評価 ★★★★★(84点) 全12話
あらすじ 芝浜高校に入学した浅草みどりは、アニメを作るのが夢だが一人では行動できない小心者。引用- Wikipedia
これだからアニメは面白い!
原作は月刊スピリッツで連載中の漫画作品。
製作はサイエンスSARU、監督は湯浅政明。
子供時代
画像引用元:映像研には手を出すな! 1話より
© 2020 大童澄瞳・小学館/「映像研」製作委員会
物語は主人公の子供時代から始まる。
彼女は冒険家になるのが夢で「探検」が好きで、
そんな探検を絵にかいて妄想するのが好きな少女だ。
やや癖のあるキャラクターデザインは妙に記憶に残る癖があり、
「可愛い」のとはまた違う「可愛らしさ」を感じさせるキャラクターデザインだ。
そんな少女がふと見た「未来少年コナン」。
自分の探検、今いる自分の世界より大きく自由な世界を描いている「アニメ」を見て
彼女はアニメ制作というものを意識する。
震えるような始まり方だ。
主人公がなぜ「アニメ」というものにハマったか、
主人公がなぜ「アニメを作ろう」と思ったのか。
主人公の目的、やりたいこと、この作品の方向性が1話のたった3分で描かれる。
「アニメを作るのを意識したのはこの時だった」
主人公のそんなセリフとともにOPが流れる。癖大爆発だ(笑)
これぞ湯浅政明だといわんばかりのどこかサイケデリックで、自由で、
見ていて「楽しい」オープニングで一気にこの作品に惹きこまれる。
この作品は面白い。たった5分の1話の冒頭でこの作品の面白さが
画面全体からにじみ出ている。
浅草みどり
画像引用元:映像研には手を出すな! 1話より
© 2020 大童澄瞳・小学館/「映像研」製作委員会
高校生になった彼女は子供時代からの夢を捨てず、アニメを作ろうと思っている。
一人称は「ワシ」で語尾には「じゃよ」なんてつく主人公だ。
見た目は背が小さい女の子、だが喋ればどこかオヤジ臭さえ感じさせる。
彼女を演じているのは伊藤沙莉さんだ。
本作品でアニメ初出演ではあるものの、何者にも変えがたい
「声の魅力」がある。長年、少年役を演じてきた声優さんではないのか?と
思うほどに違和感が一切ない彼女の「ハスキー」な声がたまらない。
彼女だからこそ、見た目は少女、話せば江戸っ子な「浅草みどり」という
キャラクターに見事にマッチしている。
オタク特有の早口もなんのその、流れるような彼女の演技が
「浅草みどり」というキャラクターの魅力をぐんと引き上げている。
素晴らしい声優さんだ。
浅草みどりの友人である「金森さやか」。彼女を演ずるのは田村睦心さんだ。
「田村少年」という愛称もある彼女が長身でどこか訝しげな存在である
「金森さやか」のボソボソっとした喋りを怪しげに演ずることで
圧倒的な存在感と癖のあるキャラクターの雰囲気を滲み出させている。
そしてもうひとりの主人公である「水崎ツバメ」。
彼女を演ずるのは松岡美里さんだ。彼女もまた本作品で初出演の声優さんだが
そんな初出演であることを一切感じさせないハキハキとした演技、
他の二人と違ってある意味で正統派ともいえる明るく
美人のカリスマ読モという彼女のキャラクターの明るさと
綺羅びやかさ華麗に演じている。
その3人が1話に集う。
アニメを作りた浅草みどり、彼女に目をつけている金森さやか、
アニメーターになりたい水崎ツバメ。そんな3人がどこか昭和な雰囲気が
残る街で出会う。楽しそうに自分たちが描いた絵をかけあわせる。
それぞれには事情がある。
人付き合いが苦手でアニメ研究部に入れれなかった浅草、
お金を稼ぎたい金森、親の都合でアニメ研究部に入れない水崎。
そんな3人が「映像研」を作る。
「我々はモラトリアムに守られてるんですよ、ノーリスク!」
高校生の彼女達だからこそ真っ直ぐに夢を追い求めている。
自らが考えた設定を3人にはなし、そんな妄想の設定の世界観を
「湯浅政明」監督が全力で描く。
彼女たちの頭の中ではもう作品ができている、自分たちが考えた最強の設定、
自分たちが考えた最高のアニメーション。
そんな「妄想」を全力全開でアニメとして見せてくれる。
たかが妄想、だが、まるで1本のアニメ映画を見ているかのような
その妄想シーンが楽しくて仕方ない。
