評価 ★★★☆☆(56点) 全12話
あらすじ 20世紀、輝かしい演じ手「ダイスター」の出現によって、演劇は世界規模の大ブームとなり、数多の役者たちは「ダイスター」を目指し、その頂点たる「ワールドダイスター」となることを夢見ていた。引用- Wikipedia
君がッ!泣くまで! 演技を!やめないッ!
本作品はバンダイナムコフィルムワークスの
新規IPによる「“演劇”ガールズ」プロジェクトであり、
メディアミックス化の一貫としてアニメ化された。
ダイスタァ
1話冒頭、二人の少女が海辺で青春をしている。
自分のことを「センスがない」という主人公にたいし、
青い髪の少女「静香」がそんな主人公を励まし背中を押す。
主人公の夢である「ワールドダイスタァー」になるために
静香が力を貸すというところから物語が始まる。
この作品は演劇を題材にしたアニメだ。
世界規模での演劇ブームが起き、
「超演劇時代」と呼称されるほどにまで
演劇界が過熱した世界が舞台であり、
そんな世界の中で「センス」をもつものがワールドダイスタァーになれる。
かげきしょうじょ!や少女☆歌劇 レヴュースタァライト、
げきどると最近、こういった演劇を題材にした作品がちらほらある。
この作品もそんな演劇アニメの1つだ。
演劇
彼女はオーディションを受けるために青い髪の少女とともに特訓を始める。
だが、主人公の演技力は低い。
そんな彼女の演技のお手本になるのが「静香」だ。
声色を変え、自身が経験も体験もしたことのないことを
体験した人物を演ずる。
「演技とはなにか」というのを真摯に捉えている。
役者というものは経験があるからこそ演技ができるわけではない。
役者の99%は人を殺したことがないだろうが、殺人者の役を演じてきている。
役者の「想像」と「演技力」と「センス」が組み合わさることで、
想像上のキャラクターを演ずるのが役者だ。
そんな「演技力」というものをこの作品は表現している。
主人公を演ずる「石見舞菜香」さんはわざと大根な演技をし、
そんな主人公にアドバイスを送る静香を演ずる「長谷川育美」さんは
声色を変え演技力のあるキャラクターを演じている。
非常に声優さんの力量の光る作品だ。
声優さんの演技力が作中のキャラクターが持つ演技力の表現に
直接的に繋がってしまう。
普通のアニメのキャラクター以上にこの作品は演技力を求められる。
以前、某アイドルアニメでは「歌がうまい」キャラが居たのだが、
演じている声優さんのせいもあって、その歌のうまさが
伝わらず、キャラクターの魅力にも繋がらなかった。
某アイドルアニメ以上にこの作品は声優の演技力が
ダイレクトに求められる。そういった部分も楽しめる作品だ。
演出や作画でもキャラクターの「演技」を感じさせるものが多い、
ライティングややや過剰とも言える表情など、
「演技力」というものをアニメーションという媒体できちんと魅せている作品だ。
特に演技シーンではかなり作画枚数が多い。
おそらくロトスコープをつかい、
キャラクターたちの細かい動きや
表情の変化を「ぬるぅ」っと描いており、
それがアニメーションという動きでの演技力の表現にも繋がっている。
センス
この作品のキャラクターたちは事あるごとに
「センス」という言葉を口にする。
主人公と出会った海外から来た少女は彼女の演技を見て
「あなたにはセンスがない」とダイレクトに伝えてくる
参加したオーディションでは
「みなさんがどんなセンスを持った役者なのか楽しみにしています」と。
センスがすべてのような物言いをしている。
「センス」という抽象的なもの、後発的に会得できる人もいれば
生まれた環境で既に持ってるものも存在する。
海外から来た少女はそんな「センス」を炸裂させる。
センスのあるものは「目」がひかり、自身のセンスを発揮させる。
普段はつんつんな高慢な少女が、
いざ演技が始まれば、完璧に演ずるキャラクターを理解した
演技を見せてくれる。
これがきちんと「アニメ」という媒体で繋がっている。
センスがあるものとないもの、演技力があるものとないもの、
その「区別」がきちんとわかる。
そんな世界で主人公はセンスがないと子供の頃からさんざん言われてきた。
そんな彼女がオーディションで自らのセンスを発揮する。
まるで「静香」が乗り移ったかのように、
大根のような演技しかしなかった彼女が本番では、
センスを爆発させ、演技力を見せつけてくれる。
この演技力の成長と変化がアニメと言う媒体できちんと伝わる。
