評価 ★★★★★(92点) 全95分
あらすじ 、ブライト・ノアの息子ハサウェイ・ノアは、初恋の少女クェス・パラヤの死や戦場で死んでいく人々の魂の声、そして伝説のニュータイプ戦士アムロ・レイと人類粛清を掲げたシャア・アズナブルの生き様を目の当たりにした。引用- Wikipedia
これが最高峰のアニメ映画だ!
原作は富野由悠季監督による小説作品
1989年に発売された作品であり、約30年の時を経てアニメ映画化となった。
監督は村瀬修功、制作はサンライズ。
三部作となっており、本レビューは1作目のレビューとなる
宇宙
冒頭からこの作品の世界観に取り込まれる。
「ハウンゼン」というスペースシャトルに乗っているところから始まる。
宇宙船に乗っている。言葉にすればただそれだけのシーンでしか無い。
だが、圧巻だ。
「月」の細かい描写は背景作画のクォリティのえげつないまでの
高さを感じさる。この背景のリアルさとクォリティの高さは
スタジオコロリドが背景美術に関わってることが大きのだろう。
そんなリアルな「月」の描写があるからこそ
スペースシャトルの中でのキャラクター達の細かい動きにより
目が行ってしまう。
この作品は「重力」を意識して画面づくりがされている。
スペースシャトルの中での「飲み物」の描写、髪の動き、
トイレにある「洗面台」にいたるまで
重力がない環境だからこその細かい描写がなされている。
画面の細かい部分を見ようとして目に入ってくるわけではない。
あまりにも自然に無重力環境を見せているからこその
細かい美術設定が画面の中に事細かく描かれており、
見ているだけで楽しい。
ガンダムというSFロボットアニメでまだ戦闘すら始まっていない
冒頭のただのスペースシャトルの中での1シーン1シーンが
強烈なインパクトを与えてくれる。
「そうか、無重力環境だからこんな洗面台になっているのか」
「このグラスはどういう仕組!?なんで飲み物こぼれないの!?」
と見ていてワクワクが止まらない。
それを別にいちいち説明するわけではない、
彼等にとってはあたりまえのものでしかない。
だが、まだアースノイドで旧人類な我々にとっては
スペースノイドな彼等の未来のあたりまえのスペースシャトルの中での
日常の一コマ一コマがおもしろくて仕方ない。
まだ何も起こっていない。起こっていないのにすでに楽しい。
この作品はとんでもない作品だということを
冒頭の5分足らずで感じさせてくれる。
出会い
そんなスペースシャトルの中にいるのが主要人物の3人だ。
1人は「ケネス・スレッグ」
彼は連邦軍の軍人であり大佐という立ち位置に居るものの、
どこか軽く飄々としており女性に対しても甘いものの
仕事はできる切れ者だ。
もうひとりは「ギギ・アンダルシア」
謎多き女性は少女のような無邪気さと可憐さを秘めており、
人の嘘を見破る、感の鋭い女性だ。
妖艶で蠱惑的で、だが、芯のある、魅力的な広いんだ。
そして「ハサウェイ・ノア」
彼は本作品の主人公でありブライト・ノアという偉大な軍人を父に持ち、
子供の頃にはモビルスーツにのり戦場に出たこともあるものの、
今はただの植物監察官候補だ。
かつての英雄、シャア・アズナブルとアムロ・レイの姿と
父の姿を見て育った青年だ。
そんな3人はお互い最初は何も知らない。
互いが何ものであるのか、ハサウェイとケネスが
今後戦う運命にあることすら知らない。
ハサウェイが「マフティ」と呼ばれるテロリストであることすら知らない。
そこには独特の緊張感が生まれている。
他人だからこそ、何も知らないからこそ、お互いの口から出てくる言葉や
服装、仕草で何もであるかを見定めるかのように視線が動く。
この作品は「視線」も強く意識して作られている。
ときおりキャラクターの台詞という言葉で説明するのではなく
「視線」で彼ら何を考え、何を見て、何を思っているのかを伝えている。
そんな視線を手助けしているのが「カメラアングル」だ。
ただキャラクターを「映す」だけではない。
そんな誰でもできるようなカメラアングルをこの作品はしない。
キャラクターを「魅せる」カメラアングルだ。
遠いアングル、手前に居るキャラをぼかすようなアングル、
俯瞰のアングル、そして主観のアングル。
この作品のカメラアングルは全て意味がある。
キャラクター達の意味のある「視線」を意識したからこその
カメラアングルは画面が切り替わるたびに、
カメラアングルが切り替わるたびにわくわくしてしまう。
これは「映画」という大きなスクリーンを意識しているカメラアングルだ。
大きいスクリーンだからこそ頻繁に切り替わるアングルが映え、
大きなスクリーンだからこそ見ている側に「没入感」が生まれる。
格闘戦
そんな3人の前に現れるのは「マフティ」だ。
当然、偽物のマフティではあるものの彼等もテロリストだ。
テロリストと有名なマフティの名を語り、マフティである
ハサウェイの前でスペースシャトルをジャックする。
