日常

「明日ちゃんのセーラー服」レビュー

日常
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評価 ★★★★★(88点) 全12話

TVアニメ「明日ちゃんのセーラー服」PV第2弾 | 2022年1月8日(土)放送開始

あらすじ 明日小路(あけび こみち)は、憧れのアイドル・福元幹(ふくもと みき)がCMで着ていたセーラー服の可愛らしさに魅了され、いつか自分も着たいと夢見ていた。母親・ユワの母校の蠟梅(ろうばい)学園中等部の制服がセーラー服だったことに運命を感じ、自分も蠟梅学園を受験し、もし合格したら母親にセーラー服を仕立ててもらう約束をする。引用- Wikipedia

究極の日常アニメ

原作はとなりのヤングジャンプで連載中の漫画作品。
監督は黒木美幸、制作はCloverWorks

恐ろしい…

1話冒頭で感じたのは恐ろしさだ。
別にこの作品は「ホラー」なわけではない。
「クォリティ」にただただ驚かされてしまい、逆に恐怖してしまった。

主人公が朝、ランニングをしている。そんなシーンだ。
何気ない日常、何気ない朝の風景、そんな朝の風景を
ここまで強烈なインパクトを受けるほど描いた作品があっただろうか。

主人公が走る田舎の田畑は太陽の光が反射し綺羅びやかで
空気の澄んだ雰囲気すら感じさせる。
そんな田畑の真ん中の道を少女がひた走る。
ただただ、普通のランニングシューズで走っているだけだ。

そんな「ランニングシューズ」の見せ方が凄まじい。
きれいなわけじゃない、朝の習慣で使い込まれたことを感じさせる
少し「くたびれた」靴の描写を見せる。
しかし、長回しするわけじゃない。一瞬だ。
そんな一瞬の作画が絵画のごとく描きこまれており、恐ろしさを感じてしまった。

主人公の行動もどこかぶっ飛んでいる。
ランニングしながら、明るい未来への希望を持っている彼女は
心も弾み、身体も弾む。
新生活が始まる、受験し合格した彼女は「母の母校」への入学を控えている。

何気ない日常の描写を「切り取り」アニメ的に誇張し見せることで
何気ない日常が綺羅びやかなものになっていく。
主人公の心理描写を全て言葉で説明するわけでもない、
さりげない「足の指」の動きでみせ、さりげない表情で見せる。
CloverWorksの制作能力が有るからこその見せ方は恐ろしささえ感じる。

1話はただそんな「入学式」を控えた主人公の日常なだけだ。
家族との何気ない会話、入学式を迎えるドキドキ、
制服の採寸をして、母がそんなセーラー服を仕立てる。

そんな日常の中の少女の「魅力」をこだわりを持って描いている。
まさにフェチズムだ。
少女の足、靴、脇、まつげの長さ、鎖骨、うなじetc…
手を出してはいけない、手を出すことは禁じられている、
そんな少女の「禁断の魅力」を1シーン1シーンから感じてしまう。

そんな禁断の果実を包み込むのは「セーラー服」だ。
彼女の憧れ、母の過去の写真を見たからこそ彼女は憧れていた。
自分もアイドルのように素敵な「女性」になれるかもしれない。
思春期の少女だからこその憧れと希望と夢がセーラー服には詰まっている。

ドキドキとした思いで制服に身体を落とし、着ていく。
そんな「着替え」のシーンをたっぷりと見せてくれる。
まるで本当に存在するどこかの少女を「覗き込む」ような
罪悪感すら感じさせてくれる。

しかし、そこには最大の問題点も有る。
彼女が入学した学校は「セーラー服」から「ブレザー」に変わってしまった(笑)
彼女が着ているのは旧制服だ。入学式で浮いてしまい、恥ずかしさを感じてしまう。
だが、図らずも同時に「特別」な存在になってしまう。

まるでアイドルのように、制服が人と違うというだけで
「アイドル」のようになれてしまった彼女の学園生活が幕を開ける。
不安は有る、でも、彼女は前向きだ。

「胸を張って笑顔でしょ」

それでも緊張はする、前向きな少女ではあるものの、自身があるわけじゃない。
そんな自分の気持ちを引き締めるように髪を結び、教室の扉を開ける。
そんな主人公が初めて出会うのが
「朝の教室で爪を切っている金髪の少女」だ

もはやフェチズム贅沢詰め合わせセットみたいな作品だ(笑)
少女のちょっとした秘密を知ったからこそ、二人の交流が始まる。
それが主人公の自信につながる、私はやっていける、私は大丈夫だ。
そんな自身と緊張の緩和を裏付けるように、主人公は結んだ髪を解く。