1話からこの作品の世界とキャラクターに飲み込まれる印象だ。
だが、そんな1話のラストで衝撃的な展開が描かれる。
彼女のそばにいる「静香」、彼女を支え彼女にアドバイスをし、
彼女の背中を押し、彼女が演技の参考にしている人物だ。
だが、なぜかそんな姿は「他人」には見えない。
彼女からすれば当たり前のように静香と話しているのだが、
他人からすれば彼女が独り言を言っているように見える光景だ。
彼女はいったいなんのか、1話の引きとしては完璧だ。
ライバル
序盤の展開は非常に丁寧だ。
役者としてセンスもなければ演技力もまだ未熟な主人公、
そんな彼女が劇団のオーデイションに受かり、
海外から来た少女と同室になる。
だが、海外から来た少女「カトリナ」はプライドの高い女の子だ。
彼女と仲良くなりたいと思いつつも、
カトリナ自身は他の役者をすべて「ライバル」と敵視している。
役者に慣れても「ダイスタァー」になれるのはほんの一部だ。
そんな一握りの存在になるために切磋琢磨している。
同じ劇団のキャラクターを少しずつ登場させつつ、
それぞれのキャラクターの演技を見せながら、
主人公の成長をゆっくりと描いている。
そんな中で光るのはそれぞれのセンスだ。
「新妻 八恵」という天才子役が歌えば、背中から羽が生え、
見るものを圧倒する。センスを持つものと持たざる主人公。
演技力と会場を飲み込むセンスの凄さに主人公は圧倒される。
自分自身が「持たざるもの」だと思っているからこそ、
彼女は彼女にできることをなそうとする。
「静香」とともに「静香」がどう演ずるかを考え、
彼女は自分がどう演じれば良いのかを模索していく。
それぞれの「演技」の違い、
セリフや表情だけではなく「所作」までも意識した
アニメーションでそれぞれのキャラの演技力を魅せてくれる。
それがキャラクターの個性に変わっている。
だが、そんな「個性」が主人公にはない。
それぞれが自分の思う、解釈した「役」を演じているが、
主人公は「誰かが演じている」ものを「模倣」してるにすぎない。
それでは役者になれても「ダイスタァー」にはなれない。
物語にきちんと説得力があり、主人公の問題も序盤できちんと描いており、
その問題を周囲のキャラクターも認識している。
自然と「主人公がどう変わっていくのか」というストーリーが気になってくる。
え…
3話から様子がおかしくなってくる。
1話、2話の中でキャラクターたちは事あるごとに
「センス」という言葉を使っている。
この世界の常識を知らない視聴者からすれば、
「センス」という言葉は「才能」などの言葉に
頭の中で自動的に変換され自然と受け止めることができる。
だが、これはある種の「ミスリード」だ。
この作品における「センス」とはある種の特殊能力のことだ(笑)
センスは舞台上だけで発揮できる特殊能力であり、
そんなセンスを発動するとそれぞれのキャラクターの能力が発動し、
それが役者の演技力や舞台演出にも繋がっている
意味がわからない(苦笑)
1話と2話で散々真面目に演劇をえがいていたのに、
3話でいきなりぶっとんだファンタジーになってしまう。
例えばとあるキャラクターのセンスが発動すると、
観客の心の声を聞き取ることができる。
「あーここからだと顔が見えないなー」
という観客の心の声が聞ければ、
その観客に見えるような位置に移動したりしながら、演技をしている。
この作品はアニメオリジナル作品だが、メディアミックス作品でも在り、
ソーシャルゲームもリリースされている。
そんなソーシャルゲームという媒体で
キャラクターごとの「スキル」があるのは定番だが、
そんな要素をこの作品も「センス」という形でアニメに盛り込んでいる。
唐突にセンスが特殊能力であることがわかってしまうことで
序盤をすぎるとやや困惑してくる。
キャラクターによって能力の差も激しい。
観客の心の声が聞こえるもの、集中力を倍増させるもの。
そんなジョジョの奇妙な冒険における「スタンド能力」のようなものが
一部の人間に演劇という舞台限定で発動するセンス使いが存在する世界で、
主人公には能力がない。
しかし、これもまた「ミスリード」だ。
自立型スタンド能力
主人公は「自立型スタンド能力」を持っている(笑)
なぜか他人には姿が見えない「静香」、
周りには独り言を言っているように見える二人の会話。
それもそのはずだ。
「静香」は主人公のセンス能力で生み出した存在だ。
もはや意味不明である。