「すごい絵が見えた気がする」
夢に溢れた彼女たちが夢の端を掴んだような感覚になる。
希望と夢に溢れた1話が、なんとも心地よく、完璧だ。
映像研
画像引用元:映像研には手を出すな! 2話より
© 2020 大童澄瞳・小学館/「映像研」製作委員会
彼女たちはたった3人でアニメを作る。部活として映像研を作り、
広いが古いなにもない部室で、道具集めから始める。
旧アニメ研究部の倉庫には多くの古き良き道具が眠っている。
令和の時代に彼女たちは昭和のアニメの道具でアニメを作ろうとする。
ホコリを被ったアニメの製作の道具は見ているだけで面白い。
丁寧に彼女たちはそれを説明する。この作品は「アニメ制作」のアニメだ。
そんなアニメ制作というものを扱いつつ、技術自体はデジタルでなくアナログだ。
アニメが好きだからこそ、アニメを作りたいからこそのアナログ。
なんていじらしい流れだろう(笑)
今のアニメ制作はほぼデジタルだ。フルCGで作られてる作品も多い。
しかし、そんな中で彼女たちは部費もなく、3人しか居ない。
そんな金も人員もない彼女たちが敢えて「アナログ」で挑むアニメ制作。
もう見ているだけでニヤニヤしてしまう。
風車が回るアニメーション、そんなシンプルなアニメーションに
浅草みどりも、水崎ツバメもこだわる。たかが風車を回るアニメーションだ。
しかし、なぜ「風車」が回るのか、なぜ今は風車が回っていないのか。
それを彼女たちは「妄想」する。
デジタルでもアナログでもないドリームな彼女たちのアニメづくりは自由だ。
風車を邪魔する建物があるならば壊してしまえばいい。
「妄想」にはお金も時間も技術も関係ない、ありとあらゆることが自由だ。
そんな妄想を彼女たちは自らのアニメーションに落とし込む。
たかが風車が回るアニメーションを作るというだけだ。
だが、そんな文章では1行ですんでしまうようなことを
この作品は本当に軽やかに、心地よく、フリーダムに描いている。
見ていて楽しい。アニメーションだからこその動きの面白さを追求した
彼女たちのアニメづくりが見ている側の顔を綻ばせる。
「アニメづくり」という本来は動きがない題材を、
この作品は動かしまくっている。キャラクターの癖のある動き、
キャラクターたちの妄想、キャラクターたちのアニメづくりの情熱が
この作品も影響されているような動かしまくりなアニメーションだ。
たかが「部室の壁の補修」もこの作品にかかれば、宇宙船の修理になる。
なんて自由なアニメなんだろう。
こだわりと現実
画像引用元:映像研には手を出すな! 4話より
© 2020 大童澄瞳・小学館/「映像研」製作委員会
金森氏は現実的だ。他の二人と比べ彼女は技術はない。
しかし、他の二人をまとめて作品を作るためには彼女の存在は欠かせない。
浅草氏はいわゆる設定厨だ。設定を細かく、本当に細かく考えて
仮想の機械をどう動いて、何で動いているのか。
そういったものを考えるのが好きで強いこだわりがある。
そんな彼女が考え他設定の世界観を水崎氏がアニメーションにする。
水崎ツバメはアニメーションの本当に細かい動きにこだわる。
「私が作りたいのはアニメじゃなくてアニメーションなんだ」
そんな彼女のセリフに思わずにやけてしまう。
しかし、二人ともこだわりが強すぎる、いい意味でも悪い意味でも職人気質だ。
そんな二人を俯瞰で捉え、源氏的な落とし所を探るのが金森氏だ。
納期、予算、二人のやりたいことを最大限に考慮しつつ、
現実的な「アニメ」づくりを彼女が引っ張っていく。
金森氏という優秀なプロデューサーが、
二人をまとめる事でアニメが作られてる。
こだわりという夢を現実というアニメにしていく。
楽しそうに彼女たちが設定を考え、どんな動きにするか考え、
カメラワークを考える。妄想という名のアニメーションを視聴者に見せつつ、
彼女たちの制作過程がきちんと見える。
彼女たちの妄想を「湯浅政明」監督が本気でアニメーションにしている。
だからこそ面白い。妄想が妄想で終わらず、妄想という理想を見せつつ、
それが彼女たちの現実というアニメづくりにも繋がる。
理想と現実、この2つの書き分けがうまい。
視聴者には彼女たちの理想的なアニメという妄想を見せつつ、