ろくな武器もない中でマフティには「声」が聞こえてくる。
「やっちゃいなよ、そんな偽物なんか」
ギギ・アンダルシアの声でまるで号令がかかったように
ハサウェイは動く。一瞬だ、
一瞬の緊張が溶けた瞬間にたった「1分」の戦闘シーンが描かれる
緊張と緩和、一歩間違えば死にかねない状況でハサウェイが
テロリストを制裁するシーンは純粋なアニメーションとしての面白さを
これでもかと感じさせてくれる。
無粋なスローなど決して使わない、じっくりとすごい動きを見せることなど
この作品では一切しない。
ハサウェイの戦闘力をわずか1分でカメラアングルを変えまくりながら
まるで見ている側の目に焼き付けるかのように見せる。
たった1分の戦闘シーン。
この1分の戦闘シーンでハサウェイという主人公の強さ、
ギギ・アンダルシアというヒロインの魅力、
ケネス・スレッグという敵の魅力もえがいている。
非常に濃い作品だ
ここまででわずか15分、YouTubeなどで先行公開されている
部分のレビューでしか無いが、そんな15分で
私は2000字も書いてしまっている。
それほどまでにこの作品は濃い、1シーン1シーンが見逃せない。
1シーン1シーンへの制作側へのこだわりが
スクリーンの端から端まで練り込まれている。
だからこそ目が離せない、テレビ画面やモニターではなく、
この作品はスクリーンで見るべき作品だ。
たった15分でそれをひしひしを感じさせてくれる。
ここまで読んでいただいた方には大変申し訳無いのだが、
もし、あなたがまだこの作品を劇場で見ていないならば、
すこしでもここまでのレビューで興味を持っていただけたのなら
続きを読む前にぜひお近くの劇場に足を運んでほしい。
ここからが更に凄いのだから。
葛藤
ハサウェイ・ノアはテロリストだ。
彼は「シャア・アズナブル」がかかげた理想を信じ、
それを受け継いでいる。人類は地球から巣立つべきなのだと。
かつてのシャア・アズナブルはそれを成すために小惑星を地球に落とすことで、地球を寒冷化させようとした。
シャア・アズナブルの理想を追い求めつつも
シャア・アズナブルとは違い「連邦軍」の父を持つがゆえに、
クェス・パラヤという少女への思いがあるがゆえに、
彼は何処か甘い。
ハサウェイ・ノアという表の顔、
マフティとしての裏の顔。
どちらも彼ではあるものの、甘いがゆえに優しさがあるがゆえに
彼は地球の人の声やギギ・アンダルシアやケネス・スレッグとの
関係性を何処か断ち切れずに居る。
かつての想い人の面影のあるギギ・アンダルシアに惹かれつつ、
ケネス・スレッグという憎めない男との友情も生まれつつある。
その甘さを彼はなかなか捨てきれない。
そんな甘さが事態を複雑にしていく。
市街戦
中盤では市街戦が始まる。これは私個人の好みなのだが、
ガンダムにおいて宇宙戦よりも地上戦のほうが好きだったりする。
確かに宇宙戦は重力がなく自由な動きと素早い動きで
予想できない戦闘シーンが生まれて派手だ。
しかし、地上での市街戦には「重力」という演出がある。
現れた「マフティ」のモビルスーツ、ブースターの音は
劇場のスピーカーのおかげで腹に響くような重低音を鳴り響かせ、
モビルスーツが地上に降り立つときの重みの演出に
おもわずニヤニヤしてしまう。
ロボットにおける戦闘シーンは昨今、素早いものが多い。
コンピューターグラフィックスの発展により
より高クオリティによりなめらかに、よりハイスピードに
ロボットを動かすことができるようになった。
そのスピード感はたしかに魅力だ。
だが、この作品は「重力」を意識した作品だ。
CGは使っているものの、スピード感ではなく重力を感じさせるような
「重さ」を演出で出している。
地上で闘っているからこその重力を意識させるような
戦闘シーンは重く、ドスンと1つ1つの攻撃が、
モビルスーツの一挙一動ににやにやしてしまう。
序盤から中盤、ハサウェイ・ノアはモビルスーツには乗らない。
モビルスーツ戦が行われる中で彼はギギ・アンダルシアを守る
一市民でしかない。モビルスーツの視点ではなく、
人間の視点でモビルスーツ戦を「魅せる」カメラアングルが
本当に素晴らしく、安易な言葉だがド迫力としかいいようがない。
まるでゴジラやウルトラマンが出てきたかのように、
SFロボットアニメではなく「特撮怪獣もの」でも見ているかのように、
崩壊する建物の数々と逃げ惑う市民の描写がリアルで生々しい。
多くの死人が生まれる現状をハサウェイは1人の人間として見つめている。
この自分を起こしたのは自分でありマフティという組織そのものだ。
自分を回収するために多くの犠牲が生まれており、
「ギギ・アンダルシア」をそんな状況から守りつつも怖がらせている。
「ひどいよ、こんなの」
ギギの悲痛な言葉に対し、彼はそんな彼女の言葉に同意する。
彼自身もわかっている、矛盾をはらんでいることに。
己の中にある理念があまりにも身勝手だ。