舞台上でしか発動しない舞台上だけの特殊能力のはずが、
静香は常に主人公のそばに居て、舞台上でなくとも、
どこでも存在しつづけ、主人公に話しかけてくる。
しかも4話には主人公以外にも彼女の姿が見えるようになる。
戦闘中にスタンド能力が成長して変化するのは
ジョジョの奇妙な冒険でもあったことだが、
まさに同じようなことが起きている。
静香ACT2とでもいえばいいのだろうか(苦笑)
トラブルの起きた舞台に唐突に出演し、主人公のピンチを救う。
自分で考え自分で動き、周囲にも見える存在。
一人二役がこなせるような能力だ。
スタンド能力の存在する演劇アニメ、
かなりのキワモノであることが序盤をすぎるとわかるアニメだ。
それだけに先が読めない。
話自体は王道のはずなのに、演劇というものを真面目に描いているのに、
そんな世界に「能力バトル」的な要素が存在するせいで奇想天外な
作品になっている。
引き立て役
そんなぶっとんだ要素はありつつも、
基本的なストーリーは真面目だ。特に主人公の成長と変化は面白いものがある。
誰かのマネしかできなかった彼女が、誰かのマネではなく、
「自分らしい」演技を考え、「自分らしさ」を模索していく。
中盤では彼女らしい演技を出来ている。
だが、その「演技」は「誰かの引き立て役」だ。
天才子役の引き立て役に徹する、それもまた役者に必要なことだ。
しかし、彼女が目指すのは「ダイスター」だ。
たった一人でお客さんを埋め、たった一人の演技で観客の注目を集める。
それが「ダイスター」という存在だ。
中盤の彼女は確かに演技力は上がっている、
序盤のように誰かのマネでもなくなっている。
しかし、それは「ダイスター」の演技ではない。
自分ではなく他の誰かの演技に注目される。
大きな歓声も、たくさんの拍手も、自分に送られたものではないことをしると、
彼女はまた考え、模索する。
本当に丁寧なストーリーだ。
自分を見失った彼女は、
同時にもうひとりの自分である「静香」も見失ってしまう。
そんな彼女が仲間の言葉を思い出し、背中を押され、
再び自分を見つめ直し、自分を取り戻す。
「ワールドダイスターになりたい!」
そんな強い思いがあってこその「静香」というもう一人の存在が生まれる。
「誰にも負けない」演技をするために、「誰にも負けない」役者になるために。
そのためのセンスであり、もう一人の自分だ。
いるか…?
センスの奇抜さはあるものの、
まっすぐに演技というものを題材にしたストーリーが描かれている。
逆に言えば、このセンスが邪魔になってる部分もある。
主人公の能力だけはかなり異質なのだが、
他の能力はそこまでぶっとんだものはなく、
あってもなくても問題がないものが多い。
「舞台上で起こったどんなことも演技にしてしまう」能力など
ちょっと分かりづらい能力も在り、
せっかく能力要素があるのに、その能力要素が
主人公以外のキャラで必要性を感じない部分も多く、
ややノイズになっている部分もある。
この作品はソシャゲを前提にした作品でありながら、
メインキャラクターは6人ほどに絞られている。
ゲームでは他の劇団のキャラクターも出てくるようで、
少し調べた所「コピー能力」や「他人の能力を発動できなくする」など
面白いセンスを持つものも多い。
ただ、アニメでメインになってるキャラクターのセンスは
そういった面白いものがなく、主人公以外のセンスは
絵的にも盛り上がりに欠けるものが多い。
オペラ座の怪人
終盤ではオペラ座の怪人を演ずることになる。
それぞれのキャラクターが己のセンスを自己対話の中で見極めていき、
それぞれのキャラクターが主演を狙う。
主人公もまた変化している。
かつては誰かの模倣しかできなかった、
かつては静香とともに演技プランを考えることしか出来なかった。
しかし、今は違う。
多くの舞台を経て、彼女は自分らしい演技を、
自分で演技プランを考えることができるようになっている。
「静香」という存在があったからこそ今の彼女がある、
だが、成長したからこそ彼女に静香の存在が必要なくなってしまう。
それを「静香」自身が自覚している。
オペラ座の怪人は天才的な才能を持つが、
醜い顔を持つオペラ座の怪人の物語だ。
恋をしたクリスティーヌにチャンスを与え、
最後には姿を消してしまう。
そんなオペラ座の怪人と重なる存在だ。
主人公は幼い頃の演技に対する執着、夢、孤独、
そういったものを「静香」という存在に具現化していただけに過ぎない。
