷静に対応するのではなく、
子供のように泣いて共感してくれる。
大人と子供の違い、それは些細な違いでしか無いのかもしれない。
体も心の成長も、どれだけ成長すればおとなになるのか、
それは誰にもわからない、大人でさえわからない。
そんな疑問を抱えた子どもたちが「大人になる過程」を
「大人」と触れ合う中で知っていく。
そして彼女たちも少しだけ大人になる物語が描かれている。
大人になっても夢を捨てないでいい、大人になったからといって
現実ばかり見なくても良い。そんなことを子供通して描いている。
大人になったから夢を諦めて仕事ばかりしなくてもいい。
仕事も夢も両立できる、真面目な両親のもとで育った彼女が、
泣いて寄り添うプロデューサーを見て、そんな決意をする。
彼女の親も彼女に寄り添ってくれる。
思わず涙腺を刺激される展開だ。
大人ってなんろう。
そう思っていた彼女達が少しだけ大人になり、大人を知る。
「子供っぽい」名前を嫌っていた彼女が、
自分の「ありす」という名前を認める。
ガラスの靴も、カボチャの馬車もなかった彼女たちが、
カボチャの馬車にのってガラスの靴を履いて
舞踏会という名のライブに上がる。
子供のために
だが、彼女達は子供だ、労働基準法という現実問題もある(笑)
20時からのライブに出るために、
大人たちが子どもたちのために一肌脱いでくれる、
子供の夢を、背中を押すのは大人の役目だ。
本気になった子どもたちを大人が裏切るわけにも行かない。
大勢のお客さんの前での初めてのライブ。
一人ひとりの表情と動きを繊細に描きつつ、
ときに「主観映像」まで盛り込んだライブシーンの
クォリティは1クールの総決算だ。
上に下に左に右に、自由なカメラワークと、
ときにファンタジックな演出も盛り込んだライブシーンは
少女たちの夢と希望に溢れている。
夢を幻で終わらせなかった彼女たちの現実に立ち向かったライブだ。
少女が少しだけ大人になる、そんな物語を
1クールまっすぐに描いてくれる作品だった。
総評:午前12時のシンデレラ達
全体的に見て素晴らしい作品だ。
1話から中盤まで9人のアイドルたちを
それぞれ掘り下げつつ、子供らしい彼女たちの愛くるしさと同時に
子供だからこその悩みをえがきつつ、
それを1エピソードでしっかりと描ききり、印象を深めている。
まだ12歳以下の少女たち、
そんな彼女だからこそ自分らしさや親との問題、
他者との関係性を色々と抱えている。
そんな悩みをプロデューサーが寄り添うことで向き合いつつ、
解決していき、大人への一歩を踏み出すストーリーだ。
だからこそ、きちんと9人のキャラの印象が残る。
彼女たちのプロデューサーもまっすぐな性格であり、
大人であり、社会人ではあるものの、感情的であり、
どこか子供っぽさも残っている。
そんな彼だからこそ9人の子どもたちに寄り添える。
作画に関しても1クール非常に安定しており、
各キャラクターの可愛さを余すことなく描ききりつつ、
最後のライブシーンではこれでもか!というほどの
クォリティで見せてくれている。
1クールすっきりとしたアイドルストーリーが描かれており、
過去のアイマスシリーズのアニメに負けていない、
まっすぐなこの作品だからこその純粋な面白さを
感じられる作品だった。
個人的な感想:大人
子供をメインに据えているからこそ、対比的に大人も
きちんと描いているのが印象的な作品でも合った。
1話から「喫煙シーン」も描き、
そんな「喫煙所」に子どもたちが乗り込むさまは印象的だ。
大人の事情、現実問題に常に立ち向かっている大人たちの牙城を
子どもたちが純粋に夢を叶えるために切り崩していく。
子どもたちを描きつつも、大人と社会を描いている作品だ。
アイマスシリーズはSideM以来のアニメ化となったが、
2023年はミリオンライブ、この作品、
そして2024年はシャイニーカラーズと一気にアニメ化している。
ソシャゲの方も色々とサービス終了していたりするが、
このアニメ化の勢いで、ソシャゲの方の勢いも
取り戻してほしいところだ。
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