まるで「心理学」のようにキャラクターのなにげない行動が
心理描写にもつながっており、もしかしたら視線の方向にすら
意味があるのでは?と邪推したくなる。
ちょっとした恥じらいの顔を描くにしても、
さりげなく「指」をくわえている。そこにも意味がある。

クラスメイト

入学式が終われば学生としての日常が始まる。
クラスメイト同士で自己紹介をし、授業を受け、給食を食べる。
本当に描かれているのは「少女たちの日常」でしかない。
だが、この作品はそんな日常をこだわりを持って描いてるからこそ面白い。

そのこだわりがキャラの魅力にもつながっている。
都会から着た金髪少女、メガネ女子、背の小さい女の子、
ツンツンな子、関西から来た少女etc…

他のアニメでもよく見かける「属性」を一人ひとり持っている。
どこかで見たキャラと言えばそこまでだ。
しかし、そんなどこかで見たキャラの「どこかで見た」要素、
一人ひとりが持つ「属性」そのものの魅力をコレでもかと描いている。

メガネ女子の日常、眼鏡が曇りメガネを拭く。
そんな日常と「メガネの傾き」1つでメガネ少女の魅力を
1分足らずで感じさせてくれる。

仲良くなれるか不安な子もいる。
だけど彼女はクラスメイト一人ひとりの名前を覚え、
それを復唱しながら家路につく。
1話は登校する話だった、2話は下校する話だ。

「明日ちゃん」という主人公の日常を本当に丁寧に描いている

小悪魔

3話以降も描かれるのは日常だ。なにかが起こるわけでもない。
しかし、それがたまらない。
この作品は10年前にあった日常アニメブームの1つの到達点のような作品だ。

日常アニメはなにか目的が有るわけではない。
昨今では日常アニメ要素に釣りやバイクなどの「趣味要素」を
いれることでストーリーを作っていることが多いが、
この作品は10年前の日常アニメのようにあくまで
「女の子たちの日常」が綴られている。

擦り倒され、ブームすら終わった日常アニメ。
そんなジャンルの中でこの作品は「日常」そのものを、
「少女の日常」に観点を置き、見せている。
一人ひとりのキャラの魅力、主人公だけではないメインキャラともいい難い
クラスメイトの一人ひとりの魅力も感じてしまう。

やや癖のあるキャラデザでは有る。
特に「まつげ」の描写は特徴的だ、どこか少女漫画的ですら有る。
そんな中で「谷川 景」というキャラは決して美少女としては描かれていない。
地味で真面目で少したれた目をしている。

そんな彼女が「明日ちゃん」に「脚」を褒められる。
地味で目立たくて真面目で自分の「良さ」というものに
彼女自身が気づいていなかった。
そんな彼女がおそらく初めて「他人から外見を褒められる」経験をする。

だからこそ、彼女は家に帰り自らの脚を撮る。
自分でも気づいていなかった自分の「脚」の魅力を客観視するためにも
恥じらいながら、戸惑いながら。
自撮りなんてするような子じゃない、顔には自信がない。
だけど「褒められた脚」を初めて自撮りしてみる。

恥じらいながら、戸惑いながら、そんな彼女の脚の描写が凄まじく、
思わず「脚フェチ」に目覚めそうな勢いだ。
「明日ちゃん」という主人公は小悪魔だ、他人を褒めるのが上手で、
その人自身が気づいていない魅力を気付かさせてくれる。

だからこそ本来なら「1人だけセーラー服」なんて
浮きそうな状況にも限らず、浮かない。
むしろ徐々にクラスの中心にすらなっていく。
小悪魔だからこそ、色々な少女を惑わしていく(笑)

無自覚に誰かを「魅了」してしまう。天性の魅力を持つ彼女が
思春期という「性的指向」もまだ定まっておらず、ブレのある時期の
少女たちの心を揺さぶる。
この作品は百合作品ではない、だが、思わず「明日ちゃん」に
恋心を抱きそうになる彼女たちの気持ちもわかってしまう。

恥ずかしいところを見られてもそんな恥を共有し、
自分の知らぬ魅力に気づかせてくれ、
雨宿りでは自分の好きな本を本気で「朗読」してくれる。

フェチズムを感じさせつつ、明日ちゃんの小悪魔的行動を見せつつ、
各キャラの魅力を見せつつ、日常を綴っている。
この繰り返しでは有るものの、少しずつ変化していく人間関係と
各キャラの可愛らしさやフェチズムが作品としての魅力と
「日常アニメ」としての面白さを構成している。