だからこそ彼女は底抜けに明るい少女だった。
だが、それは自らの心の「醜悪」とも言える部分を
「静香」という存在に切り離していたからこそだ。
そんな彼女を自らに取り込み、本当の意味で一人前になる。
最終話
最終話にはわかりやすくアプリで出るキャラクターが
観客として見に来る(笑)
ただ、あくまで自然に顔見せ程度に抑えており、
そこまで気になる部分ではない。
そんなことよりも「オペラ座の怪人」の舞台の表現の素晴らしさに目を奪われる。
1話から舞台のシーンは「ぬるぬる」とした作画で描かれていたが、
最終話のオペラ座の怪人は更にヌルヌルとしている。
もう素直にCGを使ったほうが早いのでは…と言いたくなるが、
それは野暮だ。
あくまでも手書きの作画でキャラクターたちの細かい動き、
表情の変化を圧倒的枚数で描き、アニメーションによる演技をみせ、
各キャラクターたちを演ずる声優さんたちの演技力で
「オペラ座の怪人」のキャラクターを演じている。
たった30分のオペラ座の怪人。そこにこの作品は賭けている。
孤独だった少女が、自分の中の醜悪な心を向き合った少女が、
もう1度「静香」に出会うために、ともに舞台に上がるために。
一人の役者として「オペラ座の怪人」を演ずる。
舞台の上だけで光り輝く片方の青い瞳、主人公の中で彼女も見守っている。
自身の中にあるものを表現し、それを「センス」で魅せる。
センスは本来、舞台の上だけで発動するものだ。
だからこそ舞台で「二人」で一役を演ずることもできる。
一人二役ではない、二人一役。それが「主人公」のセンスだ。
彼女の、いや、彼女たちの「ワールドダイスター」への道はここからだ。
総評:演劇アニメかと思ったらジョジョの奇妙な冒険だった
全体的にみて演劇というものを真面目に描きつつ、
センスというジョジョの奇妙な冒険のスタンド能力のようなものが合体した奇妙な作品だ。
基本的なストーリーはまっすぐな王道ストーリーであり、
丁寧に演劇というものを描いている。
語としてやりたいことはわかり、展開自体は面白いのだが、
同時に「センス」に関する部分が強烈に引っかかってしまう。
主人公のセンスに関してはある種のイマジナリーフレンドと
自己対話からの成長というものを描くために必要だったのはわかるが、
他のキャラのセンスに関してはあってもなくても問題ない。
「ダイスター」に関しても、
最終話でとあるキャラがいきなり認定されてるが、
そんなキャラよりも主人公の演技のほうがすごかったのに
彼女のほうが認定されてしまうふわっと感も
いまいち飲み込めない部分だ。
そのあたりが気になってしまう感じがある。
静かに関しても幽霊や二重人格的な設定のほうが
もう少し飲み込めた部分すらあるものの、
そこを抜けば演劇アニメとして芯の通ったストーリーを展開しており、
ソシャゲに続くような形で綺麗にまとまっている。
アニメーションとしてもかなりのこだわりを感じる作品だ。
特に舞台のシーンでの「ぬるぬる」感はすさまじく、
細かい動きから表情の変化まで必要以上に描くことで
キャラクターの「演技力」というものを際立てている。
声優さんたちの演技力も素晴らしかった。
キャラクターを演じつつ、同時にそのキャラクターが演じる役を演じる。
これだけでハードルが高いのに、更に演技力の有る無し、
キャラクターの成長による演技力の変化なども
「声」による演技力で魅せている。
メディアミックスのソシャゲを前提としていない作品だったら
もう少し気になる部分が減って、名作になったかもしれない作品では有るものの、
この「ジョジョの奇妙な冒険」的な「演劇」アニメは
他作品では味わえない不思議な魅力を感じることができる作品だった。
個人的感想:ソシャゲじゃなければ…
世界観やストーリー自体の面白さは素晴らしかったが
各キャラクターが持つセンスが作品全体に引っかかりを
産んでしまっている感じのある作品だった。
アニメーションのクォリティや声優の演技など
「演劇」というものをアニメで表現している部分は本当に素晴らしく、
最終話のオペラ座の怪人は必見とも言えるのだが、
やはりセンスがこの作品の引っ掛かりを産んでいる。
2期がアレば他の劇団のキャラもでてきて、
能力バトル的な面白さも生まれてくるかもしれないだけに、
もし2期があるならば期待したいところだ。
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