同時にアニメづくりという現実の過程も進んでいく。
妥協
画像引用元:映像研には手を出すな! 4話より
© 2020 大童澄瞳・小学館/「映像研」製作委員会
スケジュールを守るためにときには妥協しないといけない。
だが、そんな妥協でも彼女たちは妥協すら突き詰める。
どうすれば作画枚数を減らして尺を稼げるのか(笑)
我々が普段散々駄作アニメで見せられている尺稼ぎをこの作品でも見せてくれる。
アップにする、背景をスクロールさせる、空を撮る、背景だけのカットを増やすetc…
本来なら実際の作品ではやってほしくない尺稼ぎではあるものの、
そんな尺稼ぎをきちんと見せる。
何処かで見たことのあるような尺稼ぎ、作画枚数カットの方法も
この作品は妥協なく描いている、それが素直に面白い。
やりすぎたらストーリーが破綻する。妥協の果てに色々なものを削る。
そんな妥協もまだ駆け出しの彼女たちには必要だ。
理想だけを本当は追い求めたい、妥協なんてしたくない。
だが、現実には納期が存在する。
納期を守るために手書きのこだわりを捨て去ることも必要だ。
手書きでアニメを作るのは厳しい。彼女たちは手書きで敢えて始めた。
手書きだからこその良さを彼女たちは知っているからこそこだわりたかった。
だが、現実的ではない。
「手書きかデジタルだなんて見る側はこだわりませんよ」
「分かる人にはわかるの!」
アニメ好きならばわかる手書きの良さを彼女も知っている。
だからこそ手書きにこだわりたかった彼女の気持ちが痛いほど分かってしまう。
アニメづくりという現実で自分追い求める理想をどこまで妥協するか。
妥協するしかない状況の中で妥協点を探りつつ、
「自分がここだけはこだわりたいポイント」だけは譲らない。
クリエイターとしての最後の意地だ。
現実と理想、そのぶつかり合いがこの作品の本質だ。
理想だけでは金にならない、だが、
理想を追い求めるのをやめてしまえば情熱が消えてしまう。
「終わるとか完成するとかではなく
魂を込めた諦めと妥協の結石が出る」
産みの苦しみをこんなセリフで表現するのがこの作品だ。
生みの痛みを感じつつ、屈辱さえ感じつつ、彼女たちは「作品」を納期する。
彼女たちが最初に作り上げた作品は本当に素晴らしいものだ。
まるで見る側が作品の世界に引き込まれるような「風」の表現、
妥協の果に生まれた景色のスクロールによる没入感、
こだわりぬいたアニメーターの演技という動きへの追求から生まれたアクション、
妥協の果てにも「クリエイター」の魂がそこにはある。
「とにかく次じゃよ」
自らが作り上げた作品を見ても、彼女たちはそこで終わりではない。
次の作品に活かすべき反省点を見つめ直し、もう次の作品を作ろうとする。
これが本当にクリエイターだ。
そんな事を言わんばかりのキャラクターの情熱が熱く、眩い。
巨大ロボットは虚構だからこそ素晴らしいのだ
映像研たちのスポンサーは学校や他の部活だ。
そんなスポンサーからお金を引き出し、彼女たちはアニメを作る。
「仕事に責任を持つために金を受け取るんだ」
金森氏が語るお金の価値観は本当に素晴らしいものがある。
なぜ金をもらうのか、なぜ仕事にお金が絡むのか。
きちんと彼女なりの「流儀」がある。
金を受け取り、受け取ったからこそそのお金にふさわしいものを作る。
仕事というのの本質を彼女がさらっと告げる様が本当にかっこいい。
2作品目の彼女たちのスポンサーはロボット研究部だ。
ロボット好きはめんどくさい。
そんなめんどう臭さを象徴するようなロボット研究部の部長は
情熱にあふれている。鼻水すら垂らしながら自らのロボット愛を語る。
そんな彼の情熱にクリエイターの二人も感動してしまう。
ジャンルは違えど彼らは同士である。
ロボット好きが追い求める理想のロボットと、ロマンを追い求めつつ
作り上げるロボットアニメの妥協点を見出す。
ロマンとロマンをぶつけた下手に生まれたロボットがちょっとダサい(笑)
だが、そのダサさがたまらない。
ロマンと妥協の果てに生まれたロボットを彼女たちはアニメにする。
分業
画像引用元:映像研には手を出すな! 6話より
© 2020 大童澄瞳・小学館/「映像研」製作委員会