キャラ数は多いものの、そのキャラの見せ方がうまい。
序盤ではちょっとしか出番がない、背景にしか映っていないようなキャラが
話が進んでくると徐々に「明日ちゃん」と交流し、
彼女に「落される」ことでメインキャラになっていく(笑)

圧倒的な作画のクォリティは一切落ちることがない。
他愛のないやり取り、少女たちの「少女としての魅力」を
この作画だからこそより感じられる。

友情

中盤になるとキャラクター同士の関係性も深まってくる。
1話から存在感は合り交流は合ったもののがっつりと掘り下げはなかった
「木崎 江利花」という少女。
明日ちゃんという少女が学校ではじめて作った友達だ。

そんな少女を少女が遊ぶに誘う。たったそれだけのことだ。
明日ちゃんという主人公は積極的な少女では有る、
だが、今までろくに同年第の子との付き合いがなかったからこそ、
誘うのにも緊張し戸惑い迷ってしまう。

そんな二人の初めてのお出かけ、初めての遊び。
学校という場所だけでの関係性ではない、友達だからこそ、
学校以外でも会いたいと思う。
二人の初めての共同作業、不器用な二人が心の底から楽しそうにする様は
見ているコチラ側も自然と笑顔になってしまう。

仲良くなったからこそ、打ち解けたからこそ
「下の名前」で呼び合うようになる。
ただの知り合いでもない、ただの友達でもない、
「親友」といえる関係性への構築が美しく描かれている

部活

親友とまではいかない子もいる。
だが、そんな子も小悪魔「明日ちゃん」の一言がきっかけで変わっていく。
明日ちゃん自体は「演劇部」に所属しているものの、
それ以外の子の部活動が描かれることも多い。

これも一種のフェチズムだ。
テニス部、バスケ部、バレーボール部etc…
私達も学校で見かけた「部活少女」たちもさりげなく見せており、
そんな部活に勤しむ彼女たちの魅力というフェチズムも見せていく。
この作品を思春期に見てはいけない、一生付き合う「性癖」に目覚めそうだ(笑)

部活をやっていない子もいる。
興味はあるものの、一歩を踏み出せなかった少女。
そんな少女が「明日ちゃん」のちょっとした興味と好奇心による
言葉をきっかけにギターをやりはじめる。

たったそれだけしかない。
だが、一人ひとりのキャラの魅力、青春模様が
どこか「文学的」にすら描かれており、木造の校舎と田舎の雰囲気が相まって
川端康成作品を読んでいるような錯覚すら覚えてくる。
落とした「栞」にくくりつけた風船なんて文学そのものだ。

少女が初めて人前で弾き語る
スピッツの「チェリー」に私は涙をこぼした。
下手くそなことは自分でもわかってる、だけど一生懸命練習をしたギター。
それを明日ちゃんは精一杯の拍手で褒めてくれる。

自らの淡いセピア色の青春自体すら思い返す。
この作品の「フェチズム」要素は作品のフックでしかない。
描かれている本質は少女たちの日常という名のまばゆい青春模様だ。

それぞれが少しだけ悩みを抱えている、
他人との関わり合い方だったり、自分の体型だったり、一歩踏み出せずに居たり。
そんな彼女たちがうじうじと悩んだりシリアスにはならず、
「明日ちゃん」の行動や言葉をきっかけに変わっていく。

「けいおん」や「氷菓」といった京アニ的日常アニメ的ニュアンスを
「CloverWorks」という制作会社が本気で見せている。
練に練り込まれ洗練された「日常アニメ」の極地がこの作品には有る。

田舎

田舎故に「明日小路」という少女には友達と言える存在が居なかった。
そんな彼女が1人、セーラー服に身を包み中学生になった。
そこでの出会い、多くの人と仲良くなりたい、友だちになりたいという
気持ちが彼女の周りに多くの友達を得ることができた。

小学校の頃は孤独だった、先生と自分の一人学級。だけど今は違う。
1人だけでしか使ったことのない小学校の体育館で
多くの友達を練習をすることもできる。電話をする友達もたくさんできた。
100人には満たないが、多くの友達を彼女は持つことができた。
もう「1人」じゃない。

妹が卒業すれば廃校になってしまう思い出の学校の
思い出の体育館で友達をバレーをする。たったそれだけで涙を誘われる。
彼女の6年間の孤独が分かるからこそ、
「良かったね」と思わず涙腺を刺激されてしまう。