彼自身がそれを1番よくわかっている。
自分の甘さが、自分の優しさが、この状況を生んだ。
それを自覚したからこそ、彼は「ガンダム」に乗る。
甘い自分、揺れる自分、そんな自分を捨てて
マフティとして戦うために、身勝手な理念を押し通すためにも
彼は兵器という名の「Ξガンダム」へと乗り込む。
ラスト10分
主人公であるハサウェイが90分という尺の映画の中で
「ガンダム」に乗り込むのはラストまで15分くらいのあたりだ。
彼自身の悩み、葛藤、甘えが75分間描かれた後に、
彼は決意する。そしてラスト10分の戦闘が始まる。
私はこのラスト10分、涙が出てしまった。
決して号泣したわけではない、どこか行き場のない感情が
出口を求めたかのように、自分でもよくわからない感情が襲い、
涙を流してしまった。
このラスト10分の戦闘シーンはある意味でのテロリズムだ。
暴力や脅迫によって自身の主張を押し通そうとする。
あまりにも身勝手だが、それは揺るぎない正義であり。
それゆえに引かない。
このラスト10分の戦闘シーンは「ロボットアニメの戦闘シーン」という
名の暴力でひたすら見る側を殴りつられるような感覚になる。
空を自由に賭ける「Ξガンダム」、相対するのは「ペーネロペー」だ。
どちらもシンプルな機体とはややちがい、無骨でゴテゴテとして巨大だ。
そんな巨大な「兵器」同士の戦い。
ビームライフルを打ち合い、ビームサーベルを斬りつけあい、
ミサイルを打つ。
文章で表現するならこの程度のことしかしていない。
だが、この作品はそんな「シンプル」な戦闘シーンを
アニメーションとして、ロボットアニメとして、
「ガンダム」として押し通してくる。
地上戦だからこその「重力」と繊細に描かれた背景の描写、
主観や俯瞰、様々なアングルを切り替えて映し出される
モビルスーツ同士の戦闘シーン。
終盤までにこの作品で使われていた要素や演出は
ラスト10分のこの戦闘シーンのためのものだったんだと思わされるほど
圧巻だ。
富野監督が描いたガンダムというものの魅力、
板野ミサイルとはすこし違うものの、あの動きを感じるミサイルの動き、
ビームライフルを打ち合い、ビームサーベルを斬りつけあい、
ミサイルを打つ。
決して特殊な武装があるわけではない。
決して特集な動きがあるわけではない。「リアル」だ。
リアルな戦闘シーンを没入感の生まれる映画館のスクリーンに
映し出すからこその迫力にこだわった動きの素晴らしさに
打ちひしがれてしまった。
ロボットアニメはオワコン、ロボットアニメはもう流行らない。
昨今ではよく聞く言葉だ。私はそんな言葉に対し
「そんなことはない!」と反論の記事を出してはいたものの、
そんな強い言葉とは裏腹に、もしかしたらそうなのかもしれないと
思っていた部分が少なからずあった。
だが、この作品はそんな私に投げかけてくれた。
受け継がれた「ロボットアニメ」というものの魅力を、
「ガンダム」という作品で見せつけてくれた。
「ロボットアニメは終わってない、こんなに面白い作品を作れるんだ!」
そんな制作側の「心の叫び」があのラスト10分の戦闘シーンで
伝わってきてしまったがゆえに、私は涙を流してしまった。
総評:これがガンダムだ!
全体的に見て素晴らしい作品だった。三部作の作品であるがゆえに
ストーリーはまだまだこれからではあるものの、
そんなことが気にならないほど素晴らしい作画と演出、カメラワーク、
背景、キャラクター描写と声優の演技を見せ付けてくれており、
1本の映画としての満足感と映画館で見てよかったという
気持ちが生まれる作品だ。
制作側の細かいこだわりが半端ない作品だ。
冒頭の宇宙の描写や、キャラの目線、カメラワークなど
見れば観るほど1シーン1シーンがこだわって作られており、
画面から感じる「圧」が凄まじく、それを映画という大きなスクリーンと
迫力のある音響だからこそより感じられるようになっている。
映画館に来てよかった。映画館で見てよかった。
アニメ映画は毎年多く上映されているものの、こう感じる作品は少ない。
だが、この作品は間違いなく「映画館」で観るべき作品だ。
個人的な感想:とりあえず映画館へ
私自身、三部作だから三部作が上映されるときに
見ればいいやーと思っていたのだが、
「映画館で見たほうがいい」
と言われ、かるーい気持ちで映画館に足を運んだ所、
ボコボコに殴られてしまった感じだ(笑)
映画館で見終わった後に、レビューを書きながらYouTubeで
公開されている冒頭15分の公式動画を見てみたが、
やはり映画館で見るのとは味わいがまるで違う。
おそらくBDや配信などで家でこの作品を見た場合、
私はここまで興奮してレビューを書かなかったかもしれない。
ぜひ、この興奮を味わうためにも劇場に足を運んでいただきたい。
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