6話になると2作品目の制作に本格的になる。
1作品目で彼女たちは彼女たちだけで作る限界を感じている。
だからこそ「分業」できる部分を外注し分業することで、
よりアニメとして質の高いものを作り上げようとする。
本当は全部自分ひとりでやりたい。だけど、それは不可能だ。
だからこそ、なるべく自分が想像したことの近いものを作り上げてくれる人に
自らが頭の中で描いたものをアウトプットし説明する。
しかし、そのアウトプットが必ずしも相手に伝わるとは限らない。
自分で描いたほうが早いのはわかるが、そうはいってられない。
アニメづくりの難しさをひしひしと感じさせる。
アウトプットする側が迷うこともある。
しかし、一緒にそれを作り上げる仲間が彼女に告げる。
「みんなあんたが指示したものに近づけるために最善を尽くしている、
あなたが良いものを想像していると期待しているからだ。
だが、出来上がったものがくそ面白くなかったら責任はあんたにある
あんたは監督なんだ」
金森氏のまっすぐで純粋で彼女を信じているからこそのセリフが突き刺さる。
なぜ追求するのか
画像引用元:映像研には手を出すな! 1話より
© 2020 大童澄瞳・小学館/「映像研」製作委員会
水崎ツバメはアニメで動きを追求するアニメーターだ。
アニメーションというもので彼女は人間の動きを追求している。
そんな彼女がなぜ動きにこだわるのか。
7話ではそんな彼女の物語が描かれる。
幼少期から「人の動き」を見るのが好きで、観察し、
それを絵にし、動きを追い求めてきた。
動きというものの美しさと楽しさに取り憑かれてると言っても良い。
自分が好きな動きを、楽しいと思った動きを、美しいと思った動きを、
彼女はアニメーションと言う媒体で表現したいと思っている。
他人が「これでいいのでは?」と思うようなシーンでも、
彼女は「もっと良くしたい」と追求する。
細かすぎて伝わらない、分かる人には分かる表現を彼女は追い求めている。
実写とは違う全て意識して作られているアニメだからこそ、
彼女は強い、強いこだわりを持っている。
「動きの1つ1つに感動する人たちに、
私はここにいるって言わなくちゃいけないんだ」
まっすぐな彼女のクリエイターとしての理想と情熱のセリフが涙腺を刺激する。
そんな彼女は自分のアニメーションづくりを親には認められていなかった。
しかし、8話では彼女は自らが作り上げた作品を親に見てもらう。
アニメーションとはアニメーターの演技だ。
彼女のそんな思いは彼女に女優を目指してほしかった両親たちに伝わる。
彼女の表現者としての実力と気持ちが「アニメ」を通じて
同じ表現者である両親に伝わる。
DVDを売りまくりましょう貴様ら!
画像引用元:映像研には手を出すな! 9話より
© 2020 大童澄瞳・小学館/「映像研」製作委員会
彼女たちは終盤で「収益構造」まで見直す(笑)
もはや部活動と言うよりはアニメ制作会社の経営みたいな話だ。
他の部活のアニメを作ると、その権利は映像研にはなく収益が少ない。
時給換算では180万円の仕事をしてるのに実際は2万弱しかない。
だからこそ、スポンサーのアニメを作るのではなく、
スポンサーがいないオリジナルアニメを作る。
もはや世の中の製作会社にも見習ってほしいと思うほどの
金森氏の経営理念には溜飲が下がる思いだ。
SNSも有効活用し、なんでもやる。
それには過去がある。子供の頃からお金を稼ぐという事に楽しみを見出してた。
しかし、大好きだったお店が潰れてしまう。
お客さんが来るのにお店を続けられないこともある。子供時代に
彼女は「現実」を知る。誰も知らないお店には客が来ない。
子供時代の経験があるからこそ、彼女の今がある。
序盤から十分にキャラクター猫写はされている。
しかし、そんな十分なキャラクター猫写を終盤で更に掘り下げる展開が
しっかりとあることで、より彼女たちに愛着を持てる。
浅草氏と金森氏
画像引用元:映像研には手を出すな! 9話より
© 2020 大童澄瞳・小学館/「映像研」製作委員会
人付き合いが苦手な浅草氏と、損得勘定を意識している金森氏。
そんな二人の出会いが終盤で描かれる。
互いが互いを分かっている二人の過去は二人らしいエピソードだ。