田舎の限界集落で育った子供の「孤独」の描き方が、
重苦しくもなくシリアスにも描かれていないのに、
明るく描いてるのに「孤独」がひしひしと伝わってきてしまう。

だが、今は違う。
誰かと「時間」を共有することの楽しさと喜びを彼女は噛みしめる。
それが儚く一瞬に過ぎ去る青春の1ページであることを
彼女はまだ知らない、だが、今はそれでいい。
見る側の「モラトリアム」を刺激する終盤の描写は思わずぐっと来てしまう。

体育祭も、小学校の頃にはできなかったことだ。だが、今は違う。
体育祭を本気で楽しみ、友達のピアノで踊る。
彼女は「本気」なのだ。学校生活を本気で楽しもうとしている、
今を、友だちがいる学校が楽しくて仕方ない。

だからこそ、クラスメイトも、多くの学校の生徒達が彼女に影響されてしまう。
本気で応援し、本気でスポーツをし、本気で踊る。そんな彼女の「精一杯の学園生活」。

明日ちゃんといれば楽しい、明日ちゃんがいれば学校が綺羅びやかなものになる。
ラストは日常アニメあり、青春アニメであり、スポーツアニメであり、音楽アニメだ。
「フェチズム」はもう作品を飾り立てるスパイスでしかない。

綺羅びやかな彼女の「一学期」が見る側の感情を限界まで揺さぶる。
これほどまで「最終話」に寂しさを感じる作品は久々だった。

総評:川端康成も生き返ってオタクになるレベル

全体的にみて本当に素晴らしい作品だった。
圧倒的な作画で描かれる少女、そんな少女そのものが醸し出す
「フェチズム」を全開に描きつつ「明日ちゃん」という主人公にも魅了されていく。
1人だった少女が中学生で多くの友だちができて学園生活を楽しむ。

ストーリーとしてはシンプルだ。
だが、そんなシンプルなストーリーの中で
一人ひとりのキャラクターのキャラとしての可愛さと魅力を掘り下げつつ、
徐々に明日ちゃんと仲良くなっていく様子が微笑ましく、
そんな彼女たちの「青春模様」がたまらない。

それぞれが一歩を踏み出している。
自分に自身がなかった少女、本が好きな少女、音楽が好きな少女、
そんな少女たちが「明日ちゃん」という小悪魔(笑)の些細な一言で
変わっていく、そこを丁寧にどこか文学的に描くことで
少女一人ひとりの青春模様が染み渡る。

部活的要素も多く含んでおり、そんな部活的要素が最終話で生きてくる。
日常萌えフェチズムアニメから、ラストには音楽スポーツ青春アニメみたいな
ノリになっており「日常」があるからこそのそれぞれの青春模様がたまらない。

そこに説得力を持たせているのは作画だ。
圧倒的な作画を出し惜しみせずに、1シーン1シーンを描くことで、
どこか少女たちの日常を「覗き見る」ような錯覚すら生まれる。
そこに生まれる罪悪感は序盤のフックではあるものの、
そんな罪悪感から共感へと変わり、思わず涙をこぼしてしまう。

本当に素晴らしい作品だ。
制作側にとんでもない変態がいることは間違いない(笑)
だが、見ている私達も少なからず変態性を帯びており、
変態が変態に向けた「日常萌えアニメ」の極地を見たような作品だ。

個人的な感想:笑ってしまった

序盤こそあまりにも高い作画のクォリティと制作側の「フェチズム」全開な
描写の数々に思わず笑ってしまっていたのだが、
そんな日常萌えアニメだと思っていたら、中盤からはまさかの
青春アニメとしての面白さもどんどん出てくる始末だ。

とんでもないアニメだ。
こういったセクシーシーンの多いアニメは毛嫌いする人も多いが、
ちょっとそこを我慢してもらって中盤くらいまで見ると
この作品の見方も変わってくるだろう。

久しぶりに感じる最終話での喪失感は本当にたまらなかった。
ぜひ2期が見たい。
このクォリティで明日ちゃんの「2学期」が見れる人を心待ちにしたい。

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出演声優 村上まなつ, 雨宮 天, 鬼頭明里

「明日ちゃんのセーラー服」は面白い?つまらない?

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  1. オタク眼鏡 より:

    今年の冬アニメは着せ恋が注目されることが多かったけど、明日ちゃんのもクオリティが高かったと思う!2期が来てほしいとは言わないけど、ほんとに素晴らしかった・・・やはりCloverworksはすごい!