ぼっちがゆえの先生からの強制から生まれた共生関係。
「我々は友達ではなく仲間だ」
友達という言葉を敢えて彼女たちは使わない。
友達よりもより深い部分で結ばれた関係性は友情とも百合とも愛情とも違う。
紛れもなく「仲間」だ。互いが互いを信頼してるからこそ、
互いを互いに任せられる。
完璧に仕上げても…
画像引用元:映像研には手を出すな! 12話より
© 2020 大童澄瞳・小学館/「映像研」製作委員会
彼女たちは最終話、自分たちの仕事は完ぺきにこなした。
ストーリーも演出もアニメーションも納得の行くものが出来ている。
納期も間に合った。しかし、1つのミスが作品全体を崩壊させる。
音楽が合わない。
ある意味で最悪だ。まるで雰囲気を違う音楽しかない。
それでも彼女たちは諦めない。仲間を信頼し仲間で協力し仲間たちで乗り切る。
ただ、その出来上がったものがはっきり言って微妙だ。
1クールで作り上げたアニメは3作品だが、2作品はどれもワクワク出来た。
制約があった中でも彼女たちが必死に作り上げ、それを感じさせる出来栄えだった。
しかし3作品目は音楽に合わせるための再編集を急遽している。
それが作品の出来栄えの微妙さに本当に響いてしまっているような
微妙さをひしひしと感じさせるなんとも微妙な出来栄えになっている。
しかし、それでいいのだろう。
「まだまだ改善の余地ばかりだ」
彼女たちのアニメ制作はこれからだ。そう、改善の余地はある。
反省の余地もある。だからこそ次こそは妥協なく納得の行くものを作りたい。
そんな彼女の熱い思いを噛み締めながら1クールが終わる。
総評:これがアニメづくりだ!
画像引用元:映像研には手を出すな! 2話より
© 2020 大童澄瞳・小学館/「映像研」製作委員会
全体的に見て素晴らしい作品だった。
「アニメ制作」というものを芯に捉え、そんな「アニメ制作」に
熱い思いを寄せる二人と、そんな二人を支える一人。
3人の「映像研」の物語がこの作品にはしっかりとある。
「湯浅政明」監督のアニメーションも流石だ。
彼女たちが頭の中で想像している理想のアニメ、そんな理想のアニメを
理想のままにきちんとアニメーションとして見せる事で、
彼女たちが考える完璧なアニメを視聴者にもしっかりと意識させ、
その完璧なアニメを作るために想像からアウトプットし現実というアニメを作る。
アニメは自由だ。人間では出来ない動き、本当は存在しないもの、未知の世界。
なにを描いても良い、だからこそ想像では自由で面白そうなアニメだ。
しかし、それが作品として必ずしも理想のままにアウトプットできるとは限らない。
そんな産みの苦しみ、時には妥協せざる得ないときもある。
そんな苦労を描きつつも彼女たちは前に進み、自らの表現を突き詰めていく。
彼女たち一人ひとりに魅力がある。
自分が想像した世界観を表現したい監督である浅草氏、
動きの面白さを追求したいアニメーターの水崎氏、
そんな二人のクリエイターをときには背中を押し、時には引き止め、
クリエイターに最大限の仕事ができるようにするプロデューサーの金森氏。
3人がそれぞれ「アニメ制作」の中でなにを求め何がしたいか。
一人ひとりの物語があり、それが3人の物語になっている。
まっすぐで自由で心地の良いストーリーだ。
もっと彼女たちが作る作品を見たい、もっと彼女たちのストーリーが見たい。
そう感じさせる作品だった。
個人的な感想:面白かった
画像引用元:映像研には手を出すな! 12話より
© 2020 大童澄瞳・小学館/「映像研」製作委員会
ラストはややモヤっとした感じがあったものの、
ストーリー、キャラクター、アニメーション、音楽、声優。
どれもこれも本当に素直に「面白い」といえる作品だった。
癖があるキャラクターデザインや、そもそも「アニメが好き」な人でなければ
この面白さは伝わらないであろうという一般受けのしなさは
ひしひしと感じるもののアニメが好きであればあるほどこの作品は突き刺さる。
キャラクターのセリフ1つ1つにうなずいてしまうような作品だ。
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